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「女の知恵は針の先」第21回:体が鉛のように重くなるとき(フェミニスト手芸グループ山姥)

2023/5/15

“政治的な”制作活動をしているフェミニスト手芸グループ山姥。この連載は、彼女たちが毎日生活したり活動したり、編んだり縫ったりしながら考えたあれこれの記録です。今回は、マルリナさんが、家族にがんじがらめになって体が重くなって、それが少し軽くなるまでの数日を書いてくれました

 
今回はマルリナです。
 
家族がらみの良くない電話は体に来る。あとで体が鉛のように重くなる。不思議だ。

その電話はある晴れた土曜日の朝にかかってきた。「A子だけど、B子(私の名前)ちゃん? 今時間だいじょうぶ?」と言われた。叔母(父の姉)からの電話だった。思わずついに父が死んだのかと思った。それならそれで、ショックのようなショックでないような⋯⋯なんとも複雑な気分だなと思ったら、全然死んでいなかった。むしろ元気に迷惑をかけていた。叔母に携帯電話の番号を教えたことはないと思うので、父が伝えたのだろうか。20年ぶりに聞いた叔母の声は案外あまり変わっていなかった。

父は相変わらず借金を重ねているらしく、その担保のことで親戚ともめているらしい。そりゃそうだろう。当然である。同情の余地はない。担保にし(まくっ)ている家に親戚がバリケードを張ったり穴を開けたりして嫌がらせをしてくるから警察に行こうかどうしようか、弁護士に相談しているらしい。「50人も所属の弁護士さんがいる弁護士事務所に頼んでいて」と説明されて、あぁそうだった、この人たちは権威が大好きで、見栄っ張りなのだと思い出したのだった。

そういう一つ一つが不愉快でもあり、少し懐かしくてなんだか可笑しくなってしまう。そして、最大の謎はなぜ父の借金返済のための資金繰りを叔母がここまでやっているのかということである。父の家系は、女ばかりの家系だ。祖母には女きょうだいしかおらず、いわゆる姓を継ぐ人(という言い方も変だが、婚姻時は男の姓を選ぶのが「当たり前」と考えている人たちなので、つまり男)がいなかった。そのため祖父は結婚する時、土地の分割を条件に祖母の姓を“選択”することになったらしい。

二世帯同居していたころ、祖父は母に、改姓したことを後悔しているとよく愚痴っていたらしい(何なら土地の分割が少なかったらしい。想像がつく)。そういう環境で、きょうだいの中で唯一の男として生まれ重宝された父。見放せばいいのに、見放さない姉。本当に理解できないが、見栄っ張りだから今更引き返せないのかもしれない。

突然わたしに電話してきたのも、私の母の親戚に元警察関係者がいるからで、そのコネを利用したかったからのようだ。元警察関係者は暴力男で音信不通だし、母と父は離婚して婚姻関係になく、絶縁状態なのにこの期に及んで子ども(わたし)を使って利用しようとしてきたのが相変わらずだなと思う。でも、そうやってコネがあることがステータスみたいに考える人たちだから合点がいく。あとからジワジワ腹が立ってきた。

朝、電話を受けたときは、なにかワイドショーを見ているみたいでどこか楽しくなってテンションも高くなって笑っていた。何この展開、超面白いって結構本気で思っていた。でもしばらくしてから体がどんどん重くなっていった。人って変わらないんだなという絶望ともう笑うしかないなという気持ち。そもそもいい電話なわけがないのだから、相手にしなければ良かったのかもしれない……などのたらればが止まらなかった。

この日モーニングショーで観たかった映画は逃した。次の日の朝は、体が鉛のように重くなってしまっていて起き上がれなかった。体は正直だ。
 
早く映画を見なくちゃ!(すぐ映画に走る)ということで、無事2回目の『冬の旅』(監督:アニエス・ヴァルダ)を鑑賞しました。愛されキャラ? 何それ? な主人公が最高で、それと同時に直面する厳しい現実を描くその凄さは、画面から目を離せなってまばたきのタイミングがわからなくなった。ヒッチハイクをしながら暮らすモナ(主人公)が「1人なら乗せるよ」と言われてあっさり雑談していた男の子を置いていったシーンがわたしは忘れられない。

家族にがんじがらめのわたしとモナの生き方と、比べることは間違っているけれど、モナの生き様とその描き方が今のわたしに刺さり過ぎてしまった。こういう映画がこの世にあって、そして観ることができるという事実が、わたしの体の鉛を少し軽くしたと思う。

 

フェミニスト手芸グループ山姥(やまんば)
2019年からマルリナ・かんなの2人で、フェミニズムや自分たちの好きな本、漫画をテーマにした手芸(刺繍や編み物)をして活動中。山姥は俗世間に馴染めず、おそろしい存在として排除されてきました。しかし、実は彼女たちは歴史や制度、そして男たちの期待する女の姿に押し込められず、闘ってきた女たちではないでしょうか。そうした先人たちの抗い方を見習いたい、そんな思いで活動しています。