記事を検索する
2022/9/14
“政治的な”制作活動をしているフェミニスト手芸グループ山姥。この連載は、彼女たちが毎日生活したり活動したり、編んだり縫ったりしながら考えたあれこれの記録です。今回は、マルリナさんの父親についてのエッセイ再びです。父への思いはいつも複雑!
今月はマルリナです。
東京にしては涼しくなったと言えるような気温になったころ、突然父から電話がありました。「今、日本にいるんだけど、木曜日とか金曜日は何をしている?」と言われました。「まぁ、夜なら空いてるけど」と返事をし、木曜日の夜、渋谷で会うことになりました。
ハチ公前で待ち合わせをし、久々に会った父は、すごくすごく小さくなっていて、髪も真っ白で、一瞬誰か分からなかった。せめて数か月ごとくらいで会っていれば、親の老いに気付かないというか驚かないのかもしれないけれど、かろうじて眼鏡で判断して「お父さん?」と声をかけられたレベルで、どこかお店に入ろうとハチ公前の鉄の椅子もどき(?)から立って一緒に歩き始めたら歩くのがびっくりするくらい遅くなっていた。
父は数年に一度、忘れたころに連絡をしてきて、すべて自分の都合に合わせようとする。前回は「〇日はどうだ?」と聞かれて「その日は映画祭のチケットを買っているから無理」と言ったら「チケット代はいくらだ?」(チケット代金を払うから俺の都合に合わせろの意味)と言われて、極めて自己中で横暴な態度に、さすがだと思ったのを思い出した。
それなのに、数年に一度連絡が来ると、わたしは会ってしまうのだ。会わないでこのまま父が死んだら後悔するかなとなんとなく思ってしまう。そして、昔よく聞かされた懐かしい破天荒エピソード(往々にして他者に盛大に迷惑をかけているエピソード)を聞くのを少し楽しみにしている自分がいるのであった。人間って矛盾だらけだ。
わたしの場合、父の死後は、負の遺産(借金)を相続放棄しなければならないので、死んだという連絡は誰がくれるのだろうという疑問があった。今日はそのことを聞こうとひそかに心に決めていた。言い出すタイミングがあるのかはわからないけれど。だんだん話すネタもなくなり、キャバクラで楽しそうにカラオケをしている自分の動画を見せてくれた。楽しそうで何より。
そしたら、運よく(?)最近よく転倒するという話になった。「風呂場で転倒したら死ぬじゃん。死んだら誰がわたしに連絡くれるの?しばらく連絡ないなぁと思ってたらいつの間にか死んでるって感じ?」と言ったら、「今の女房には家族(わたし)のことを言っていないから、だれも連絡できないなぁ」と言われて、思わず飲んでるウーロン茶を吹きそうになった。おぉ、まぁそうだろうね。「危篤のときとか死んだときには、一応連絡欲しいからわたしのメールアドレスかなんかをどこかに残しておいてよ」とは伝えたが、たぶんやらないだろう。そういう人だから。
帰り際、夜10時に最寄りの駅から家まで歩くことをなぜか心配してきて(だからと言ってタクシー代をくれるわけではない)、もうわたしもいい歳なんだけどなと思いつつ、父の中ではわたしはまだ「子ども」なのかもしれない。この感情を誰かにわかってもらおうなんて思わないけど、別れ際はいつも少し寂しい。
吹き出しそうになった烏龍茶(に見えない)
フェミニスト手芸グループ山姥(やまんば)
2019年からマルリナ・かんなの2人で、フェミニズムや自分たちの好きな本、漫画をテーマにした手芸(刺繍や編み物)をして活動中。山姥は俗世間に馴染めず、おそろしい存在として排除されてきました。しかし、実は彼女たちは歴史や制度、そして男たちの期待する女の姿に押し込められず、闘ってきた女たちではないでしょうか。そうした先人たちの抗い方を見習いたい、そんな思いで活動しています。
フェミニスト手芸グループ・山姥「女の知恵は針の先」