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「南米といえばフェミニズム」第4回:公共空間での授乳(岩間香純)

2022/4/14

 

「南米」「ラテンアメリカ」と聞いて思い浮かべるのは? 「危険」「治安」「発展途上」などなど、ステレオタイプが今でもひとり歩きしているのではないだろうか。南米エクアドルに住むフェミニストが、自分と南米とフェミニズムを考え、語り、現地からレポートする、悪しきイメージを蹴散らかす連載エッセイ。第4回は、ラテンアメリカの「授乳」事情について。

 

カルチャーショックというものをあまり感じたことがない。たぶん、子供の頃から「家では日本の家族、外はアメリカ社会」という文化や習慣の極端な違いを日常的に体験していたからかもしれない。たとえば、アメリカの小学校に上がった時、母が持たせてくれた日本風の弁当に入っていた海苔を「気持ちわる―い」とクラスメートに言われた経験などから、幼い頃から「世の中いろんな人がいるんだな」という感覚が身についたのだと思う。そのせいか、知らない場所で新しい状況にぶち当たってもあまり驚くこともなく、「ここではきっとこれが普通なんだろうな」で終わることが多い。

そんな私が珍しく驚いたのは、初めてラテンアメリカを訪れた時、女性たちが公共空間で平気で赤ちゃんに授乳させていたことだ。もちろん授乳ケープのようなもので隠さずに。メキシコのオアハカ州に暮らす友達の家に遊びに行って、家と街の中心部の間の移動は相乗りタクシーを利用しても、そこで相乗りになった見知らぬ女性もタクシーの中で、赤の他人である私が隣で座ってても全く気にせず赤ちゃんの授乳を始めた。

エクアドルでも友人たちと食事に行った時、赤ちゃん連れだった友達はレストランで授乳を始めたし、バスでも周囲を気にせず授乳する人を度々見かける。大学院でも、生後数ヶ月の赤ちゃんがいたクラスメートは授業の合間に、シャツをめくっては搾乳ポンプで母乳をボトルに移してた。周りに男性クラスメートがいても「これ、たまにやらないと漏れるんだよね〜(笑)」と説明しながらやっていた。

公共空間でのケープなしの授乳は、それまで過ごしたアメリカや日本ではあまり一般的ではなかったので、最初は驚いた。アメリカでは近年、授乳中の胸は性的ではなく、赤ちゃんの生存と健康に必要な行為なので隠す必要はないし、ましてやトイレでさせるなんてかわいそうと考えるひとが増え、公共空間で気を使わず堂々と授乳する社会的な動きが一部では盛んになっているが、私がこれまで経験したラテンアメリカではそのような社会的な動きや議論をするにも及ばないほど「授乳姿を隠さない」ことがそもそも一般的であったように見えた。

エクアドルのある大学がSNSで「キャンパス内に新たに授乳室を設置しました!」と大学の公式ページで投稿した時、コメント欄はもちろん称賛の声もありながら、「これで『立派な授乳室があるんだから授乳はそこでしろ、外でするな』って雰囲気にならないか心配」という声も目立った(一応言っておくが、授乳室が悪い、という話ではない。授乳室の利用が暗黙のルールと化すことへの不満や不安の表現である)。

そもそも授乳姿を隠すべき、という暗黙のルールはどこから来ているのか? なぜ、カフェで授乳させると「みっともない」、時には「不衛生」とまで言われないといけないのか。

「私たちは文化的で高度な文明ですから。女性が公共でおっぱいを晒すなんて野蛮なことはしませんよ」という考えがあるのではないか。

裸は野蛮、裸を隠すのが文化的な生活、という現代社会の規範。そして女性の裸はさらに歴史的に抑圧されてきた。家父長制社会では女性の体、ましてや裸体は男の都合のためだけにあるのだ。それを授乳であろうと、堂々と主体的に公共空間で出すのはあらゆる抑圧の規範を否定する行為。女性たちが自分で自分の体を使ったり表現したり、特に性をコントロールするのはもっての外。だから女性が平然とケープもせずに外で授乳させる姿に家父長社会は嫌悪感を抱く。抱くだけではなく、それを言葉にし、授乳している人を罵倒する人も少なくない。

「不快だ」
「みだらだ」
「周りに気を使え」

しかし母乳が出る点以外では、女性の胸は男性の胸と何ら変わりないものである。そして授乳はいつ、どこでしなければいけないのか計画するのが非常に難しい上、1日に何回も行う必要があり、赤ちゃんには大事な食事である。それを制限したり、隠れてしろという文化は誰の傲慢、権力維持のためにあるのだろうか。

この原稿を書いている今、私も妊娠後期だ。赤ちゃんが生まれたら、きっとこれから必ず外出先や公共空間などで授乳しなければいけない時がくる。必要に応じて授乳室を利用することもあるだろうけど、必要がなければこちらの友人や女性に倣って堂々といつでもどこでも授乳したいと思っている。

 

La lactancia es política(授乳は政治的だ)

 

岩間香純(いわま・かすみ)
アーティスト、日英翻訳家(たまに西語も)。日米の間で育った二文化から生まれるハイブリッドな視点でフェミニズムやアイデンティティなどのテーマを基にメディアを限定せず制作している。アメリカの美術大学を卒業後しばらく日本で生活し、2017年に南米エクアドルに移住。2021年にエクアドルの大学院を卒業。現在も首都であるキト在住。