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2023/1/29
2023年2月24日発売、ダリア・セレンコ『女の子たちと公的機関 ロシアのフェミニストが目覚めるとき』より、翻訳の高柳聡子さんによる「訳者まえがき」を公開します。
著者の経験をもとにしたこの小説の舞台はモスクワ、「女の子」とひと括りにされる非正規雇用の女性たちが、自分の身体で国家と社会の歪みを日々受け止めながら、ついに意識の変革を迎えるフェミニスト誕生小説です。ロシアの状況がまったく遠くない日本で、読まれてほしい作品です。刊行までしばしお待ちください。
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本書はロシアの作家でフェミニスト、反戦活動家であるダリア・セレンコの著書『女の子たちと公的機関』(Девочки и институции, М.: No Kidding Press, 2021.)の全訳である。2022年2月に始まったウクライナでの戦争以前に出版されたものだが、その分、戦争へと至る前のロシア社会の状況が垣間見える作品だ。作家の詳しい経歴は訳者あとがきでご紹介することにして、まずはこの小説の理解の一助となる作品の背景を少し説明したい。
この作品はフィクションだが、お読みになればわかるようにドキュメンタリー的な要素と詩的な表現に満ちている。作品の語り手はセレンコを思わせる女性で、舞台はモスクワ、出来事も現実のものだ。セレンコはそもそも詩人で、ガリーナ・ルィンブーやオクサーナ・ヴァシャキナ(この作品の中にも登場している)らとともに、2010年代以降のロシア文学におけるフェミニズム詩のジャンルを牽引してきた。
本作品の主人公=語り手は図書館や美術館で働いている。こうした大きな文化施設はソ連時代からの遺産でもありロシアの各都市に存在するが、そのほとんどは国立で、人文系の大学を出た多くの女性たちが働いている。本書にはそんな彼女たちのもうひとつの現実が描かれている。ロシア語版にはロシアの読者向けに添えられた映画評論家マリア・クフシノワによる序文がある。その一部を引用してみたい。
文化は、プーチン政権下の縦社会のように階層的なものなのだと私たちには説明されている。そしてこの階層のトップにいるのが芸術家で(人文系インテリ家庭出身の男性、あるいは女性の可能性がもっとも高い)、台座の下のほうでは女の子たちがあくせくしている─絵具や筆を運び、ミューズとなり、展覧会場のあと片付けをし、食べ物を用意し、厳しい報告書を書きあげ、来場した人や動物の数をごまかし、会計作業をやり、使い込みが発覚したら刑務所に入る。
豊かな文化と芸術の世界で知られるロシアだが、そこは階層化された閉鎖的な業界でもある。芸術や文化活動には国家からの助成金が出るけれども、それゆえに役所のように汚職や文書の偽造も横行している。
主人公たち「女の子」は、そうした「公的機関」の下層で偉大な芸術や学術界を支えるために薄給であくせくと雑用をこなしている。このあたりの記述には、セレンコ自身の図書館や美術館での勤務経験が存分にいかされている。文書の偽造も、実際には行われなかった行事の報告書や写真の捏造もすべては助成金を受け取るために実行される。不正が発覚したら罪を負うのは下層の「女の子」たち、利益と名誉を享受した上層部にはお咎めはない。私たちがいなければ、この機関は、この国は動かないというのに、なぜこんなにも理不尽な立場なのか─その声は主人公の内部でしだいに高まっていき、ついに言葉となって体の外へと飛び出していく。この小説は、現代のロシアという国で、どこにでもいる一人の女性が、自分の身体で国家と社会の歪みを日々受け止めながら、ついに意識の変革を迎えるというフェミニスト誕生物語でもある。
そして、作品の舞台はほぼ職場なのに、ここには女性の身体をめぐる表現が溢れている。主人公は自分の身体を、同僚の「女の子」たちと机の下でひとつに絡み合うコードのように感じている。同じ日に生理が始まったり、偶然に同じ物を食べていたり、女の子たちの身体はどこか繫がっている集団的なものとして描かれ、やがてもつれあった糸がほどけていくように一人ずつそこから抜け出し、自分だけの身体を見いだしていく。この身体性がテクストの全体に通底しているのだが、作家自身が序文で書いているように、この感覚はセレンコの強度の近視の経験とも呼応している。
22歳のときの目の手術後に世界がクリアに見えるようになり、「自分の身体」を見つけたという体験を、彼女はインタビューで繰り返し語っている。それはまた、ダリア・セレンコというフェミニストが誕生した時期とも重なっている。制度による暴力も実際の暴力も、その多くは女性たちの身体を通して生じるものだ。自身の身体が可視化されたことで、セレンコが社会や国家の暴力をも可視化できたことは、この作品のラストシーンで、失業した「女の子」が一人で街を歩きながら、以前よりもずっと丹念に世界の細部を見ていることに反映されている。
作品内でフェミニストになっていくのは主人公だけではない。ある日、体調不良で次々と早退していった同僚の女の子たちを、主人公はネットで中継されるモスクワの大きなデモ行進の中に見つけるのである。
2019年7月、モスクワ市議選の際に、選管は10名を超える野党陣営の立候補希望者を書類の不備があるとして候補者登録しなかった。そこには反体制派のリーダーであるアレクセイ・ナヴァリヌイ他、リベラル派の政治家たちが含まれていた。これに反発した市民がモスクワのサハロフ広場で不正なき選挙を求めて7月20日に大規模なデモを決行。デモは8月に入っても途切れず、週末ごとに繰り返されて数千人が逮捕された。これに次ぐように、2020年のアレクセイ・ナヴァリヌイ毒殺未遂事件、2021年には彼の逮捕という事態になり、プーチン政権の反体制派に対する弾圧とそれに抗う市民運動は一気に高まっていったのである。
そして2022年、この作品の中で体調が悪いと噓をついて早退し、あの日デモに参加した「女の子」たちは今、戦争をしている権力とまさに命がけで闘っている。こんな「女の子」たちが現在のロシアに数万人もいることを知ってほしい。そして「女の子」たちとは、セレンコが書いているように、性も年齢も実に多様な人たちであることも。