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「南米といえばフェミニズム」第16回:トランスジェンダー漁師のヴィッキー(岩間香純)

2023/6/15

「南米」「ラテンアメリカ」と聞いて思い浮かべるのは? 「危険」「治安」「発展途上」などなど、ステレオタイプが今でもひとり歩きしているのではないだろうか。南米エクアドルに住むフェミニストが、自分と南米とフェミニズムを語り、現地からレポートする、悪しきイメージを蹴散らかす連載エッセイ。今回は、エクアドルで漁師の仕事をして、友人と飲みにいき、ときには愚痴をこぼしながら生活している、ひとりのトランス女性の話です。

 

エクアドルのグアヤス県にあるエンガバオという海沿いの街にヴィッキーというトランス女性が暮らしている。漁師のヴィッキーは地元の人にとって溜まり場となっているバーも経営している。彼女の日常を追ったドキュメンタリー「La Playa de los Enchaquirados」(エンチャキラードスの浜辺)が2021年に発表された。

ヴィッキーは早朝、小さなボートに乗り、漁師仲間たちと漁に出る。そして夜はバーで客と楽しくしゃべりながら過ごす。休みの日はベネズエラのテレビドラマを観るのが趣味。アクセサリーを身に着け、知り合いの女性に髪の毛をセットしてもらいに行く。同じくトランスで漁師の友人と愚痴やゴシップを交わし、昔のように思いっきり踊れる場所がないとカメラの前でぼそっと嘆く。

ヴィッキーやここで暮らすほかのトランスの人たちは自分たちのトランスアイデンティティーを隠さず生活している。地域の人たちや漁師仲間もなんとも思っていないようだ。LGBTQに対して差別的な面も持っているエクアドル社会にしては驚きかもしれない。

さらに驚きなのは、この一部地域のトランスジェンダーに対してのオープンさは近代的な傾向ではなく、古くから存在していたからだという。グアヤス県のセクシュアリティーの歴史を研究した学者のウゴ・べナビデスは、スペインから来た侵略者・入植者たちの日記などの記録物を参照すると、植民地時代以前からヘテロセクシュアルやシスジェンダーではない人間がオープンに存在していたことが書かれているという。

当時のスペイン人からしてみたら、そのようなジェンダーアイデンティティーを持ったフアンカビルカ民族という先住民族の司祭などが「同性愛者」に見え、 彼らのことを「エンチャキラ―ド」と記している。現在、この「エンチャキラ―ド」という言葉はエンガバオのLGBTQコミュニティーが自分たちのアイデンティティーと歴史を取り戻すために使われている。

こうした「sexualidades ancestrales」(先住民、祖先から伝わるセクシュアリティ)はラテンアメリカの各地で存在する。一番有名なのは、メキシコのオアハカ州のフチタンに暮らすサポテク民族の「MUXE」(ムシェ*)というジェンダーかもしれない。エクアドルにも存在したことはこのドキュメンタリーを観て初めて知った。

現代的な「男らしさ」や男女二元論などがメキシコやエクアドルの「伝統的な」セクシュアリティ観・ジェンダー観だと信じている人も多いだろう。「LGBTQは西洋社会の影響」「外来概念」「流行り」だと主張する保守派の人もいる。しかし、アメリカ大陸では実際にはムシェやエンチャキラードのように、いわゆる現代的な「男らしさ」に従わない、シスジェンダーでもない人間は植民地時代以前から存在していたのだ。シス性やジェンダー二元論こそ、当時の西洋社会の影響だと論じる研究もある。

そして、ヴィッキーたちの存在がそれを証明している。ヴィッキーは昔から存在したセクシュアリティを引き継ぎながらも、過去の人間ではなく、今現在を生きる人間としてエンガバオで今日も漁に出て、街の人たちと酒を交わし、生活している。

*ムシェを「第三の性」と呼ぶ外国メディアもあるが、この言い方がサポテク民族の文化や歴史の中のムシェを正確に表現できているかはまだ議論されている。

岩間香純(いわま・かすみ)
アーティスト、日英翻訳家(たまに西語も)。日米の間で育った二文化から生まれるハイブリッドな視点でフェミニズムやアイデンティティなどのテーマを基にメディアを限定せず制作している。アメリカの美術大学を卒業後しばらく日本で生活し、2017年に南米エクアドルに移住。2021年にエクアドルの大学院を卒業。現在も首都であるキト在住。