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2025/5/24
2025年5月30日発売『エトセトラ VOL.13』(特集:クィア・女性・コミュニティ)より、特集編集の水上文さんによる「特集のはじめに」を一足先に公開します。「LGBTQ」から消されてしまいがちな女性やノンバイナリー/Xジェンダーの人々による、場所づくりや運動を記録したいとスタートした特集です。特集名にこめた思いをぜひ読んでください。
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特集のはじめに
水上文
自分と似た人たちについて、そのコミュニティの歴史について知りたい。
エトセトラで特集編集をやることになった時、はじめの動機はとても単純だった。けれどもとても単純なこの考えは、すぐに壁にぶち当たった。
いったい、自分の知りたいことは、どんな言葉で表現すればいいんだろう?
わたしは自分を、クィアの女性であると考えている。非異性愛者の女性である、と。
非異性愛者――歯切れの悪い否定形で表現するのは、うまく言えないから。そもそもわたしのパートナーはノンバイナリーだし、異性愛/同性愛といった性別二元論を前提とした枠組みは、しっくりこないのだ。
そんな、既存のカテゴライズに対するしっくりこなさを内包している言葉として、わたしが見つけたのは「クィア」だった。クィアが、かつてエイズ危機下で展開された社会運動に根を持ち、侮蔑語から意味を塗替えられた言葉だということも、先立つ歴史と自分を結び付けてくれるように思えた。
ただ「クィア」だけだとあまりにも指し示し得る範囲が広すぎて、わたしにとって重要なもうひとつのアイデンティティ、「女性」が抜け落ちてしまう。LGBT、と冠されながら結局のところゲイ男性しか登場しなかったりする場面は多い。でも男性と女性では、歴史も状況もあまりに違う。また、わたしにとって、日常での困りごとの多くは女性であることに結びついている。女性の声が軽んじられ、女性に関わるものの価値がいつも貶められ、性暴力が蔓延しているような社会。にもかかわらず女性は男性と恋愛するものだと自明視され、女性同性愛が異性愛男性のためのポルノとして貶められることさえある社会。そんな社会でクィアな女性として生きることは、わたしにとって、フェミニズムなくしてはあり得ないように感じていた。とはいえ、「女性」に限定してしまっては、捉え損ねてしまうものもある。非異性愛を生きる、生まれた時に「女性」を割り当てられた人の中には現に、ノンバイナリーやXジェンダーの人がたくさんいる。男性に性別移行していく人もいる。「女性」だけでは、わたしの生きる現実は、うまく捉えられないのだ。
言葉がない――まだ十分に言い表す言葉を持たない現実を前に、この特集は悩みながらはじまった。でも、手がかりがなかったわけではない。念頭に置いていたのは、主としてレズビアンやバイセクシュアル女性たちのコミュニティや歴史である。なぜなら、彼女たちと、戸籍上同性のパートナーを持つ女性であるわたしには、似たところがたくさんあるように思えたから。異性愛中心の社会でクローゼットに押し込められたり、自分の存在が想定されていないと感じたりする経験を、共有していると思ったから。
実際、クィアな女性としてのわたしは、先立つ人々が切り開き築き上げてきたものの上にこそ存在できているように思う。だからこそ一層、そこに誰が含まれ、あるいは誰がいなかったことにされているのかも含めて「わたしたち」の歴史を受け取る必要がある。もっと記憶しなければ――手探りで企画を始めた時、突き動かされていたのはアーカイヴへの衝動だった。
多くの方にご協力いただき、特集はこの上なく豊かなものになった。どのページも、要約しがたい人生の重みが刻まれている。まだ言葉を見つけられていない数多の物事、特集の外にも記憶されるべき数多の人々と歴史があることを心に留めつつ、ぜひこの豊かさに触れてほしい。それによって励まされる生があることを、わたしは確信しているのだ。
というのも何より、わたし自身がそうだったから。
自分と似たところを持つ人たちの、これまでの軌跡を知ることは、生きていくために必要だった。どんな風に年を取っていけるのか、うまく想像できないままの現状を変えたかった。これからも生きていけると思いたかったのだ。そしてこの特集に関わることは、わたしに希望を、未来への想像力を与えてくれる経験だった。アーカイヴはきっと、あなたの可能性を拓き、現在を養う。他ならないあなたに届くことを、わたしは祈っている。