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「南米といえばフェミニズム」第14回:帝国人間として(岩間香純)

2023/3/15

「南米」「ラテンアメリカ」と聞いて思い浮かべるのは? 「危険」「治安」「発展途上」などなど、ステレオタイプが今でもひとり歩きしているのではないだろうか。南米エクアドルに住むフェミニストが、自分と南米とフェミニズムを語り、現地からレポートする、悪しきイメージを蹴散らかす連載エッセイ。今回は、なぜか「白人目線」で世の中を見ている日本人男性への疑問から、今を生きる自分のなかの「帝国の特権や権威」について考えます。

アルゴリズムのせいか、YouTubeにあるタイプの動画を度々おすすめされる。それは、白人男性がアジアへ行って、お店の店員さんなどに突然(自称流暢な)現地語で話しかけて現地の人を驚かせるという、自画自賛系動画。

こうした動画の投稿主は必ずと言っていいほど白人男性である(少なくとも私がYouTubeにおすすめされるものは)。世の中には母語以外の言語を話す人はいくらでもいる。むしろ、非白人や非西洋人口のほうがその割合は高い。しかし、有色人種や非西洋圏の人が母語と英語が話せるのは「英語は世界共通語なんだから当たり前」と思われることに対して、白人が非西洋圏の言語を話すと、「すごいね!」と褒めなければいけない。

なぜなら、彼らは「実用性がないマイナーな」非西洋圏の言語を「わざわざ」習得して「あげているんだから」。被帝国側の人間が植民地言語を覚えるのは学業や就職に必要だったり、時には強制される一方で、帝国側の人間は趣味感覚で被帝国の言語を覚えたり、それを「わざわざ」できるようになるのは賞賛の対象になる。これは植民地思想の現れである。

そういう動画はクリックしない、絶対観ないことでアルゴリズムから消えるのを待っているのに、なぜか今度は日本人男性版をおすすめされた。日本人男性が旅行先でスワヒリ語をしゃべって現地の女性を驚かせる、というような文章が動画のサムネイル画像に書いてあった。

これまでは必ず白人男性だった自画自賛系動画で、日本人男性が同じことをやっているのを見ても正直驚かなかった。それは、日本人、特に日本人男性は「白人目線」で世の中を見ていると感じることが多々ある。日本もかつては帝国だったのが関係しているのだろうか。帝国時代が終わっても、他国を見下す帝国姿勢が残り、グローバルサウスはなんとなく日本よりは「下」と位置づけているのかもしれない。

南米を旅するユーチューバーの動画も「治安最悪のスラム街に潜入!」とか「コロンビア美女に声をかけてみる」など、南米に対して上から目線というか、悪い意味で面白おかしく扱っているものが多い。

日本はアジア諸国を過去には植民地にして、そのまま帝国コンプレックスを引き継いでいるがその自覚や反省がないように感じる。だから、自分よりは「下」と見做す国、とりわけグローバルサウスへの眼差しが白人男性のようだったり、何も考えず南米の治安をコンテンツにしておもしろがったり、時にはそれで利益を得るユーチューバーが現れる。

じゃあ自分はどうなんだ。大学院以外は全てアメリカ式の教育を受けている、完全に帝国に育成された人間だ。また、日本人として、過去の日本の植民地や帝国主義の歴史的恩恵も受けている。そんな私は、どういう立ち位置でこれからも南米と深く関わりを持っていけばいいのか。「南米」というざっくりとした、抽象的な対象だけではなく、一生活者として具体的にここの友達、家族、コミュニティーとどう関係を築いていくか。

「アメリカ」「日本」がもたらす権威や特権を剝ぎ取ったら、私に残るものはあるのか。

今年で南米生活7年目に突入するが、アメリカに育成された日本人として、フェミニストとして、今一度自分のアイデンティティーや立場を考えるべきタイミングかもしれない。

 

岩間香純(いわま・かすみ)
アーティスト、日英翻訳家(たまに西語も)。日米の間で育った二文化から生まれるハイブリッドな視点でフェミニズムやアイデンティティなどのテーマを基にメディアを限定せず制作している。アメリカの美術大学を卒業後しばらく日本で生活し、2017年に南米エクアドルに移住。2021年にエクアドルの大学院を卒業。現在も首都であるキト在住。