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11/27発売『エトセトラVOL.16』(特集:手、仕事)より、碓井ゆい「はじめに」を公開します

2026/11/5

2026年11月27日発売『エトセトラVOL.16』(特集:手、仕事)より、碓井ゆい「はじめに」を公開します。

消費し/されることを前提とした網の目のなかで、誰の「手」と「仕事」が周縁化されてきたのか?
VOL.16は、誰もが生きていれば巻き込まれてしまう構造--資本主義、帝国主義、家父長制--に対して、意識的に、そして創意工夫でもって「手」を介して「仕事」をしている人たちの実践を集めた特集号になりました。まずは、碓井さんの「はじめに」を読んでみてください。

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特集のはじめに 碓井ゆい

この特集は、フェミニズムの精神と自分の手というふたつを使って何かをつくること、を考えるものです。何でも買えるこのご時世に、敢えて手を使ってつくろうという人たちの思考を共有してもらいたい!ということで、タイトルには「手仕事」という言葉を採用しました。でも、手仕事という言葉にどうにも引っかかってしまったのです。なぜなら、この言葉は単純に、手で何かをつくる、という意味で使われてきてはいないのではないかと、実は疑問を抱いていたからです。

 

私は刺繍やアップリケなど、手芸技法を使って美術の分野で作品を発表しています。美術といえば、絵画や彫刻を思い浮かべる方が多いでしょう。絵画も彫刻も手芸も、ほとんどの場合は作者や共同制作者の手作業でつくられています。しかし、手仕事という言葉で形容されるのは手工芸だけで、自分の作品がそういう言葉で紹介されるたびに複雑な気持ちになってきました。あるいは、「丁寧な暮らし」という文脈では、必要以上に手仕事の温かみが強調される反面、多くの人が一度は着たことがあるだろうファストファッションの衣類。あれだって高い技術を持った職人さんたちの手で縫われているわけですが、それが手仕事だと評されることは、まあ無いわけです。常に「そうではないもの」を感じさせる上に、文脈によって良くも悪くも意味が変化する、扱いが難しい言葉だと認識していました。

 

美術史学者の池田忍さんは『手仕事の帝国日本』(岩波書店)という本の中で、日本の近代化に伴って周縁化された手仕事と、それらを再評価しようとした男性知識人について論じています。しかし同時にそのことによって、つくり手である被植民者、あるいは女性が「他者」としてとどめられたことも指摘しています。そこにある、効率主義への批評性や郷愁への欲望、ものづくりに付きまとうヒエラルキーが、手仕事という言葉に、未だにうっすら貼りついているのかもしれません。

 

少々長くなりましたが、タイトルが、手と仕事に分解されていることの意図をお伝えすることができたでしょうか。この特集に登場してくれるのは、つくるものやそのスタンスは違えど、みな、このような価値体系をつくり出した構造--資本主義、帝国主義、家父長制など--に対して、意識的に、そして創意工夫でもって「手」を介して「仕事」をしている人たちです。そこには、自分自身への信頼と、世界に開かれた主体性があるように思います。

 

さあ、一緒に、手を動かしながら考えてみませんか