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第7回:「ただ、働く」は難しい~『生きるためのフェミニズム パンとバラと反資本主義』によせて

2021/11/14

 

“政治的な”制作活動をしているフェミニスト手芸グループ「山姥」。彼女たちが日々の活動や、編んだり縫ったりしながら考えたあれこれを記録する第7回は、堅田香緒里『生きるためフェミニズム パンとバラの反資本主義』を読んで考えたこと。

 

今回は前回のマルリナちゃんの回にも登場した本の宣伝から。わたしたち山姥が表紙の刺繍作品を担当した、堅田香緒里さんの『生きるためのフェミニズム パンとバラと反資本主義』(タバブックス)が発売中(エトセトラブックスBOOKSHOPにもあるそうです!)。肝心の中身はもちろんのこと、堅田さんが書いたそれぞれのエピソードから連想したわたしたちのカバーの刺繍にもぜひ注目を! 堅田さんとは実は結構付き合いが長くて(詳しくはタバブックスのトークにて)、11月23日の文学フリマ東京には一緒に出店予定なので、お時間のある方はぜひ!

文学フリマで出す、堅田さんとのコラボレーションzine

 

さて、今回はかんなが、あの本から考えたことを書く。

わたしがいちばんみぞおちにウッときたのは、「路上のホモソーシャル空間」に登場するヤスオさんの話だった。

堅田さんが野宿者支援で出会った「おっちゃん」の一人であるヤスオさんは、あるきっかけからひとりで生活保護申請に行き、受給するようになるのだが、得たそのお金で「奢る」ことを堅田さんに何度も申し出る。一度食事に行った後、ふたりの関係性はいつのまにか変わってしまい、堅田さんはヤスオさんを避けるようになるが、ある日携帯電話にヤスオさんから連絡があり、好意を告白される。やんわりとそれを断ると、ヤスオさんは突然キレて、「てめえ、ふざけんな!人に奢らせといて何様だ!」と怒鳴り、アバズレと罵りながら、「殺す」と言われ……というエピソードである。

「殺す」と言われて以降、私は、なぜもっと適切にふるまえなかったのかと自分を責め、ヤスオさんに「殺す」と言わせてしまったことに申し訳なささえ感じていた。しかし同時に私は、ヤスオさんに大きな恐怖を感じてもいた。その恐怖心は日を追うごとにどんどん膨らんでいき、気付けばヤスオさんを避け、ヤスオさんの根城である新宿の地区を避けるようになっていた。そうして私は初めて、なぜ自分が、路上のコミュニティに魅かれながらも、一つの場所に留まり続けることができなかったのか、気が付いた。私は、路上を生きる男性にときに「恐怖」を感じ、常に一定の距離を保とうとしていたのだ。ホモソーシャルな路上空間において、女である私は常に、軽んじられ、ときに性的な対象として眼差されてきた。そこにいる限り、そうした眼差しから逃れられず、いつまでも「安心」なんてできなかったのだ。

堅田さんは路上のコミュニティの中(あるいは支援者の間にすら)にあるホモソーシャル性と、年齢や性別、支援する側・支援される側が入り混じる複雑なパワーバランス、そしてその中で相手にも、自分にもある見下しの視線を指摘している。この部分は、わたしもずっと社会福祉の仕事に携わってきたから、まるで自分のことのように感じながら読んでしまった。

自分のことを思い返してみると、実習生として行った施設でボランティア登録をしたら、担当だった男性職員から突然電話がかかってきて花火大会に行こうと誘われたことがあった。利用者との関わりでも、密室でふたりきりの状況で突然結婚を申し込まれたことがあったし、すれちがった際にぶつかったふりをして手や身体に触れられることがあった。ついこの間は堅田さんみたいに「くそ女」よばわりされて怒鳴られ、「ぶん殴る」とすごまれて、職場に行くとまだ動悸がしている。

それが相手の障害から来るもので、たまたま調子の悪い時に自分が当たってしまうということもある。流れ弾に当たるみたいなもので、しょうがない。でも、やっぱりそれでもつらい時はつらい。流れ弾でも自分が身構えていなかったり、当たり所が悪かったりすると、結構なダメージがある。でも流れ弾もやっぱり相手を選んで撃ってるんだよね。男性の上司に同じことを言うだろうかというと、そうではない。でも。でも。でも。堅田さんのように自分の支援にも良くないところがあったという気持ちと、ジェンダーの構造上の問題ではないかという気持ちの間で、振り子のように行ったり来たりする。

わたしは未だにこの仕事とどう関わっていいのか、わからなくなる。自分が仕事でやっているはずのことを好意と捉えられて恋愛感情を持たれてしまう。あるいは若い女だからと侮られて、馬鹿にされた態度を取られる。ただ仕事をしに行っているはずなのに、一人前の人間として扱われないのはなぜなのか、就職してからずっと葛藤している気がする。歳をとったら解決するんだろうか? ずっとこのままなんだろうか?

これから何年も続く、「働く」を前に途方もない気持ちになっている。

文学フリマで出すための迷路の刺繍を作業中。この後もうひと工夫する予定。仕事でもやもやしてても手を動かしてるとちょっと気持ちが落ち着きます。

 

山姥(やまんば)
2019年からマルリナ・かんなの2人で、フェミニズムや自分たちの好きな本、漫画をテーマにした手芸(刺繍や編み物)をして活動中。山姥は俗世間に馴染めず、おそろしい存在として排除されてきました。しかし、実は彼女たちは歴史や制度、そして男たちの期待する女の姿に押し込められず、闘ってきた女たちではないでしょうか。そうした先人たちの抗い方を見習いたい、そんな思いで活動しています。