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「南米といえばフェミニズム」第2回:ラテンアメリカのフェミニズムとの出合い(岩間香純)

2022/2/15

 

「南米」「ラテンアメリカ」と聞いて思い浮かべるのは? 「危険」「治安」「発展途上」などなど、ステレオタイプが今でもひとり歩きしているのではないだろうか。南米エクアドルに住むフェミニストが、自分と南米とフェミニズムを考え、語り、現地からレポートする、悪しきイメージを蹴散らかす新連載スタート! 第2回は、南米のフェミニズムとの出合いについて。

 

今もある程度そうだろうけど、私が日本にいた2012年から2017年頃は英語至上主義社会だった。日本で暮らしながら英語ができると、仕事の選択肢が増えるだけでなく、チヤホヤされたり、生温い心地よさの中で生活できたりする。それに慣れてしまいそうな自分に気づき、これでは一生成長しないかもしれないと危機感が芽生え、英語の世界を抜け出すためにスペイン語の勉強を2014年に始めた。

その頃とほぼ同時期に、ネットメディアを中心に日本でもフェミニズム関連の言葉が回り始めた(という感覚が私にはあった)。第4波だろうか。ポップでおしゃれで、ガール・ボス的なフェミニズムが、ハリウッド女優やファッション業界や企業広告を通じ発信されていた。ガール・ボスという言葉はナスティ・ギャルというネットショッピングサイトを立ち上げたソフィア・アモルーソ社長の2014年出版の著書のタイトルとしてアメリカのメディアに登場した。既存の男性中心のビジネス界で逆境を乗り越え、個人的に成功する女性を意味する用語として瞬く間に広がった。

I’m not bossy, I’m a boss!
私は”偉そう”なんじゃない。リーダーなの!

その頃のフェミニズムの雰囲気を表すと、こんなところだろうか。

すこし時を遡るが、高校生だった2006年頃、ある企業に勤める一般女性の密着取材を日本のテレビで観た。その女性は当時にしては全体的に珍しい、幹部クラスの社員だった。彼女は年上男性含む社員や部下を怒鳴りつけ、威圧的な態度で仕事に挑んでいた。それをナレーションが「男性のように仕事を回す」みたいな風に『仕事ぶり』を称賛していた。番組を一緒に観ていた母は一言、バッサリ「なんか違うよね」。私も見ていてなんだか居た堪れない気持ちになったし、人を怒鳴る彼女のような大人になりたいなどと思わなかった。

しかし、アメリカでも日本でも一般的にまず大きく広がりを見せたのは大抵このタイプの「男女平等」だった。つまり、バリバリ仕事をしてどんどん経済力と権力を上げて行く”たくましい女性”。それもそのはず、これは資本主義と家父長制にとっては都合のいい『女性活躍』のモデルだ。消費者としての力を蓄え、権力構造に依存する人間がいなければ資本主義と家父長制はうまく行かない。

一握りのエリート女性が権力構造の頂点に立てばその恩恵は非正規雇用の私や母のようなケアワーカーや労働階級に浸透するのか。それとも私たちの上に落ちてくるのは割れたガラスの天井の破片か。そのガール・ボスの道には、例えば私の母のような労働者や非正規労働女性は一体どれくらい参加できるだろうか。ガール・ボスがボスでいられるのは、労働者階級女性を中心に、いろんな搾取の構造の上に立っているからではないか。

のちにそういうガール・ボス的フェミニズムは『ネオリベラルフェミニズム』であることを知り、自分が求めているものではないという結論に至った。前回述べたように、私は10代の大部分を裕福ではない母子家庭で生活しながら、父方の祖父の経済支援で東京のインターナショナルスクールに通った。今思うとその経験は私のフェミニズムの基盤になったかもしれない。

資本主義と相性の良い道に私の求める自由はない。既得権のある女性がさらに権力を得ることによって、既得権のない女性やマイノリティーが搾取される構造を崩すことはできない。オードリー・ロードの言葉を借りたい。

「主人の道具で主人の家を壊すことはできない。一時的に勝ったかのように見えても、それは真の変革へはつながらない。この事実は支配構造に依存している女性にとっては険悪なことであろう (1)」

私が求めていた変革を導くフェミニズムには、ラテンアメリカで出会った。
この地で触れるフェミニズムに感じる魅力は、数年前の欧米諸国で注目されたガール・ボス的な方向性ではなく、家父長制や資本主義、新自由主義をぶち壊そうと長い間戦ってきたことだ。言い換えるなら「脱植民地化のため」のこの戦いには、様々な形がある。採掘主義・ネオ植民地主義と闘う先住民女性たち。廃絶主義(2)活動をする女性たち。国境問題をフェミニズム問題として取り組む移住者コレクティブ。(3)

果てしない戦いにみえるかもしれないが、資本主義や家父長制を根絶し、全く別の価値観で世界を築き直すことでしか私たちは解放されることはない。それはちょっと望みすぎだとか、非現実的だと思う人は多いだろう。私だって、しょっちゅう迷いがあったり、日常や自分の中の矛盾があったりするのは否めない。しかしアーシュラ・K. ル=グウィンのこの言葉に希望を感じる。

「私たちは資本主義の中で生きている。その力からは逃れらようがないように思える。しかし、かつての王権神授説もそうだったはずだ(4) 」

私には想像もつかない世界のあり方を作ろうとしているラテンアメリカのフェミニストたちから、これからも学んでいきたいと思う。

ボリビアのアナルコ・フェミニストコレクティブ「ムヘレス・クレアンド」のグラフィティーの中でもお気に入りの一つ。
Ante el poder, no te empoderas, te rebelas
権力を前にした時、自分をエンパワーするのではなく、反乱せよ。

 

【注】
1 “For the master’s tools will never dismantle the master’s house. They may allow us temporarily to beat him at his own game, but they will never enable us to bring about genuine change. And this fact is only threatening to those women who still define the master’s house as their only source of support.”Audrey Lourde
2 Abolition=刑務所制度への反対、廃絶を求める運動。他には法整備で問題を解決することに反対している。
3 これら取り組みや問題意識は決してラテンアメリカ特有のものではなく、欧米諸国でももちろんこういうフェミニズム活動をしている人は多くいる。しかし、ほとんどが有色人種やトランス/ノンバイナリーの人が主体となっているため、白人中産階級以上の女性が関わるホワイトフェミニズムやネオリベラルフェミニズムの方が主流メディアなどを通してより世界的に注目を集めて、先に広がりを見せることが多い、と個人的に感じている。
4     “We live in capitalism. Its power seems inescapable. So did the divine right of kings.” Ursula K. Le Guin

 

岩間香純(いわま・かすみ)
アーティスト、日英翻訳家(たまに西語も)。日米の間で育った二文化から生まれるハイブリッドな視点でフェミニズムやアイデンティティなどのテーマを基にメディアを限定せず制作している。アメリカの美術大学を卒業後しばらく日本で生活し、2017年に南米エクアドルに移住。2021年にエクアドルの大学院を卒業。現在も首都であるキト在住。