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「南米といえばフェミニズム」第10回:たかが言葉、されど言葉(岩間香純)

2022/10/14

「南米」「ラテンアメリカ」と聞いて思い浮かべるのは? 「危険」「治安」「発展途上」などなど、ステレオタイプが今でもひとり歩きしているのではないだろうか。南米エクアドルに住むフェミニストが、自分と南米とフェミニズムを考え、語り、現地からレポートする、悪しきイメージを蹴散らかす連載エッセイ。時代とともにジェンダー意識が更新されれば、ジェンダーにまつわることばも変化する。今回は、エクアドルの教育現場で使われている「インクルーシブ・ランゲージ」について。 

 

「インクルーシブ・ランゲージ」というコンセプトを聞いたことがあるだろうか。例えば「妊婦」という言葉。妊娠出産を経験するはトランスの人でもノンバイナリーの人でも可能であり、よって必ずしも「女」ではないことから英語圏では最近は妊娠の話をする時、一部では「woman」ではなく「birthing people」「people with uteruses」という言い方を見聞きするようになった。スペイン語でも「personas con cuerpos gestantes」=妊娠可能な体の人、という表現を見聞きする。こうして、男女二元化されたジェンダーにとらわれず、多様なジェンダーを意識した話し方や言葉を「インクルーシブ・ランゲージ」と呼ぶ。日本語でも「保母」「看護婦」といった言葉が「保育士」「看護師」と呼ばれるようになったのも、ある種のインクルーシブ・ランゲージだと思う。

言語そのものにジェンダーが組み込まれている言語が世界にはいくつか存在する。その一つであるスペイン語では例えば名詞一つ一つが「男性名詞」「女性名詞」に分けられている。太陽は「el sol」で男性名詞。月は「la luna」で女性名詞。また、生き物に対しても、男か女か(動物の場合はメスかオスか)によって呼び方が変わる。先生なら、男性は「profesor」女性は「profesora」となるわけだ。形容詞も名詞が男か女かによって合わせて使うので背の高い男性は「hombre alto」、背の高い女は「mujer alta」となる。

今年の9月、長男の学校が3年ぶりに新学期を対面で始めることになった。始業式での挨拶で、校長先生が「みなさん」と言う時に頑張って「Todos, todas, y todes」と言っていたのが印象的だった。Todosとは「みなさん」という意味だがこれは厳密にいうと男性名詞。不特定グループ対象の場合は男性名詞でまとめるというのが従来型のやり方であるが、近年では男性も女性も含めことをより表現するため「Todos」に「todas」を加えて言うのが増えている。しかし、それではまだ二元化されたジェンダーを反映する言い方なので「インクルーシブ・ランゲージ」にはならない。

インクルーシブにするために、「Todos y todas」に加え、さらに最後は「a」でも「o」でもなく、多様なジェンダーを表現する「e」で発音する「todes」もよく聞くようになった。この手法は「みなさん/todes」という単語だけではなく、例えば「子どもたち」を「niños」でも「niñas」でもなく「niñes」と言ったり、娘・息子を「hijas/hijos」ではなく「hijes」と言ったりなど応用できる。また、書くときは「e」ではなく「x」で書く場合もある(その場合も発音は「e」でする)。

この類の「インクルーシブ・ランゲージ」にはもちろんアンチがたくさんいる。どんな人がアンチかは私が説明しなくてもこの連載を読むようなあなたにはもう想像がつくであろう。特に教育者が「e/x」を使うと、「それは『正しいスペイン語』じゃないのに教育者が使うのは教育の観点からみてよろしくない」とそれっぽい理由をつけてクレームをつける人はいくらでもいる(そもそも『正しい西語』とは?)。私の大学院の教授の中にも、インクルーシブ・ランゲージは「やりすぎ」で「言語的にも必要ない」と、学術っぽい理論づけで反対していた男性教授が一人いた。

長男の校長も、挨拶で「todes」と言うとき、少し緊張しているように見えたし、言った後はごまかすように少し笑っていた。おそらく「todes」を使ったらこれから一部の保護者からクレームが来るかもしれないのをわかっているからだろう。しかも、数世紀に及びスペイン語の規範化を行ってきたスペイン語の権威的組織、レアル・アカデミア・エスパニョーラも「e」や「x」を使うインクルーシブ・ランゲージに対して否定的な姿勢を公式表明した。これもアンチ派の主張にとっては好都合だ。

それでも校長が頑張ってインクルーシブ・ランゲージを使ってよかったと思う。そもそも言語とは時代とともに変化するものであろう。インクルーシブ・ランゲージは文化や言語の伝統に反しているのではなく、文化や言語を更新していると私は捉えている。長男の校長がインクルーシブ・ランゲージを使うことで「この学校ではジェンダーの多様性を尊重します」というメッセージになるし、何より自身のジェンダー・アイデンティティーに悩んでいたり、カミングアウトできない生徒にとっては安心できる環境作りになるだろう。

言語はツール。そのツールは差別を助長するために使うか、差別を無くすために使うかは私たち次第。
 

EL ESPACIO PÚBLICO ES NUESTRX!(パブリック・スペースは私たちのものだ!)
NUESTRX(私たちの)がXで書かれるインクルーシブ・ランゲージを使用した筆者の作品。

 
 
岩間香純(いわま・かすみ)
アーティスト、日英翻訳家(たまに西語も)。日米の間で育った二文化から生まれるハイブリッドな視点でフェミニズムやアイデンティティなどのテーマを基にメディアを限定せず制作している。アメリカの美術大学を卒業後しばらく日本で生活し、2017年に南米エクアドルに移住。2021年にエクアドルの大学院を卒業。現在も首都であるキト在住。

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