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第1回:なぜわたしたちは山姥を名乗ることになったのか

2021/5/21

フェミニスト手芸グループ「山姥」による新連載がスタート! 月に一度、そのときどきの活動や、編んだり縫ったりしながら日々考えていることを記録してもらう予定です。第一回目の今回は……山姥のふたりの「おっかけ」が、いかにして“政治的な”制作活動に変わっていったのか。グループ紹介も兼ねて、今回はかんなさんが書いてくれました。

 

はじめまして、私たちはフェミニスト手芸グループ山姥(やまんば)と申します。主にフェミニズムをテーマとして、編み物や刺繍などの手芸を用いた「政治的な」作品の制作活動をしています。現在エトセトラブックスBOOKSHOPにも刺繍のバッジを商品として置いてもらっています。メンバーはかんなとマルリナの2名、この連載エッセイの今回はかんなが担当です。今後は交互に登場し、社会問題から趣味のことまで様々、「針の先」まで見通して(できるの!?)、書いていく予定です!

ちなみにタイトルの「女の知恵は針の先」は「女の知恵は鼻の先」ということわざを茶化してつけました。ことわざには女を馬鹿にしたようなものが結構あって、「女の知恵は鼻の先」も「女の知恵は目先だけで、遠い先のことを見通す思慮に欠けていることのたとえ」なのです……。そんなんクソじゃん!!! 女の知恵は女たちがやってきた手芸のように細かく力強く、針のように鋭いもののはず!!!! という気持ちを込めて、「女の知恵は針の先」と勝手に改変してみました。

第1回目は、「なぜわたしたちは山姥を名乗ることになったのか?」実は山姥を結成したきっかけはエトセトラブックス代表松尾さんに大きく関係があるのです……

わたしたちは元々おっかけ気質で、好きになった作品があると、その作り手にはぜひ直接会ってみたいと、特に本屋や映画、美術館でのトークショーに出向いては、サインをもらったり、お手紙を渡したりしていました。
いちばん初めにモノづくりをしたのは、本屋B&Bで行われた小説家の松田青子さんと漫画家の池辺葵さんのトークがきっかけでした。わたしたちはお二人のファンだったこともあり、この組み合わせは奇跡過ぎる! と大興奮し、この滾る思いをなんとかしたいと、プレゼントを作成。まだ手芸のスキルはなかったので、マルリナちゃんはプラ板のキーホルダー、わたしはアイロンワッペンでハンカチを作ったのでした。

 


マルリナ作『おばちゃんたちのいるところ』プラ板キーホルダー

 

かんな作『プリンセスメゾン』(上)『おばちゃんたちのいるところ』(下)
アイロンワッペンハンカチ

 

手芸ができるようになってからも、作品への思い入れと愛を込めて、いろんなイベントに出入りしてはプレゼントを渡す謎活動を継続。松尾さんと出会ったのもその「おっかけ活動」でした。
2018~2019年はエッセイストの少年アヤちゃん(同い年のよしみでちゃん呼びを許してほしい……)の新刊が続けて出たこともあってか、登壇するトークイベントがたくさんあって、少年アヤちゃんのトップオタクを自称する我々はおそらくそのすべてに参加、当時少年アヤちゃんの担当編集であった松尾さんとも必然的に毎回すれ違っていたのでした。得体がしれないうえに騒がしいわたしたちのことを松尾さんはおもしろがってくれ、だんだんと話をするようになっていきました。

そしてある日、本屋B&Bであったカナイフユキさんと少年アヤちゃんのイベントに、私かんなが特攻服ばりに気合を入れてフェミニスト・バトルジャケット(メタルのファンが作る、パッチやロゴで埋め尽くされたジャケットのこと)を着ていったところ、「こういうのぜひ売ったらいいんじゃない!?」と松尾さんから運命の一言が!!! そのまま本屋B&Bスタッフ、現エトセトラブックスBOOKSHOP店長の寺島さんにも紹介してもらって、とんとん拍子で本当に商品を置いてもらえることになり、それならばグループ名を考えよう! と、わたしたちは自分たちを「山姥」と名付けたのでした。ちなみにここだけの話、もうひとつの候補は「ぼぼ」でした。女性器の意味。

 

かんな作 フェミニストバトルジャケット
「個人的なことは政治的なこと」ワッペン

 

2019年5月18日が初めての山姥の納品日だったので、わたしたちはもうすぐ結成2周年を迎える。今年はトークイベントの司会をやったり、初めての名刺を作っちゃったり、文学フリマにも出店申し込みしたり、当初自分たちで思っていた以上に山姥の活動が広まっていて、すごくわくわくしている。山姥は、わたしたちをどこまで連れて行ってくれるだろう。「良い女の子は天国に行けるが、悪い女の子はどこにでも行ける」!

 

山姥(やまんば)
2019年からマルリナ・かんなの2人で、フェミニズムや自分たちの好きな本、漫画をテーマにした手芸(刺繍や編み物)をして活動中。山姥は俗世間に馴染めず、おそろしい存在として排除されてきました。しかし、実は彼女たちは歴史や制度、そして男たちの期待する女の姿に押し込められず、闘ってきた女たちではないでしょうか。そうした先人たちの抗い方を見習いたい、そんな思いで活動しています。