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「南米といえばフェミニズム」第5回:家族別姓(岩間香純)

2022/5/14

 

「南米」「ラテンアメリカ」と聞いて思い浮かべるのは? 「危険」「治安」「発展途上」などなど、ステレオタイプが今でもひとり歩きしているのではないだろうか。南米エクアドルに住むフェミニストが、自分と南米とフェミニズムを考え、語り、現地からレポートする、悪しきイメージを蹴散らかす連載エッセイ。第5回は、エクアドルやスペイン語圏の「完全夫婦別姓制」について。岩間さんの家族は、夫婦別姓どころか家族全員ちょっとずつ名字が違う「家族別姓」! 夫婦別姓で絆がどうとか言っている国とは随分違うようで……

 

エクアドル及びスペイン語圏では、完全夫婦別姓制である。結婚しても姓を統一することは(私の知る限り)ほぼほぼなく(*1)、両親の婚姻関係を問わず子どもが生まれた時に父姓と母姓、両方がつけられ、だいたいみんな一生そのまま死ぬまで変わらない。例えば、私の父の姓は岩間であり、母の旧姓が「佐藤」だとしよう。スペイン語圏式にいくと「Kasumi Iwama Sato」になるわけだ。そして普段メインに使うのは最初に来る父姓である。

順番に関してはこれまではずっと父姓を先につけることが決まっていた。そうなると、次世代に引き継がれるのは父姓となる。基本的にそこは父権主義だった。しかし、2016年にエクアドルの法律が変わり、両親の同意でどっちの姓を最初にするか決めていいことになった(ただし、同じ両親の間に生まれた兄弟姉妹は、第一子で決めた順番で統一)。なのでうちの場合は、息子を「Díaz Iwama」にするか「Iwama Díaz」にするか、パートナー(Díaz)と私(岩間)の二人で決めていいことになる。

この選択肢のことをこれまで知らなかったので、私たちはそれまでDíaz Iwama になるんだと当たり前のように思っていた。でも選んでよいと言われると、ちょっと考えてしまう。二人とも特にこだわりはなく、「どっちのほうが便利かな?」「どっちの順番にしたほうが得をするとかあるのかな?」なんてかなり適当な基準で考えていた。

エクアドルで暮らす限り、便利なのはやはりDíazを先にする方だろう。「イワマ」の綴りを説明する時、一文字ずつ言いながら、特に電話や窓口越しなど聞き取りにくそうな状況ではIwamaのM(エメ)がN(エネ)と間違われないように「マリアのエメです!」と念押しする。毎回ちょっとめんどくさい。それを考えると普段使うことになる、先にくる名字はDíazにしてあげた方が親切かもしれない。でも自分のアイデンティティーの一部になる名前を決めるのに他人の聞き取りやすさに気を使うのも納得いかなかったので、それを理由に決めるのはやめた。

パートナーには小学生の息子(以下「長男」)がいるため、彼に名字の順番について意見を聞いてみることにした。長男は生まれてくる赤ちゃんが男の子だと知った時、弟ができる事を泣くほど喜んでいたので、きっと最初の名字はお揃いでDíazがいいと言うだろうと私は勝手に想像していた。でも聞いてみると意外にも「Iwama Díaz がいいよ」という答えが返ってきた。理由を聞くと「だって名前にいろんなバリエーションあったほうが面白いし、いつもパパの名字ばっかりが先はフェアじゃないと思う」と言った。

そこには「家族の絆」「一体感」という思考はなく、長男も弟と名字が異なることに抵抗はなかったようだ。長男もそう言っているし、Iwama Díazにすることにした。

もちろん法律が変わっても「父姓が先」という固定概念は残っている。パートナーの父親家族がベビーシャワーを開いてくれた時、義父は「これで第4世代のディアズがまた一人増えるな」と言っていた。私とパートナーの表情がよっぽど「ドキっ!」としていたのか、親戚のおばちゃんが「もしかしてカスミの名字を(先に)つけるの?」と尋ねた。「あ、はい、そうでーす」と二人で答えたら親戚のおばちゃん勢は「今はどっちでも決められるからいいわよねー」「私も息子たちの名字は自分のを先にしたかったわー! どうせ父親とは離婚したし」と面白がってくれた。

父姓を先にすべき、という概念は個人のレベルでは「気持ち」の問題かもしれないが、それが何世代も積み重なり、社会全体で共有されていると、気持ちではなく既得権や権力関係の問題になる。父権主義的につけられる姓を通して得てきた既得権を失うことは家父長制に依存する人達、この場合は男性が「当たり前」の立場を捨て、女性と平等な立場で共に子供の名字を決めることになる。それに耐えられない人は多いだろう。今までは当たり前のように自分(男性)の姓が引き継がれると思っていたのに。

日本の夫婦別姓反対派も、同姓であることが家族の一体感とか絆とかに関係するなんて本気で信じていなく、夫婦別姓にしても社会が崩壊しないことはわかっているのではないかと私は思っている。それでもなぜ96%の確率で男性の姓に統一される現行の夫婦同姓制度にこだわるかというと、父権主義や既得権を手放したくないからであろう。夫婦別姓によってこれまでの権力構造が変わるのを懸念しているのではないか。

私の姓は岩間。パートナーはディアズ=チャベズ。
長男はディアズ=母姓。次男はイワマ=ディアズ。

夫婦別姓どころか、全員ちょっとずつフル名字が違う「家族別姓」状態だ。「バラバラ」という言い方もできるだろうけど、私は長男が言うようにこの状況を「バリエーションがある」と言いたい。そして、何より私たち家族の関係は名前に縛られていない。誰が偉いとか、ここは誰の家だ、ではなく、それぞれ家族のメンバーが尊重される生活を送りたいと思う。

 


この3月に無事誕生したイワマ=ディアズの出生届。*名前は消してあります。

 

*1 昔は結婚を機に「女性の名前+ de 夫の父姓」(〜家の)と付け加える女性もいたが、最近はそれも滅多に聞かない。つまり、結婚して「岩間香純 de Díaz」(ディアス家の岩間香純さん)にすることで婚姻関係を示すことができた。うちは結婚していないので関係ないが。

 

岩間香純(いわま・かすみ)
アーティスト、日英翻訳家(たまに西語も)。日米の間で育った二文化から生まれるハイブリッドな視点でフェミニズムやアイデンティティなどのテーマを基にメディアを限定せず制作している。アメリカの美術大学を卒業後しばらく日本で生活し、2017年に南米エクアドルに移住。2021年にエクアドルの大学院を卒業。現在も首都であるキト在住。