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2026/8/14

高井ゆと里さんが「トランスジェンダー・フェミニズム」語る新連載が始まります。トランスジェンダーとフェミニズムの関係について、あるいはトランスジェンダーによるフェミニズムについて、今、ここから考えていける連載になるでしょう。フェミニズムは「みんなのもの」なのか、そうなってきたのか、なれるのか。「トランスジェンダーの運動とフェミニズムのあいだに橋をかける仕事をしたい」という高井さんにしか書けないこの第一回を読んで、みんなで考えていくしかありません。そのことに、読む私たちもわくわくしています。
ここ数年、私はトランスジェンダーについて沢山のことを話し、また書いてきた。それは研究者としての責任でもあり、またアクティヴィストとしての仕事でもあった。
ただ、私が話したり書いたりするとき、私は一貫して「誰でも言えること」しか表現してこなかった。
トランスジェンダーとはどんな人たちなのか、性別移行とは何をすることなのか、どんな法律や制度が当事者を苦しめているのか、差別や排除の実態が確認できる調査にはどんなものがあるか、トランスジェンダーやクィアの人々は優生学の歴史とどのように交わっているか…。それらは、あるていど調べて考えれば、誰でも分かること、誰でも言えることに過ぎない。
この文章を読んでいる人にとっては意外なことかもしれないが、私は最近まで、自分がトランスジェンダーであることを公の場で話さないようにしてきたし、ほとんど書いてもこなかった。
それは第一に、私の仕事にとって自分の当事者性が「ノイズ」だからである。
私には研究者としての肩書きがあり、色々な情報にアクセスしやすい特権性があり、そしてメディアや政界、行政、法曹、医療関係者など、公的な権力や専門性を持ちがちな人たちが好む話し方や、文章の書き方をするのが得意だ。
そうしたオーディエンスに情報を届けるにあたって、私にトランスとしての当事者性があることは期待されていないし、求められてもいない。
だから私は、「誰でも言えること」を話したり書いたりすることに徹してきた。
理由はそれだけではない。
私は、自分がトランスジェンダーであることを明かすのが怖い。
私はいま、東京の外れに住んでいる。田畑が多く、もともと自然豊かな土地であることもあって、住んでいる地域にそれなりの数の知人がいる。
クリスチャンでもあるので、まれに地元の教会に通うこともある。最近はダンスも習い始めた。
そうしたコミュニティでは、私はトランスジェンダーであることをオープンにしていない。そうした自己開示はまずもって不必要であるし、カミングアウトによって良い結果が得られる見通しはほとんどない。
私はいまの生活を守りたい。私の過去を知る人のいないこの土地で、できるだけ平穏に暮らしたいと思っている。
性別違和をなくすために性別移行をしたのだから、せめて今の地元では、女性として築いた生活を、できるだけ穏やかに守りたい。
そのためなら、私は平気で嘘も吐く。コミュニティごとに名前を使い分けているし、家族関係や過去の来歴についても、よく嘘を吐く。
そうしたこともあり、新聞やラジオに出るときも、私は自分がトランスジェンダーであることが情報として伝わらないよう注意を払ってきたし、一定以上の読者のいる媒体では、自分の当事者性を、なかでも性別移行の来歴について明示しないようにしてきた。
そして万が一、そうした「研究者として」の私の著述に触れた人が地域の友人・知人にいたとしても、「研究しているから」という言い訳ができるような状態を、できるだけ作ってきた。
そんな自分を、私はみじめだと感じる。
SRHR(性と生殖の健康と権利)の重要性を訴え、トランスジェンダーの権利回復のためにおびただしい時間と労力とキャリアを犠牲にしてきたはずの私は、自分のうちに抱え込んだトランスフォビアを克服することすらできていない。
今も、この文章を書きながら涙腺と胃腸をつなぐ神経の糸が震えている。
それでも私は、「トランスフェミニズムはみんなのもの」というこの連載を始めるにあたって、自分がトランスジェンダーであることを明示化しておかなければならないと感じる。
なぜなら、トランスジェンダーとしての経験をもたない人間が語る「トランスフェミニズム」には、ひとつの説得力もないからだ。少なくとも私はそう感じる。
これまでずっと、「誰でも書ける」文章を書いてきた。
しかしトランスフェミニズムについては、そうはいかない。
私は、トランスジェンダーとしての自分の経験から得られた知恵をもって、トランスジェンダー・フェミニズムを自分の言葉で語りたいと思う。
そして、そうする責任があるとも感じる。
その責任は、自分を偽らないという意味では自分に対する責任だが、ある重要な点で、仲間のトランスたちに対する責任でもある。
私はいま、多くのフェミニスト仲間に支えられて、社会運動と言論活動を続けることができている。仲間のほとんどは、シスジェンダーの女性たちだ。
その一方で、トランスジェンダーの仲間たちとの会話は、私にとって決定的に重要な知恵とひらめきを与えてくれる。
これから連載のなかで示す「トランスフェミニズム」は、そうした仲間との会話なくしてあり得なかったものだ。だから私は、そうした仲間に対する謝辞を述べるためにも、まずは自分がトランスであることをここに明示する。
この連載を通して、私は三つのことを読者と共有したいと考えている。
第一に、トランスジェンダーの解放のためにはフェミニズムが必要であること
第二に、トランスジェンダーの経験に基づく知恵は、フェミニズムを豊かにすること。
第三に、そうして立ち上がるトランスフェミニズムは、「みんな」を解放する可能性を持っていること。
連載では、この三つの方向性がいつも交わり合うことになるだろう。
最後にふたたび、個人的なことを書いておきたい。それは、私とフェミニズムの出会いについてである。
私は人生において、大きく二度フェミニズムと出会っている。
一度目は、大学進学のために上京をしたとき。
「性別」というものがとにかく苦しく、無意味で、腹立たしく、それでも、その苦しさや無意味さや腹立たしさを考えるすべを持たなかった私に、フェミニズムの歴史はたくさんの知恵を与えてくれた。
文字通り、朝から晩まで、平日も休日も問わず、アルバイトが入っていない時間はずっと大学図書館に籠っていた私は、そこでフェミニズムの歴史と理論をたっぷり吸収した。「性別」をめぐる不合理について徹底的に考え、その悪さを言葉にすることをしてきたのは、フェミニズムをおいて外になかった。
しかし、その一度目の出会いは消化不良のまま終わった。当時の私は、社会的な立ち位置としては男子大学生でしかなく、フェミニストの集まりに顔を出してもせいぜい「勉強熱心な男の子」や「フェミニズムの味方」として扱われるだけだった。
そのことを恨んでいるわけではもちろんないが、私が惹き付けられる「性別の解体」を唱えるラディカルフェミニズム理論が、ある地点では徹底的に、シスジェンダーを基準とする男女の二元論を支持しているように見えたことも、私をフェミニズムから遠ざけた。
そして何より、いくらフェミニズムの理論と歴史を勉強しても、私のなかの性別違和に対する答えは見つからなかった。当然のことである。
あまりにもつまらない答え合わせだが、私はトランスジェンダーであり、そのことにともなう性別への不合感と現実喪失感、世界が偽物であるような寄りどころのなさと自死念慮は、フェミニズムに触れてどうにかなるものではなかった。
そうしてフェミニズムから距離を取ってしばらくして、私は生きていく性別を変えて暮らすことになった。
身体の特徴も、社会生活も、公的書類上の身分も変えた。
ある時期までは、女性としてただ埋没して暮らすことも考えた。
しかし数年前からは自分がトランスジェンダーのコミュニティのためにできることについて考える時間が増え、少しずつ言論活動を始めた。
当初は翻訳や執筆、講演が主だったが、まもなく多くのフェミニスト仲間ができ、ともに社会運動に関わるようになった。それが、人生で二度目のフェミニズムとの出会いになった。
昨今、フェミニズムをかたりながらトランスジェンダーを無意味に攻撃するフェミニストも少なくないなか、SRHR(性と生殖の健康と権利)の理念を共有できる仲間にも恵まれ、フェミニストの知人と時間を共にする機会が急速に増えた。
一度目の出会いは、フェミニズムとの「出会い損ね」だった。私は主には図書館でフェミニズムと出会い、性別への問いという、自分にとっても扱いきれない問いに対する誤った答えをそこに求めて消化不良を起こした。
二度目の出会いは、それとは違った。私は、トランスジェンダーを苦しめている社会の構造や規範と、フェミニズムが闘ってきたそれら構造や規範のあいだに明確な連続性を見出すことができる。
私は、トランスジェンダーの権利回復の闘いがフェミニズムと密接なつながりをもつことを心から信じている。個人の性別違和を癒す力はたぶんないけれど、トランスジェンダーの解放をフェミニズム抜きで考えることはできないと、そう思う。
だから私は、いまも色々な理由で出会い損ねているかもしれない、トランスジェンダーの運動とフェミニズムのあいだに橋をかける仕事をしたい。
私には、トランスフェミニズムを語るための知恵をくれるトランスジェンダーの仲間たちがいる。
トランスフェミニズムの発展を期待してくれる、シスジェンダーのフェミニストの仲間たちもいる。
トランスフェミニズムについて、自分の言葉で書き始められる用意がようやく整った。
私はわくわくしている。
高井ゆと里(たかい・ゆとり)
倫理学者。トランスアクティヴィスト。「Tネット」アドバイザー。共著に『トランスジェンダー入門』(集英社)と『トランスジェンダーQ&A』(青弓社)、編著に『トランスジェンダーと性別変更』(岩波書店)、訳書にショーン・フェイ『トランスジェンダー問題』(明石書店)、テレサ・ソーン作/ノア・グリニ絵『じぶんであるっていいかんじ』(エトセトラブックス)があるほか、『エトセトラ VOL.14』では「特集:SRHR」の特集編集を務める。
高井ゆと里「トランスフェミニズムはみんなのもの」