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「南米といえばフェミニズム」第7回:グローバルサウスの声を聴こう【前半】(岩間香純)

2022/7/15

「南米」「ラテンアメリカ」と聞いて思い浮かべるのは? 「危険」「治安」「発展途上」などなど、ステレオタイプが今でもひとり歩きしているのではないだろうか。南米エクアドルに住むフェミニストが、自分と南米とフェミニズムを考え、語り、現地からレポートする、悪しきイメージを蹴散らかす連載エッセイ。今回は、著者が住むエクアドルを含む南側の国々「グローバル・サウス」が語られる際、強調される「発展途上」のイメージについて。その「発展」とはそもそも何を指すのかを問います。

 
「気候危機とグレタと資本主義ーー若き経済思想家が説く新しい「脱成長」論」(2020年10月)と題した斎藤幸平氏のインタビューを読んだ(注1)。全体的な主張は理解できるが、視点がいかにも「発展途上国を『助けてあげる』先進国知識人」というでグローバル・サウス(注2)に対してあまりにもパターナルな態度だったのが印象に残った。

マスメディアはラテンアメリカやアフリカ諸国の「発展途上」の面ばかり見せるため、外からだと漠然とそんなイメージがあっても驚きではない。しかし「グローバル・サウス」と一言で言っても、全員が“先進国”(注3)のメディアうけする「発展途上生活」をしているわけではない。実際のところエクアドルでも、ライフラインの設備が十分ではない地域もある一方、都市部のお金持ちなどはモールで買い物をして、子供を英会話やスイミングに通わせ、海外旅行をする人もいる。

例のインタビューで対象となっている「グローバル・サウス」像は多分「発展途上イメージ」であろう。そこで、記事内の以下の3点の発言が特に気になった。

・「南側の国々は発展すべきです」
・「カーボンバジェットをより多く南側に配分すれば[…]南側の人々はより幸福になるし、生活状況は改善する」
・「スローダウンとは、まさに先進国によるグローバル・サウスのためのスローダウンです」

一見、南側の人のためを思った様に聞こえる発言であるが、実際グローバルサウスに暮らし、環境問題運動やフェミニスト運動などを間近で見ている者としては腑に落ちない発言ばかりだ。

まず、「南側の国々は発展すべきです」という発言。

その「発展」とは何を意味するのか問いたい。物質的な富やインフラ整備を増やして生活を「豊か」にすることか。”先進国”の間で共有されている西洋的な「発展」の価値観は「時間」の概念と密着している。その概念では時間は一直線に先へ進行し、発展はそれと同期することで文明を豊かにすることが理想型だ。未来は過去よりも発展してるはずで、その軌道を逆走することは「後退」することであり、許されない。また、「発展」を拒否することも許されない。常に前へ前へと進むことだけが正解とされる世界だ。その「発展像」を押し付けたいのか。

2017年にアクシオン・エコロヒカという環境保護のアクティビスト団体と一緒にエクアドルのアマゾンに住むシュアール民族を訪れたことがある。熱帯雨林なので、東京の夏の猛暑ぐらいの湿気と暑さを覚悟して行ったら、植物が熱を吸収していることもあり意外と涼しくて、東京の夏なんかと比べたらよほど快適に過ごせる環境で拍子抜けだった。しかしその地域は政府が石油会社に土地を勝手に売ったことによって、シュアール民族の一部が強制移動をさせられていた。移動先には政府が用意したコンクリートなどを使用した、シンプルな作りではあるが、いわゆる「現代的な家」が建てられていた。しかし、その家はアマゾンの気候と合わず、室内は湿気がたまりがちで風通しも悪く、シュアールの人たちは困っていた。

その一年後、別の用事でアマゾンのさらに奥で暮らすサパラ民族の村に行った。アマゾンの入り口にあるプヨという街まで行き、そこから3人乗りの小型ジェット機で30分飛び、ジャンチャマコチャというサパラの村に到着した。そこでは代々受け継がれた生活を今もほとんど保っている。電気もガスも水道もなく、家屋も森で取れる素材で建てている。案内された寝床ももちろんエアコンはないが日が暮れればちょっと肌寒いくらいで、寝袋でちょうどいい温度調節になる。コンクリートではなく、自然素材でできた高床式の家がこの地域で生活するに一番いいのだと実感した。当たり前だが、アマゾンで快適に暮らす方法はそこに何世紀も生きてきた人々が一番よくわかっている。
 

上:サパラ民族の村にて。共同スペースとして使われていた建物
下:村と村の行き来はカヌーに乗って川で移動

 
極端な例ではあるが、グローバル・ノースが想像したり、エクアドル政府が強制する「発展した生活」はアマゾンの現実と噛み合わないのだ。

2006年から2017年、エクアドルの政権を握ったコレア大統領はたくさんの「発展改革」を試みた。その一つが、先住民の村の学校を閉鎖し、政府が指定した学校に生徒を集結させる「教育改革」だった。それまでは各村で学校を持っていたのが、この政策によって子供たちは自宅から遠く離れた学校に時間をかけて通学することになった。その改革の影響はただ通学路だけに及ぶものではなかった。「改革」によって教育が政府指定の基準に合わせて統一化されることでもあり、民族の言語や知識、村の暮らしの知恵を継承するのが難しくなった。全て「発展」の名の下に。

今はコレア政権時代からその規制が少し緩和され、インターカルチャー教育などが推進されたり、スペイン語と先住民語(主にキチュア語)のバイリンガル教育などが試みられている。少しずつではあるが、先住民の村の学校が再開された地域もある。しかしまだ道のりは長い。

“先進国”にしか住んだことない人は、非常にシンプルなイメージしか持たないまま「どこどこは発展すべき」と言ってしまいがちだ。しかし「発展」はそんな簡単な概念ではない。医療インフラなど、必要なものももちろんあるが、「発展」はただ生活が便利になって、学力が上がって(そもそもその「学力」という概念も問われるべきだ)、単にみんながグローバルノースのような暮らしができるようになることではない。

なぜなら「発展」は多くの変化をもたらすかもしれないが、その全てが望ましいものとは限らないからだ。エクアドル政府は先住民を「発展させよう」とあれこれするが、それによって先住民のアイデンティティーが奪われることもある。むしろそれが狙いである。全員程よくマジョリティー化すれば国の「遅れた」イメージを払拭できる、と政府やエリートは勘違いしている。また、政府は「国の発展」を言い訳に、アマゾンの自然資源を採掘すべく、そこに住む先住民の生活を破壊することを正当化する。これについては詳しくは次回お話したい。

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今回の連載は2回に分けてお届けするため、続きは来月読みにきてください。

【注】
(1) 私は無料のヤフー記事として読んだが、今はこちらの毎日新聞で購読という形しか見当たらなかった。
(2) 世界を「先進国/発展途上国」と分類することの意義が近年議論されている。「グローバルノース/サウス」という呼び方は地理を示し、その方が言葉の印象から上下関係が生まれないことから使用が増えている。
(3) 私がここで”先進国”という単語を使う時は上下関係を批判するためカッコに間に入れている。

 

 
岩間香純(いわま・かすみ)
アーティスト、日英翻訳家(たまに西語も)。日米の間で育った二文化から生まれるハイブリッドな視点でフェミニズムやアイデンティティなどのテーマを基にメディアを限定せず制作している。アメリカの美術大学を卒業後しばらく日本で生活し、2017年に南米エクアドルに移住。2021年にエクアドルの大学院を卒業。現在も首都であるキト在住。

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