「女の知恵は針の先」第9回:わたしの中で今、流行っている本あれこれ

2022/1/14

 

“政治的な”制作活動をしているフェミニスト手芸グループ「山姥」。この連載は、彼女たちが日々の活動や、編んだり縫ったりしながら考えたあれこれの記録です。第9回は、いま激推しのある作家について。30年前に彼女が書いた物語がちっとも古びないのは、女の不自由さが変わってないから…?

 

今更ながら、干刈あがたにハマっています、かんなです。

干刈(ひかり)あがたは1943年生まれ、1992年に49歳で亡くなった女性作家(ググれば3秒で出てくるようなプロフィール説明ですみません)。残念ながらかなりの本が絶版になっているようだけれども、図書館にはわりと収蔵されているし、古本もそれほど高価でなく手に入れられるのでぜひおすすめしたい。エトセトラブックスBOOKSHOPさんには彼女の作品がかなり揃ってたので、ここで買うのがいちばん確実かも。この頃は行くたびに買い占めているので棚になかったらわたしのせいかもしれない。t島さんいつもありがとうございます!

わたしは1989年生まれなので、ほとんど彼女と生きた時間が重なっていない。彼女が物語を書いた時から、30年が経っているのだけれども、初めて読んだ時、それがとても信じられないほど、鮮やかに感じた。古びておらず、みずみずしいままなのだ。描かれている女の生き方の不自由さや葛藤があまりにも変わっておらず、タイムカプセルを開けたみたいだった。30年前から連綿と続く、「わたしたち」の物語がそこにあった。

もちろん諸手を挙げて賛成できないところはあるし、なんでそっち行っちゃう? と共感できないところもある。だからこそ、彼女は現在改めて、フェミニズムの視点からの批評のしなおしが必要な作家だと思う(わたしが言うまでもないけど!)。

実際にその文章に触れてほしいと思うので、以下作品からいくつか引用。

「二人を育てながら仕事を続ける自信があるなら産むし、自信がなければ、仕事をやめるか子供をやめるかどちらかだな。君の気持ちしだいだよ」
それを聞いた時、ミドリは夫に激しい口調で言った。
「ねえ、子供を産んで育てるって私一人の問題なの」
夫は、心当りのないところから矢が飛んできた、という顔をした。
「女は家にいて子を育てるのが当然で、それを私が勝手に仕事をしているんだから、その始末は私が一人でするべきだと思ってるの。カオルの時だって、あなたは少しも協力的じゃなかった」
自分でもそう思っていたのだ、自分が勝手に仕事をしているのだからと。
(中略)
「本当は私、ずっとそのことをあなたに言いたかったんだわ。それを言えなかったのは、自分でも女が仕事をしていることに負い目を感じていたからなのよ。その分、カオルに当ってた。カオルがぐずぐずしたり、夜いつまでも眠らないと、イライラして当った。そしてそのあと哀しくなるの」
夫は、どこから矢が飛んできたのかを確かめるように、話しているミドリを見つめた。
「妊娠したことを失敗だと思ったり、子供の日常を憎みながら続ける女の仕事って何だろう。男は仕事だからの一言で済むのに、女はなぜ負い目を感じなければならないのかしら。両方の子供だし、両方とも仕事してるのに。もしここで私が子を産むのをやめたら、あなたはそのことにも無罪放免じゃないの。もし私が仕事をやめて子を産んだら、それが当然、それだけであなたは済むの、変だわ。私だって仕事が好きなのに」
(「ゆっくり東京女子マラソン」)

 

デスクの前で考えていた葵は、再びキリリとした表情に戻ると、サツキに電話をかけ直した。
「さっきの人形の子供、男の子と女の子を訂正するわ。間違えないようによく聞いてメモをしてね」
そして葵は言った。
「髪の毛にぶら下ってターザンごっこをしている女の子。肩の上に乗って望遠鏡を見ている星少年。巻尺を持って測量しているシュリーマン・ファンの男の子。エプロンのポケットから顔を出している恥ずかしがり屋の男の子。靴の上で本を読んでいる、眼鏡をかけた女の子。以上。オトーサンは変りなく男です。」
電話口のむこうで、またくすくす笑うサツキの声が聞こえた。そして、こう言った。
「納得。私ね、今思い出したことがあるの。三年間勤めていた会社をやめる時にね、私は正直に言ったの。男の人の補佐の仕事を何年つづけても仕方がないので、自分で一生やっていける仕事を身につけたいと思いますって。そしたら上司がね、女はそんなこと考えない方が幸せなんだよと言うの。そして、何の仕事をするのかと聞くから、手芸ですって答えたら、ああそれならいいね、ですって。頭に来ましたね。OK、この仕事、頑張っちゃう」
(「しずかにわたすこがねのゆびわ」)

ぜひこの引用が気になった方はぜひ1冊手に取って、読んでみてほしい。そして、出版社の人はぜひ今こそ復刊・再版してください、マジで。

干刈あがたを読んだきっかけは、ちょっとしたご依頼があり、すでに亡くなっている女性作家たちの短編でフェミニズム的な読みができるものを探したことだった。

そう言われてもすぐには思いつかず、本屋に棚を眺めに行ってみたけれど、いわゆる「文豪」と言われて棚に並んでいるのは男性作家のものばかり。考えてみれば、古典として読み継がれる、あるいは教科書で読んできたのは男性作家の作品が大半だった。例外は樋口一葉、与謝野晶子くらいだろうか。そもそもの作家の絶対数の問題(しかしこれも構造の問題と不可分だよね)があるけれども。

なので、そういった女性作家の読みなおしをしたくて、東京ウィメンズプラザの図書室へ何度か資料を探しに行った。その際、いくつかその助けになりそうなおもしろい本を見つけたので、せっかくだから紹介させてほしい。

1冊目は長谷川啓・著『家父長制と近代女性文学 闇を裂く不穏な闘い』(彩流社)
まずタイトルが良い。闇を裂く不穏な闘い! 著者の愛が熱い評論を読むと、登場する女性作家たちに俄然興味が出てきて、そのおもしろさのしっぽを摑んだ気になる。

多くのページを割いて紹介される田村俊子は、著者によってフェミニズム文学の先駆者として評価されている。その時代だからこその抵抗、フェミニズムの表現というものがあると思うが、彼女は姦通罪があった時代に、不倫の物語を書き(「炮烙の刑」)、また男女平等の生活を誓ったはずの男女の生活で起こる不均衡や家事労働の負担についての問題を描いている(「彼女の生活」)。旧漢字が多く、すらすらと読めないのが若干の読みづらさが難だが、ぜひ長谷川啓産の熱い評論と抱き合わせで読んでみてほしい。

2冊目は渡邊澄子・著『負けない女の生き方 217の方法-明治・大正の女作家たちー』(博文館新社)
本文フォントが謎すぎて開いた瞬間ギョッとするけれども、中身はめちゃくちゃおもしろい。新聞に掲載されていた連載をまとめたこともあり、作家別に分かれた紹介文は簡潔かつ痛快。今まで知っていたはずの作家の項目にも、フェミニズム的な解釈が加わるのは新鮮で結構分厚いが、するする読めてしまうはず。「才女の運命」「ヒロインズ」という芸術家の妻を掘り起こそうとする試みが海外にもあるが、森鴎外の妻しげなどは再評価が必要なのではないかと思わされる。

3冊目は岩淵宏子・北田幸恵・編著『シリーズ・日本の文学史 はじめて学ぶ日本女性文学史【近現代編】』(ミネルヴァ書房)
学校で配られた国語便覧(伝わる?)みたいな作りで、隅々まで細かいところまで延々読んでしまう。小説だけでなく詩歌や評論など、項目が分かれており、先の2冊までのように人物別ではなく時代別になっているので歴史の流れを含めて読めるのがおもしろい。発表する場がなければ、その才能は埋もれたままだったかもしれないと思うと、改めて「青鞜」や「女人芸術」といった掲載誌が豊かにした女性文学の土壌を感じる。そして、それらだけにとどまらない女性文学の広がりもわかる一冊。

この3冊だけじゃなく、先輩フェミニストのみなさんがやってきた、女性文学の掘り起こしは本当におもしろい。女性作家しばりで読書会もやれたらいいな~と妄想してしまう!

新年早々文字数を大いに超過した文章をぶっこみましたが、フェミニスト手芸グループ山姥を本年もよろしくお願いいたします!

 

文中に出てくる本の一部。本棚に無限に本が増えて困っているけど、みなさん本棚にすべての本が入り切っていますか?わたしは入っていません(笑)
女性作家のおもしろい本、みなさんのおすすめもぜひ教えてほしいです!

 

山姥(やまんば)
2019年からマルリナ・かんなの2人で、フェミニズムや自分たちの好きな本、漫画をテーマにした手芸(刺繍や編み物)をして活動中。山姥は俗世間に馴染めず、おそろしい存在として排除されてきました。しかし、実は彼女たちは歴史や制度、そして男たちの期待する女の姿に押し込められず、闘ってきた女たちではないでしょうか。そうした先人たちの抗い方を見習いたい、そんな思いで活動しています。