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「南米といえばフェミニズム」第15回:余裕をよこせ(岩間香純)

2023/4/15

「南米」「ラテンアメリカ」と聞いて思い浮かべるのは? 「危険」「治安」「発展途上」などなど、ステレオタイプが今でもひとり歩きしているのではないだろうか。南米エクアドルに住むフェミニストが、自分と南米とフェミニズムを語り、現地からレポートする、悪しきイメージを蹴散らかす連載エッセイ。今回は、日本に一時滞在していた岩間さんが、東京のウィメンズマーチに参加して痛感した、エクアドルとの違い。デモは権利、という当たり前の意識を日本でも広げていきたいですね。賃金上げろ、余裕もよこせ!

 

今年の国際女性デーは、日本にいたのではじめて東京の渋谷で行われたウィメンズマーチに参加することができた。これまではエクアドルにいたため参加できなかった「政治的な手芸部」の今年のバナーの文字「生存」にも、2マス参加し(このバナーはたくさんのパーツを縫い合わせてつくる)、380人の参加者と一緒に息子も連れて歩いた。

「闘う糸の会」で一緒に活動しているネコさんと一緒に出発地点へ到着し、ほかにも来ていた知り合いと挨拶を交わした。予定時間通りにマーチは出発し(ここはエクアドルとは明らかな違い)、私たちは渋谷の街を歩き出した。6年ぶりの日本である上に、渋谷の人込みが苦手で日本にいたころも避けていたため、多分高校生以来、ほんとうに久しぶりに渋谷を歩いた。

マーチすること自体はとても楽しいし、自由な社会を目指すために集まった人たちと集合体になったことを実感するのは活気と勇気が沸く一方で、エクアドルでは感じることがなさそうな、日本、とりわけ渋谷という場所がもたらす独特な感覚も芽生えた。

まず一つ目は、沿道の人たちとの距離と温度差。私が普段暮らして、マーチなどに参加しているキトのウィメンズマーチや11月25日の女性に対する暴力撤廃の国際デーのマーチには毎年少なく見積もっても千人の参加者はいる。過去には数千人にも至る年もあり、推定1万人の参加者が報告された年もあった。千人規模になると沿道にいる人たちが見えなくなるぐらいのエネルギーになる。

また、沿道からも声援があったりする。車を運転している人はクラクションを鳴らして応援したり、2019年のウィメンズマーチではバスに乗っていたカトリックのシスターたちが突然人工中絶非犯罪化の象徴である緑のバンダナを取り出してマーチ参加者に手を振って支持を表明したり、マーチに直接参加していない街の人たちとの掛け合いが度々ある。(コロナ禍が深刻化する直前の2020年のウィメンズマーチの様子が伺える映像はこちら)

渋谷でウィメンズマーチをすると、参加者より道行く人の数の方が圧倒的に多く、その差を感じざるを得ない。正直それに動じてしまった。キトにももちろんマーチに対して冷ややかな視線の人がいるが、渋谷では何かが違った。エクアドル国民は、フェミニストじゃなくても、デモをすることがある程度一般的になっていることが関係しているかもしれない。たとえアンチ・フェミの人でも、「バカみたい」と思いながらもデモやマーチをすること自体は生活者の権利であるからしょうがないという意識が少なからずあるからかもしれない。

二つ目は、警察の存在が目立った。警察がどこを歩けだの、急げだの、指示を出してくる。キトのマーチにも警察はいるし、なんなら日本の警察なんかよりよっぽど大げさに武装しているが、参加者に指示を出している姿は正直みたことがない。日本の警察は、マーチが進むに連れ口調もどんどんキツくなっている印象で、実行委員は許可を得てマーチを開催しているし、デモは権利なのに、まるで私たちはいけないことをしているかのような態度だった。

日本はやたら「迷惑をかけてはいけない意識」が高いからなのか。低賃金や格差社会、あらゆるハラスメント、人権侵害という「迷惑」(抑圧)がなくなればこっちもマーチしなくて済むんだよ。

しかしなんだかんだ、ウィメンズマーチは楽しかったし、今後も続けてどんどん大きくなってほしいとおもった。マーチで叫ばれたコールの中でも特に印象に残ったのは「賃金上げろ。余裕もよこせ」だった。人に迷惑をかけてはいけない、勤勉でなければいけない、「ちゃんと」しなきゃいけないというプレッシャーが強く、また、権利や善きものは上から「与えられ」、それは「ありがたく頂く」ものという意識が蔓延っている日本社会で、「金も余裕もよこせ」と叫ぶのはとても意味が大きく、ラディカルなことだと思う。

誰かに決められた条件の中で生きるなんて絶対いや。足掻いてやる、余裕をよこせ!

2023年東京ウィメンズマーチ後、闘う糸の会プロジェクトメンバーと

岩間香純(いわま・かすみ)
アーティスト、日英翻訳家(たまに西語も)。日米の間で育った二文化から生まれるハイブリッドな視点でフェミニズムやアイデンティティなどのテーマを基にメディアを限定せず制作している。アメリカの美術大学を卒業後しばらく日本で生活し、2017年に南米エクアドルに移住。2021年にエクアドルの大学院を卒業。現在も首都であるキト在住。