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「南米といえばフェミニズム」第11回:フェミサイドのその後、残された母親(岩間香純)

2022/11/14

「南米」「ラテンアメリカ」と聞いて思い浮かべるのは? 「危険」「治安」「発展途上」などなど、ステレオタイプが今でもひとり歩きしているのではないだろうか。南米エクアドルに住むフェミニストが、自分と南米とフェミニズムを考え、語り、現地からレポートする、悪しきイメージを蹴散らかす連載エッセイ。今回は、南米でも深刻な社会問題とされ、エクアドルでは法によって規定されている「フェミサイド」について。11月25日は女性に対する暴力撤廃の国際デー(The International Day for the Elimination of Violence Against Women)です。

 

2021年8月6日に日本で起こった小田急線刺傷事件は日本の人々の記憶にまだ新しいかもしれない。この事件をきっかけに、それまでは主にフェミニストの間でしか聴くことのなかった「フェミサイド」という言葉が一般的に広まったと個人的には感じた。言葉だけ先に急速に広まったため、SNSなどではその意味の誤認もたくさんあったが、メディアの報道にはしばしばフェミサイドという単語と意味が説明されているのもよく見かけた。WHOのレポートではフェミサイドとは「女性が女性であることを理由に意図的に殺害されること」と定義されている。

ラテンアメリカではフェミサイドは深刻な社会問題である。エクアドルでは2014年にフェミサイドが刑法によって犯罪として規定された(刑法141条)。今年の9月の時点ですでに200件以上のフェミサイドが報告されていた。加害者は知らない相手のケースもあるが、配偶者や恋人関係のケースが多い。

フェミサイドという犯罪カテゴリーが当然の様に認知され、刑法に規定されるほどそれが一般化してしまっているのは本当に悲しい話だが、一方で「フェミサイド」というカテゴリーがあるため、件数などが把握できて政治問題としてちゃんと認識されるという面もある。

今年の9月、エクアドル中を震撼させたフェミサイド事件が起きた。弁護士のマリア・ベレン・ベルナルという女性が国立警察学校を訪れて以来、姿を消したというニュースが報道された。失踪は9月11日。10日後に彼女は遺体として発見され、ラッソ大統領は彼女の死はフェミサイドだと認める声明を出した。浮上した容疑者は警察学校に勤務していた彼女の夫。しかし警察がモタモタしているうちに彼は逃亡し、数週間後には中米パナマで監視カメラに映っていたと報道された。

そもそも、なぜ警察学校内でこんなにも簡単に殺人事件が起こってしまうのか。誰一人気づかなかったなんてありえない。調査を行ったところ、案の定、女性の叫び声が聞こえたという証言が複数あったらしい。警察学校には警察官も警察志望者もたくさんいるのに誰一人叫び声が聞こえても助けに行かなかったのか。警察は何のためにいるんだ。

ベルナルさんが行方不明になった直後から、彼女の母親のエリサベス・オタバロさんはメディアの前で娘の捜索、容疑者確保を訴え続けた。そして、ベルナルさんが遺体となって見つかったあとは、真相が明らかになるよう、各方面に呼びかけている。メディアの取材だけではなく、警察学校や警視庁に出向い、責任を持って捜査するよう、また、第三機関も捜査するよう要求している。娘が説明のつかない形で亡くなるという、悲しみのどん底にいるはずの母親は娘のために、せめて真相が明らかになるよう、懸命に声を上げ続けている。

フェミサイドによって命を奪われた女性の母親が半ばアクティビストになるのはこれが初めてではない。2016年に、当時11歳だったバレンティナちゃんはある日突然、学校の校庭で遺体で見つかった。学校からは何の説明もなく、6年経った今でも多くは明らかにあっていない。バレンティナちゃんの母親のルス・モンテネグロさんは、真相を解明し、然るべき処置が行われることを今でも休まず訴えている。モンテネグロさんはフェミサイド根絶のための運動「Vivas Nos Queremos」と関わり、娘の事件、フェミサイドの現実を発信し、二度と起こらないよう活動している。

母親たちは悲しみに暮れながらも、残っている気力をふり絞ってせめて真相が明らかになるよう、そしてこのようなことが二度と起こらないように必死に社会に訴えている。このふたりはこれまでなにかの運動にかかわったこもなければ、もちろん政党などと関係があるわけではない。娘を殺された悲しみと怒りを精一杯に表現しているのだ。娘たちを奪われたのに休む暇もなく行動を起こさざるを得ない母親たちの疲労と悲しみは想像できない。

それにしても娘や妻、姉妹が殺されているのに、母親たちと同じように訴える父親や男家族の姿は滅多に見ない。なぜだろう。悲しみ方はもちろん人それぞれで、家族が殺されたら必ずアクティビストになる必要があるわけではないが、真相や正義のために活動する重荷もまた女性である母親たちに課せられている様に見える。こんな時でもこうして女性が働かされるこの現状、どうにかならないのか。

11月25日は女性に対する暴力撤廃の国際デー(The International Day for the Elimination of Violence Against Women)。フェミサイドによって奪われた命は戻ってこないが、残された私たちにはなにができるか、どうやったら本当の意味で被害家族と寄り添えるのかを考えたい。

 

「キトの警察庁前で行われたデモで道路に書かれた『 vivas nos queremos』(私たちは生きていたい)」

 

ベルナルさんが行方不明になった時に拡散された彼女の写真を模した壁画。その下には燃えるパトカーが描かれ、いかに人々が警察に対して憤りを感じているかが伺える

岩間香純(いわま・かすみ)
アーティスト、日英翻訳家(たまに西語も)。日米の間で育った二文化から生まれるハイブリッドな視点でフェミニズムやアイデンティティなどのテーマを基にメディアを限定せず制作している。アメリカの美術大学を卒業後しばらく日本で生活し、2017年に南米エクアドルに移住。2021年にエクアドルの大学院を卒業。現在も首都であるキト在住。