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2025/12/17
2025年11月28日発売『エトセトラ VOL.14』(特集:SRHR)より、特集編集の福田和子さんによる「特集のはじめに」と高井ゆと里さんによる「特集のおわりに」を公開します。「私のからだは、私のもの」この社会を誰もが「私のからだ」を生きられる場所にするために、この特集に込めたふたりの思いをぜひ読んでください。

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特集のはじめに 福田和子
言葉は、生き延びるための、心のよすがになることがある。
私にとってはそんな言葉のひとつが、「性と生殖に関する健康と権利/SRHR」だ。
今年は、SRHRが国際的に確立した北京会議から30年という、節目の年だ。
SRHRをあえて一言で表すと「MY BODY, MY CHOICE/私のからだは私のもの」だろう。性的な行動や、妊娠、出産等について、するかしないか、するならいつ誰と、といったことを本人が決められること、性体験が安全で楽しめるものであること、自分の性的指向、ジェンダー自認、性表現を含めたセクシュアリティについて自由に定義できること、これらを実現するのに必要な情報や資源、サービスを必要な時に確実に得られること……。それらをすべてのひとに保障するのが、SRHRである。
チョイス、自己決定、自分らしい生き方……!
近年はセクシュアル・プレジャーやウェルビーイングもSRHRの重要な要素として認識され、それらも勿論重要で私自身大好きな概念である。一方、SRHRはともすると、なんだかキラキラした言葉にも捉えられやすい。しかしSRHRは、ふわりとした耳障りの良い言葉ばかりで語りきれるものでは決してない。世界中で長い間、あまりに多くの人たちが、からだ、そして人生を、踏みにじられ、傷つけられ、奪われ、黙らされてきた。それでも諦めまいと、生き延び、声を紡いできた人たちがいるからこそ生まれ、今も道半ば、進化し続けているのがこの権利である。
今回の特集のはじまりのひとつには、2024年12月13日に、エトセトラブックスの松尾亜紀子さん、同じく本特集編集の高井ゆと里さんと私の3人で呼びかけを行った「私のからだデモ」がある。トランプ大統領の再選直後で、your body, my choice(おまえのからだは、俺が決める)のスローガンが広まった頃だ。日本でも政党党首が少子化対策の文脈で「(女性は)30歳超えたら子宮を摘出」と発言した。
デモ当日は、吐く息も真っ白な、寒い、寒い日で、フィンランドで買ったあたたかすぎる帽子を終始被り続けられたのは後にも先にもあの日しかない。それでも集まった思いを共にする人たちと「私のからだは私のもの!」と東京駅前でコールをした時には、パキッとした凍てついた夜空もその熱気に溶けていくようだった。その日は全国13カ所で連帯アクションもあり、読者の中にも、心を共にしてくださった方が多くいるかもしれない。
あれからまもなく、1年を迎える。その間には、2025年5月に第2回目となる「私のからだデモ」、そしてヘイトが吹き荒れた参議院議員選挙に抗し7月「人権ファーストデモ」を行った。とりわけ「少子化」対策は排外主義と掛け合わさり、どんなにシュガーコートをされても内実はその露骨さと醜悪さを増すばかりだ。正直なところ、「社会の底ってまだこんなに抜けるの!?」と、毎日デモをしたくなるようなことが起こり、同時に、毎日生きる希望も元気も削ぎ取られていっているような気がする。
そんな今だからこそ、思いを共にする人たちと一度、立ち止まり、ケアをしあいながら、これまでの歩みを振り返り、反芻する。おかしいことにはおかしいとみんなで言葉のお焚き上げをしながら、未来を見据えていく、そんな場が欲しいと、思った。言葉が生き延びるための心のよすがなら、本は私にとって、生き延びるための、心の居場所だ。
SRHRはとても広い概念であり、今回の特集でそのすべてにはとても触れられない。その中でも本特集で特に綴っていただいたのは、今昔生み出され続けている国家のためなら棄民も辞さない政策の数々や、それによって生み出された差別や蹂躙の中でも生き抗った人々の証、そんな不条理は変えようと諦めない人たちの挑戦の蓄積である。
触れられている時代も、場所も、内容も、それぞれ全然違う。そこに、SRHRの本質があると思う。お国のためならある程度のことは仕方ない、女だから、トランスジェンダーだから、同性愛者だから、クィアだから、障害者だから、移民だから、貧しいから、女郎だから……。そんなの、おかしい。今回執筆をお願いさせていただいた方々は、どなたもそれぞれの素晴らしい知見、専門性で、その不条理への怒りと、これまでの確かな蓄積と、未来への切なる希望を以て、原稿を書いてくださった。
これからまだまだ、どんな社会がやってくるか、先は見えない。残念ながら、明るい希望よりは、不安の方がよっぽど大きい。でもだからこそ、あなたにとって、これから触れる言葉の数々が「大丈夫、生き延びられる」と思う心のよすがに、そしてこの特集そのものが、「ひとりじゃない」と思える心の居場所になりますように。
そしてもちろん、「生き延びる」だけじゃない、できることなら、笑顔がひとつでも多いあなたの毎日を心から願って、このSRHR特集を、届けます。
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特集のおわりに 高井ゆと里
いつごろからか、心の底から怒ることがなくなった。世界はずっとこういうものだから、と醒めてしまっている自分がいる。生きているはずのない時間を生きている。そんな感覚もずっとある。それでも生き続けるのなら。生きられなかった仲間のためにも、長生きしてしまった罪滅ぼしをしなければと思う。与えられた資源と特権を使って、罪滅ぼしをしなければと思う。だから、平易な言葉で入門書を書いて、やさしく伝わる講演をして、にこにこ笑顔で「素朴な疑問」に応えてきた。
怒ったっていいことなんてない。わたしの役目は、仲間を増やすことだから。そう思っていつも活動してきた。これからも、きっとそれは続けるだろう。
昨年12月から「私のからだデモ」を始めた。福田和子さんと松尾亜紀子さんと3人で呼びかけ人になり、「私のからだは私のもの」という、SRHRの根幹にある理念をみんなで確認し、社会に訴えるためのデモだ。ふたりと出会えたことは、奇跡のようなことでもあるし、必然的なことでもある気がする。
それでも、この3人で特集を作ることに不安がなかったわけではない。必ずしも「SRHR」という言葉や理念に親しんでこなかった人たちに、無理をお願いすることにならないか。わたし(たち)のような未熟な特集編集に、原稿を託してくれない人もきっといるのではないか。
不安はすぐに打ち砕かれた。私たちの依頼に対して、すべての方が快諾してくださった。もちろんそれは、松尾さんが築き上げてきた信頼と、福田さんが積み重ねてきた努力のうえにあるものだけれど、特集編集のひとりとして、自分はここにいてもいいのだと安堵したのも事実だ。そしてまた、怒ることすらできないわたしの醒めきった活動を、遠くから見てくれていた方たちがいることにも励まされた。
9月ごろから、原稿が届き始めた。それらはどれも、わたしの想像をはるかに上回る筆圧で書き綴られていた。SRHRを侵害しつづけてきた国家、社会、企業への怒り。不条理への異議申し立て。亡くなってしまった人の生を記録するものから、筆者自身の生身の経験まで。SRHRという理念が求められたのはまさにこのような現実があるからだと、改めて感じさせられるものばかりだ。原稿を通して、またインタビューを通して、特集に協力してくださった方たちと、怒りの周波数が共鳴する感覚があった。わたしの中にも、確かに怒りがある。
特集を読んでいただければ分かるように、SRHRはありとあらゆることに関係している。家父長制・女性差別は言うまでもなく、優生思想や健常主義、人種主義や植民地主義、トランスジェンダーや同性愛者に対する差別、そして貧困や戦争、教育への政治介入、資本主義に至るまで、すべてがSRHRに関わっている。もちろんすべての人が同じ経験をするわけではない。しかし、それら社会のゆがみは、さまざまな仕方で確かに人々のSRHRを侵害してきた。今回の特集で扱いきれなかった問題も多いとはいえ、この特集を読めば、SRHRが幅広い問いを導くものであることが分かるだろう。
特集編集を終えるにあたり、だから重たい責任を授かったと感じている。この特集を世に届ける務めを果たした以上、わたしはひとりのSRHRアクティビストとして、ここで示された問いをともに引き受けつづけなければならないと思うし、その責任を引き受けたいとも願う。そして、特集を作るにあたって確かに共鳴した胸のうちの怒りの熱量を、わたしはその責任を果たすための燃料に変えたい。
SRHRは、実現されるべき理念であり、守られるべき個人の人権である。この理念を旗印にして、さまざまな活動と繋がれる。アイデンティティの政治とはすこし違った社会運動の可能性が、そこにはあるのではないか。うっすらと、そんな期待を抱いていた。特集を終えるにあたり、わたしのその期待は確信に変わっている。
読者であるあなたにも、なにかの関心がきっとあるだろう。それはフェミニズムかもしれないし、トランスジェンダー差別かもしれないし、性教育かもしれないし、気候変動かもしれない。入り口はなんであれ、ぜひSRHRに連なるさまざまな問題の広がりを、この特集から感じ取ってほしい。そして、SRHRというこの旗印のもとに、「私のからだは私のもの」というスローガンとともに、さまざまな社会運動と繋がって、ともに闘う仲間になってほしい。
わたしは、まだしばらくこの社会で闘うことに決めた。
2025年10月