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「女の知恵は針の先」第19回:ディズニーランドとわたし(フェミニスト手芸グループ山姥)

2023/2/15

“政治的な”制作活動をしているフェミニスト手芸グループ山姥。この連載は、彼女たちが毎日生活したり活動したり、編んだり縫ったりしながら考えたあれこれの記録です。今回は、生きていくなかで必要だと思える、衣食住プラスアルファのささやかな夢や経験について。アクティビズムの間に、こうしてささやかなことを語り合っていきたいですね。

 

今回はマルリナです。先日、突然友人にディズニーランドに行かないかと誘われた。その友人いわく、この時期は寒すぎて閑散期らしい。ディズニーランドにはおそらく10年以上行っていない。最後に行ったのがいつだったか本当に思い出せない。コロナ禍以降は、ふらっと当日窓口でチケットを買って入場するということはできなくなっていると風のうわさでは聞いていた。

とりあえずチケットが買えるかどうか公式HPで見てみると、希望日のチケットは買えそうだ。しかし、値段を見て驚いた。8900 円だった。え! ほぼ1万円! 物価高騰とはいえ、ここまでになっているとは思わなかった。正直、買うのを躊躇した。

わたしの記憶にあるディズニーランドのチケット代というのは、2000〜3000円。というのも、わたしが住んでいる自治体では、ひとり親家庭にはディズニーランドチケット購入の補助があって、わたしはその補助を利用していたからだ。(調べてみたら今では1枚につき 2000円の補助があるようだ。)

実際、当時の母の収入ではディズニーランドに定価で行かせるなんてできなかったと思う。補助を利用してチケットを買っても、交通費、飲食代、お土産代を入れたら1万円は飛んで行ってしまう場所である。そうめったには行けない。でも、補助があるしという言い訳ができるのもあって年に1回とか2年に1回とか行けていたのだと思う。わたしの脳内に園内の地図が入っているのはそのおかげである。いくつかの乗り物は変わっているみたいだけど。

年明け、数えたら7回も映画館に同じ映画を見に行っていた。『𝐍𝐞𝐯𝐞𝐫 𝐆𝐨𝐢𝐧’ 𝐁𝐚𝐜𝐤/ネバー・ゴーイン・バック』という映画でアメリカのテキサスで同居する女の子二人が主人公の物語だ。17歳の誕生日をビーチで迎えるために宿をとったはいいものの、宿代を家賃から捻出してしまったため、ダイナーの仕事のシフトを入れまくって家賃分を稼ごうとするも……てな話なのだが16歳の二人は親とは一緒に暮らせない状況のようだし、もちろん金銭的援助もない。だからといって、レイシストの祖父母の元には絶対に行きたくない。つまり、生活費は自分たちでどうにかするしかない。どう考えてもぎりぎりの生活で、海に行ってドーナッツを食べるというささやかに思える夢もなかなか叶えることができない。

この映画を観たとき、生きていく上での衣食住だけじゃなくて(もちろん食にも住にも困る未来が見えているのだが!)、海に行くとかそういう「経験」の重みが妙に胸に迫ってきて、絶対に二人で海に行ってピーチでドーナッツを食べてくれぇー!と応援したくなった。(その結果、7回応援することになった。ひとり応援上映。心の中で)

当時は安く行けるならと思って行っていたディズニーランドも、今考えるとすごく意味のあることだと思えてくる。ディズニーランドの園内の土地勘(?)があること、乗り物の名前をいくつか知っていること。別に知らなくてもいいものだし、行ったことがなくてもいいけども、そういう経験が当時のわたしにとってはとても必要で今でも思い出される出来事になっているなぁと思う。日本学生支援機構の奨学金(という名の学生ローン)に申し込むときに見た母の源泉徴収票を見た衝撃。あれでどうディズニーランドに行けたんだって話だけど、正直自治体のささやかな補助だってありがたい。もっと補助してくれてもいいけどね!

はぁ。要求がささやか過ぎるね。

引っ越しをしても持ち続けているピグレットのカチューシャ

 

フェミニスト手芸グループ山姥(やまんば)
2019年からマルリナ・かんなの2人で、フェミニズムや自分たちの好きな本、漫画をテーマにした手芸(刺繍や編み物)をして活動中。山姥は俗世間に馴染めず、おそろしい存在として排除されてきました。しかし、実は彼女たちは歴史や制度、そして男たちの期待する女の姿に押し込められず、闘ってきた女たちではないでしょうか。そうした先人たちの抗い方を見習いたい、そんな思いで活動しています。