「南米といえばフェミニズム」第1回:フェミニズムとの出合い

2022/1/14

 

「南米」「ラテンアメリカ」と聞いて思い浮かべるのは? 「危険」「治安」「発展途上」などなど、ステレオタイプが今でもひとり歩きしているのではないだろうか。南米エクアドルに住むフェミニストが、自分と南米とフェミニズムを考え、語り、現地からレポートする、悪しきイメージを蹴散らかす新連載がスタート!

 

日本において南米、及びラテンアメリカのイメージは「危険」「発展途上」など漠然としたステレオタイプが今でも一人歩きしていているが、自分の経験上「南米といえばフェミニズム」と感じているので、そのままこの連載のタイトルにした。ここでは「治安」とか「発展」という単語を安易に使わずに南米を語ろうと思う。

第一回目はまず、なぜ私がフェミニズムに目覚めたのかをお話ししたい。

私は物心ついた頃にはアメリカにいて、小学校の途中から日本に引越した。

東京では、母、妹、私の3人家族で暮らす、いわゆる「母子家庭」であった。母は看護師だったため、安定した職はあるものの、日本の看護師給料は高くない。私たちは6畳の部屋で川の字になって寝る生活だったが、3人ともあまり細かいことは気にしない性格ということもあり、「貧乏だけど、ケチじゃない」という母の教えの下、特に不満もなく暮らしていた。

いくつか転校先の候補はあったが、父方の祖父母が学費を払うからと、東京のインターナショナル・スクールに通うことになった。

インターナショナルスクールは一般的にお金持ちが通う場所である。私の学校も例外にあらず、経済的に潤っている家庭の子供が多く通っていた。そんな中、高校生ぐらいからある疑問を持つようになる。「同じ大人一人が稼ぐ家族構成なのに、なんでお父さんが働いているほかの家族と、お母さんが働いてるうちではこんなにも生活に違いがあるのだろう」

学校にその答えはなかった。なぜなら学校、特にインターナショナル・スクールというところは「実力主義」の建前が強い場所であると同時に、ある程度までは確かに実力があれば、ジェンダー問わず生徒会長になれたり学内で評価されることもある。そのせいか、学校ではジェンダーや人種差別の構造的な問題には触れず「努力ややる気が足りない」など、多くのことが自己責任論に転換される場所でもあったように今では思える。

大人の社会も「実力主義」であると思わされていた高校生の私には、男女での賃金格差は時に(不公平にも)「ジェンダー」が絡んでいることには自分で気づくことができなかった。うちが貧乏なのは母の努力や実力が足りないからだとも思えなかったが、「看護師は女がやる仕事って思われてるから、設定されてるお給料が最初っから少ない」と母に説明されてもその理屈もわからなかった。人が一番弱って助けを求める時に助ける仕事をしているのに、なんでお給料に反映されないのか?

ジェンダー差別をいまいち理解できないまま数年後、高校を卒業してから渡米してニューヨークの大学で受けたフェミニズム文学の授業で制度と文化の両方からできる構造的な性差別があることを言葉で知り、あらゆることの辻褄が合った。この時期の一番の収穫は「怒っていい」ということに気づけたこと。差別の実態に目が開かれてからは、怒りは増える一方でなんだか楽にもなった。通っていた美大では4年生の時に公開評論会が設けられるのだが、生徒数は女子の方が圧倒的に多いのに公開評論会に選ばれるのは75%が男子学生であることに抗議するため、女子で同じショッキングピンクのリップを塗って出席するという行動に移せるまでになった。

卒業し、日本に帰国して少し経った頃のある日、家から最寄りのバス停まで歩いていた。そしたら、バス停横にある公園にいた中学生っぽい男子4人組が突然「おい、おっぱい!」と私に向かって叫び始めた。当時私は24歳ぐらいだったのでその4人は子供にしか見えなかった。しかし、やめないどころかさらに攻撃的になってきたので、私もさすがにイラついてきて「うるさい!」と叫んだ。そしたら4人は自転車にまたがり、私の方に向かってきた。とりあえず次のバス停まで歩き始めると、4人は自転車に乗ったまま私を追いかけ始めた。私がスマホを取り出し動画を撮り始めたら退散したが、あまりの衝撃にショックで泣いた。

ニューヨークでの大学時代も街中でセクハラに遭うことはあったが、その加害者はオヤジや工事現場の男性作業員であることが多かった。今回は「自分よりももしかしたら10歳も年下の子供にまで、こんな目に合わなきゃいけないのか?」という驚きと惨めさがあり、また、新しい恐怖も芽生えたーーあの年齢でこんなセクハラをする子供がこれから大人になったら、周りの女性に対して一体どんなひどいことをするのだろう。

言うまでもないが地元の警察は頼りにならず、私は被害を説明したチラシを近所に配り、スマホの動画をDVDに焼き落とし、地域の中学校に配布した。あれから約10年。あの加害少年たちは今、社会人だ。

私のフェミニストとしての本格的な自覚と活動はこうして始まった。

10代の頃の生活から生まれた疑問、大学で学問としてのフェミニズムとの出会いとモヤモヤの言語化に続き、20代の被害体験でそれが日々の戦いであることを実感する。

次回はこうして生まれた私のフェミニズムと、いま住んでいる南米のフェミニズムとのつながりをご紹介したい。

 

岩間香純(いわま・かすみ)
アーティスト、日英翻訳家(たまに西語も)。日米の間で育った二文化から生まれるハイブリッドな視点でフェミニズムやアイデンティティなどのテーマを基にメディアを限定せず制作している。アメリカの美術大学を卒業後しばらく日本で生活し、2017年に南米エクアドルに移住。2021年にエクアドルの大学院を卒業。現在も首都であるキト在住。