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「女の知恵は針の先」第10回:お茶の間のフェミニスト、ドラマの感想を書く(フェミニスト手芸グループ・山姥)

2022/3/14

 

“政治的な”制作活動をしているフェミニスト手芸グループ「山姥」。この連載は、彼女たちが毎日生活したり活動したり、編んだり縫ったりしながら考えたあれこれの記録です。第1o回は、先日放映された津田梅子のドラマについて。日本では、まだまだ「フェミニスト」を正面から描くドラマは難しいようです……。

 

みなさま、先日放送された津田梅子のドラマ、観ました?

スペシャルドラマ『津田梅子~お札になった留学生~』|テレビ朝日 (tv-asahi.co.jp)
フェミニストの物語を描くというのは、少なくともこの国のエンタメにおいては、すごく難しいんだなと思いました。今回はかんなが担当です。

Twitterで検索してみるとわりかし好意的な評価も多い印象だけれども、わたしは先に読み始めていた大庭みな子による評伝『津田梅子』の感じが先に体に流れてきていたので、観ながらいろいろ考えてしまったのでそのあたりをとりとめなく書いてみる。

まず、大庭みな子の『津田梅子』について。この本は、津田梅子とアメリカ留学時代の里親であるアデリン・ランマンとの長年の往復書簡を、津田塾大学出身で自らも渡米経験のある大庭みな子が読み込んで、書かれたもの。津田梅子の個人的な部分が垣間見える手紙を、フェミニストの作家が読み解くという、大変おもしろい評伝だった。

(小学館のP+D BOOKSは書籍と電子書籍で同時発売されていて、今まで入手しづらかった女性作家の本も結構読めます。こないだ紹介した干刈あがたも!他にも高橋たか子、河野多惠子、倉橋由美子、宮尾登美子、津島佑子などもラインナップに入っています。書籍の方もペーパーバックなので安く買えるのがありがたい。
https://www.shogakukan.co.jp/books/09352376)

 

ドラマ版で気になったのが、森有礼や伊藤博文との関係。

晩年の津田梅子(原田美枝子)が過去を振り返るという設定で、ナレーションがつくのだけれども、なぜか森や伊藤に対しては常に「様」をつけて描写され、彼女の人生を「導く」存在として描かれているのである。

たしかに彼らとの付き合いが津田梅子にとって大きなものだったことには間違いないし、助力はあったとは思うけれども、果たして彼女を「導く」存在だったんだろうか。

大庭みな子『津田梅子』では森や伊藤が女子教育を語りながら、一方では家父長制にあぐらをかいているのを津田梅子が鋭く見つめていたことが指摘されている。

森は妻との間にスキャンダルがあり離婚しているし(しかもそれは妻の側の問題に転嫁されがちだと津田梅子は指摘している)、伊藤は女性関係が激しく自宅では妻以外とできた子どもを養育しており、泥酔して帰宅することもあった(評伝の津田梅子は嫌悪したと描写されているが、ドラマではなぜか伊藤の「意外すぎる素顔」として好意的に受け止められている。
テレ朝POST » 田中圭、SPドラマ『津田梅子』で“人間・伊藤博文”を体現!ディーン・フジオカは森有礼に (tv-asahi.co.jp))。

歴史の教科書に必ず出てくるような男性の「偉人」のキャラクターにへりくだり、教えを乞うような人物描写を津田梅子に与えているのが、ドラマ版なわけである。

また劇中、津田梅子が強く「結婚しない」という宣言する場面があって、それはたしかに胸がすくものではあるけれども、果たしてそんな強い決意をもって確信していたのだろうかということも考えてしまった。

いやだって、将来どうなるかなんて正直わかんなくない!?

わたし個人のことを突然開示すると、パートナーがいないんで予定はないし、たとえ異性のパートナーができたとしても戸籍制度や婚姻制度に反対だから結婚という形を取りたくはないけれど(婚姻制度は有用な制度だから異性愛のカップルがそれを利用して生き延びようとするのは処世術のひとつだと思う)、でも自分はぜったいぜったいパートナーを持たずにひとりで強く生きていく!!!!なんて確信を持てたことは一度もない。

大庭みな子『津田梅子』の中で、津田梅子は書簡の中でそのように書いている。

『将来にわたっても絶対に結婚しないとは言いませんが、独身だという理由で他人からへんな眼で見られずに、自分の道を進みたいと思います。それはこれから先私の耐えねばならない試練です。

働き続けて自分の食い扶持を稼げるのか不安だし、明日一緒に生きていきたい人に出会うかもしれないしって、ゆらゆら振り子みたいにゆらぐようなこの感じ、でも同時に「世間」から「普通」はこうしているという圧力をかけられずに、自分の人生を生きたいと願う感じ、津田梅子と自分を同一視するなんておこがましいけど、「わかる」ってなったんですよ~~~~~~

じゃあ、なぜドラマ中の津田梅子がそう宣言したのかというと、それがわかりやすい「フェミニスト」のイメージだからではないか。強い女のイメージ?

生涯を独身で通したからといって、男性がそのような決心をする場面っていうのはなかなか描かれない気がするし、こういった場面に尺を取るのであれば、駆け足すぎた再留学~女子英学塾開校をもっと詳しくやってほしかったな……。

元々このドラマは放送前から、「鹿鳴館ファッションに注目!」みたいな感じで宣伝していて、津田梅子をドラマ化するのに言うべきはそこなのか……!?という感じだったので、期待はしていなかったけれども、やっぱりそれでも残念だった。

フェミニストの人生は、それをフェミニズムで読み込まなければ、立ち上がってこない。
フェミニストが作るフェミニストのドラマがいつか、放送されてほしいなあ。

(晩年の津田梅子は読書と編み物をして過ごしていたらしいですよ! アメリカ留学時代に習ったのか、帰国後も毛糸や編み棒を里親アデリン・ランマンに送ってもらって、完成したアフガンのひざ掛けを伯母や友人、知人にプレゼントしていたそうです。写真は路上で手芸をする活動を政治的な手芸部でやった際にわたしが編んだ「ほしょうしろ」です)

 

山姥(やまんば)
2019年からマルリナ・かんなの2人で、フェミニズムや自分たちの好きな本、漫画をテーマにした手芸(刺繍や編み物)をして活動中。山姥は俗世間に馴染めず、おそろしい存在として排除されてきました。しかし、実は彼女たちは歴史や制度、そして男たちの期待する女の姿に押し込められず、闘ってきた女たちではないでしょうか。そうした先人たちの抗い方を見習いたい、そんな思いで活動しています。