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第6回:パラリンピック閉会式抗議に参加して

2021/10/15

“政治的な”制作活動をしているフェミニスト手芸グループ「山姥」。彼女たちが日々の活動や、編んだり縫ったりしながら日々考えていることを書く連載です。第6回は、今年の夏、強行されたパラリンピック閉会式への抗議に参加した日のこと。こうやって市民が踏みにじられた記録を、みんなで残しておかなくては。

 

「これ、みんな何で集まってるんですか?」

純朴そうな瞳で中年男性から聞かれた。わたしは、いくら運動の場とは言えども、信頼関係を築く前の男性には基本的に不親切(一律シカト)なので、悪いけど(※悪いと思っていない)無視した。「わざわざ女を選んで聞くな!」といつも思っている。とか、考えていたら、その男はわたしに無視された後、仲間の元へ戻っていった。イヤホンをした公安だったらしい。マジか。

わたしはその日、プラカードも持たずに、何もできずに突っ立っていただけだった。ブラジルのMinkaというブランドのフェミT(「フェミニストであることは政治的な行為」というメッセージがポルトガル語で書かれているTシャツ)は着ていたけれど、デモ参加者なのか野次馬なのかわからなかったのだろう。確認のために、わたしに訊いてきたようだ。たぶん。しかし、姑息すぎないか。正直、驚いた。っていうか、デモ参加者かそうじゃないか確かめてどうしたいんだ。

あの日のことを忘れる前に書いておこうと思う。2021年9月5日、わたしたち山姥は千駄ヶ谷駅前で行われるパラリンピック閉会式の抗議アクション(呼びかけ:五輪災害おことわり連絡会、反五輪の会)に参加した。わたしたちが駅に着いたときには、すでに千駄ヶ谷駅周辺は警察に包囲されていた。花火大会の交通整理さながらのマイクパフォーマンスの準備も万端だ。今年は花火大会なかったもんね……。通行人はとても少ない。

実は、抗議に参加する前、わたしたちは気になりすぎていたモスプレミアム(普通のモスバーガーの倍くらいの価格設定のモス)というバーガー屋に寄った。駅からその店に向かおうとしたら、「この道は今日通れません」と前回、五輪への抗議に参加したときには通れた道が通れなくなっていた。一体なぜ?

さらに、自転車に乗っている人は、歩行者が全然いないのに「歩行者が多いので降りてください」と警察官に命令されていた。警察があちこちにいる中、モスプレミアムの外の席でわたしたちは『生きるためのフェミニズム パンとバラと反資本主義』(堅田香緒里著、タバブックス)に関するzineの原稿を書いていた。(いつか完成したら、見てください!)そして、デモ開始の時間になったので駅前に向かった。

呼びかけの人たちが抗議の準備をしていた。すると、突然「駅からの要請です。この場からど」とものすごい数の警察官が“密”になって、準備をしている人々に突然押し迫ってきた。強行すぎて体が触れている人もいた。あまりの強引っぷりに動けなくなった。ただ突っ立っていた。こうやって、あたかも抗議してる人が騒動を起こしたみたいに見えるように仕込むんだなと思った。そして、駅前というわたしが“みんなの空間”だと思っていた場所は、オリンピック・パラリンピックに抗議する人たちのことは“排除してもいい”場所になっていた。

しかも、呼びかけの人たちが駅員に聞いたところ、駅はそんな要請していないという。びっくりした。ひどい強制排除は続いたけれども、抗議行動も続けられた。オリパラ廃止式中には、なんと花火が打ちあがった! 私にとっては、たぶん2年ぶりに見る花火だ。まさか、こんなところで!「オリンピック パラリンピック 廃止!」のバナーと赤く燃える花火。なんという皮肉だろう。

 

次の日、職場に行けば、管理職はオリンピック・パラリンピックについて「感動をありがとう!」というコラムを書いていた。しかし、その“感動”は、何の犠牲の上に成り立っているのか考えざるを得なかった。野宿者排除に始まり、都営住宅の立ち退き、環境破壊、公共の場をどんどん奪っていること、もっともっとある。そして、言論の自由までもが奪われている。抗議行動をしている人への不当逮捕もあった。

オリパラへの抗議アクションに参加して、私が感じたことの一つにどんどんわたしたちの“場”が奪われているということがある。それでも、“場”を守ろうとしている人たちがいることも強く感じた。そして、わたしも守りたいと思った。思わず、翌日『生きるためのフェミニズム パンとバラと反資本主義』にある「猫のように体をこすりつけろ」の章を読み返して、猫と「抵抗」という文字の入った刺繡をした。

 

山姥(やまんば)
2019年からマルリナ・かんなの2人で、フェミニズムや自分たちの好きな本、漫画をテーマにした手芸(刺繍や編み物)をして活動中。山姥は俗世間に馴染めず、おそろしい存在として排除されてきました。しかし、実は彼女たちは歴史や制度、そして男たちの期待する女の姿に押し込められず、闘ってきた女たちではないでしょうか。そうした先人たちの抗い方を見習いたい、そんな思いで活動しています。