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「ある在日朝鮮人のフェミニストが考えていること」第6回:「当事者」の声、錯綜するフォビア(uhi)

2026/8/14

ある在日朝鮮人のフェミニストが考えていること

日本・韓国社会のなかで在日朝鮮人3世として抱かざるを得なかった違和感、個人的な経験と大きな「国家」たちのはざまで生まれる葛藤、癒されないトラウマ、ときに喜びや希望。入管運動や関東大震災朝鮮人虐殺の記憶継承に取り組み、クィアのアーティスト/アクティビストとして活動するuhiさんによる連載です。第6回は、映画『トロフィー』(ほんとうに良い映画でした!)を観た人にも読んでほしい、朝鮮学校への「批判」について。「北朝鮮はおかしいと思うけど……(朝鮮学校は大事)」は、一体誰を、なにから守る言葉なのか? uhiさんが丁寧に語ってくれる「キタチョーセン・フォビア」を、その根深いトラウマの歴史を、当事者だけに考えさせていいわけはもちろんありません。(文章内イラスト:uhi)

2年前、在日関連の調べ物をネットでしていると
画像検索結果一覧のページで、あるYouTubeのサムネイルがたまたま目に入った。

そこに出ていた人物の横には「←朝鮮学校出身」という文言。
こんなYouTuberがいるんだと思ったのも束の間、目を疑った。
「朝鮮総連」「北朝鮮」など、センセーショナルなトーンで書かれたワード。
テロップを読むと、明らかに朝鮮学校や他の在日朝鮮人を笑いものにしているかのような説明文。
服装は、なんとチョゴリを着ている。

嫌な予感しかしなくて、そのYouTubeは観ていない。
再生回数に貢献したくない、ということもあるが、
何より押し寄せる悲しみと悔しさに動悸が止まらなくなって、しんどすぎて観ることができないのだ。ものすごくショックを受けた。
調べてみると私と世代もそんなに変わらない芸人のようで、チャンネル登録者数も多い。

差別は儲かる。
どれだけ人々からの注目を集めるかによって収益化できる、近年のYouTubeやSNSの仕組み「アテンション・エコノミー(関心経済)」。
この収益構造のもとでは、物事を誇張したり過激に煽るほど再生数が伸び、投稿者はその分の広告収入を得ることができる。

私が去年、Threads上でバズっていた高校無償化排除関連のヘイトを目撃し、居ても立ってもいられずヘイトの投稿者と会話を試みたところ、あの芸人のYouTubeを視聴して、朝鮮学校出身の「当事者」がそう言っていたから、無償化はおかしいと思ったと返信が来た。

あの芸人は「当事者」性を利用した持論を展開し、日本社会のキタチョーセン・フォビアを強化していたのだ。

一方で、影響力をたまたま持てなかったというだけで、あの芸人と似たような考えを持つ在日コリアンは意外と多いのではないかと思ったりもする。
本人が実際に朝鮮学校に通いながら感じたことを、私には否定できない。学校で嫌な思いをしたり、何か疑問を持ったりするというのはむしろ自然なことだ。普通の学校と同じように、在日朝鮮人だからといってみんながみんな朝鮮学校の環境に合うとは言いがたい。
しかし問題は、それをどのような意図で、誰に向けて、どのように語るかということなのだ。あの芸人は明らかに「他者を嘲笑」するかのように朝鮮学校での経験をネタにし、キタチョーセン・フォビアが蔓延した日本社会の不特定多数に向けて発信しているということが、私には到底受け入れられなかった。

「〇〇フォビア」という概念において、マジョリティが偏見を向ける対象集団を「他者化」するのはひとつの手法である。あの芸人は自身を「在日コリアン」だと名乗りながら、マジョリティの言語を使う。「自分はあいつらとは違う」んだということを強調し、フォビアに正当性を与えている。

あの芸人を擁護するつもりはさらさらないが、この社会にいかに「在日コリアンのための日本語が存在しない」かを表していると思うし、その成れの果てがこれということだ。

・・・・・

私は、あの芸人を他人事だとは思えない。

「朝鮮学校が恥ずかしい」と少なからず思ったことのある自分も、一歩間違えればそうなっていたかもしれない。それでも朝鮮学校で自分が在日だということをネガティブな意味で気にすることなく、子どもらしく過ごした日々を否定できはしないという葛藤。自分にとって民族教育とは、歴史云々の前に、同じルーツの友だちと自分たちにとっての「普通」の日常を送るということだった。

たぶんほとんどの在日朝鮮人もそう思っているからこそ、周囲からよく聞いていたセリフがある。

「北朝鮮はおかしいと思うけど、民族教育(もしくは朝鮮語をおぼえること)は大事」

とくに、子どもを朝鮮学校に通わせる保護者の立場の人から聞くことが多く、実際に自分の母親やその友人などが何度もそう呟いていた記憶がある。私も納得していた。また、高校無償化排除問題において、日本政府が主張する排除の理由が「拉致問題に進展がないこと」や「朝鮮総連と密接な関係にあること」だったのに対抗し、「現在は北朝鮮を支持する保護者は少ない」などのアンケートやインタビューをもとにした論理がメディアでも展開されていた。

では、朝鮮学校の何が批判されているのか。
当事者たちも何を気にしているのか。

それはいわゆる「思想教育」と呼ばれるものだろう。おおまかに、金日成が植民地時代に日本帝国主義にどのように対抗し闘ったかなど、伝説的な要素も含まれた革命の歴史などが教科に含まれていることを指すのではないかと思う。

そもそも「教育」のベースとなる朝鮮学校の教科書は、どうなっているか。解放間もない混乱の中で、1953年から共和国の教科書がそのまま使用されていたが、1963年から、共和国の教科書を在日朝鮮人用の教育内容にしていく編纂が始まった。それ以降は共和国の教科書を参照しつつも大体10年ごとに改編が行われていった。1980年代・90年代頃からは執筆権の大部分が総連側に委ねられ始め、1970年代〜90年代の約20年間存在していた「革命歴史」という科目は廃止、それから現在までは時代に合わせたアップデートが行われているという。(*1)

たしかに私が、1950年代生まれの母親からよく耳にしていたのは、金日成の幼少期や革命のことしか学ばず、祖国を信じ組織の活動も積極的に行っていたというような話だった。他にも似たような経験をした母と同世代の親戚が多々いる(逆に、そいういう歴史に一切無頓着だった母の友人や親戚も結構いたようでもある)。1963年に教科書編纂が開始してから実際の教科書にすぐ反映されたとは思わないため、私の母親やその世代は共和国現地での教育の影響を一番強く受けていた時代だったのかもしれない。当時の教育が共和国への「帰国」を前提にしていたことも影響しているだろう。日本での定住志向になっていくその一回り・二回り後の世代にとっては、差別で厳しい日本社会で生きていくための知恵や知識が学びたいことなのであって、「革命歴史」は非現実的で不必要なものだという感覚が学生の間でも段々と強くなっていったのではないかと思う。

思想云々を恥じる話は自分の親族などからの話だけではなく、どうやら総連の外、つまり日本社会で発言力を持っている在日朝鮮人の言論人や文化人からも、痛烈に批判されている空気を感じていた。その中には、元から朝鮮学校や総連とはあまり関わりがなかったという在日朝鮮人もいるが、最初は総連で活動していたにもかかわらず除名されたり自ら立ち去らざるを得なかった人も一定数いたようだ。特に植民地時代生まれの人、日帝解放直後から1960年前後の生まれの人が多い気がする。そのような在日朝鮮人の先輩方は「北朝鮮」という国家のあり方や組織の体制をもっぱら批判していた。

私が社会の物事を意識的に考え始めていったのが、大体2010年代以降だった。
朝鮮学校を卒業後韓国学校やアメリカ、日本社会を行き来しながら、自分のアイデンティティに悩み始めた頃、私はとにかく日本社会で活躍している在日朝鮮人がどのような考えを持っているのかを知りたくて、在日による日本語の色んな作品や言論に触れていった自覚がある。その傾向は大学生になってから顕著になった。私は、父親のように日本人に同化することによって生きていく在日にはなれないけど、母親のように「北朝鮮」に傾倒しすぎない在日、いわば日本人にも組織にもどの国家にも左右されない在日として、どのように個を確立していくかという道を必死に模索しようとしていたのだと思う。

ただ、21世紀も四半世紀が過ぎた現在、そのような考えは、
日本の左派の間でもすでに醸成されているキタチョーセン・フォビアに、気付かぬうちに呑み込まれてしまう恐れがある気がしている。

・・・・・

いわゆる「思想教育」関連の言説に対して、
キタチョーセン・フォビアに合流しやすいのではないかと思う日本の左派ナラティブがある。

大手新聞や他ジャーナリズムがつくりだす朝鮮学校無償化排除批判のナラティブだ。排除問題が噴出した2010年、メディアはこの問題の枠組みとなりかねない初動のナラティブをどのように形成していっただろうか。たとえば『朝日新聞』や『毎日新聞』は朝鮮学校を擁護する論調をもつ。しかしその理由に「北朝鮮」との関係が昔と比べて薄くなっていることを強調する。(*2) 生徒の中には韓国籍や日本籍などの子もいる(*3)、最近は「北朝鮮」を支持している保護者は多くない、昔に比べて思想教育がなくなった、だから朝鮮学校を差別してはならないといったような語り方だ。

ここで注目したいのは、私も周りの在日からよく聞いていた「北朝鮮を支持しているわけではない」というセリフが、根拠として持ち出されていることだ。2002年以降、朝鮮に関する日本語空間は、マスメディアによる「北朝鮮」バッシングの言説ですでに溢れかえっている。その実害が朝鮮学校の学生たちに向かってヘイトとして出始めると、「北朝鮮」とは「関係のない」子供たちを「北朝鮮」から切り離して「守る」ため、「当事者」の「北朝鮮を支持しているわけではない」という声をメディアは利用し出すのだ。日本語を第一言語とする在日朝鮮人の考えが日本のメディアの言説に影響を受けないはずがないのに、その社会構造は一切考慮されず、当事者の「純粋」な声となってしまう。

さらに、そもそも高校無償化問題において、具体的な教育内容が政治的な問題として文部科学省による調査対象になったのは、数ある高校のなかで朝鮮学校のみである。文部科学省は多様すぎる他の高校のカリキュラムを細かく把握できておらず、とりわけインターナショナルスクールや外国人学校に関しても、認可している国際機関や大使館などに確認をとるため細かいチェックはしない(適用条件の【イ】【ロ】規定)。(*4) しかし、日本は朝鮮との国交がないことから、日本の高校の教育課程と大体同じだということを確認するために【ハ】規定の審査を進めていたにもかかわらず、日本政府が【ハ】規定を後から削除したため、本来の調査目的が排除を正当化するための理由と化したのだ。調査が教育に対する不当な干渉になってはならず、そもそも日本政府や文部科学省が朝鮮学校の教育内容に細かく口出しする権利はないはずなのに。(*5) たしかに、教科書が十年毎に更新されているとしても「現代朝鮮歴史」の科目では、金日成・金正日・金正恩ら率いる朝鮮民主主義人民共和国がどのように建国をし、帝国主義に対抗し続けているかなどの内容はもちろんあるだろう。しかしその内容が含まれるのは、総連が共和国の海外公民方針をもとにした組織であるのだから当たり前のことである。それをどう受け取り考えるかは、日本に住む生徒自身が決めることなのだ。細かいことを言い出したら、日本の歴史教科書だって問題だらけである。

「北朝鮮を支持しない」「教育内容」という誤った主な2種類の論点は、大手メディアだけでなく、日本人ジャーナリスト・石丸次郎氏の2010年の無料記事にも現れている。(*6) 4ページ構成のその記事において、最初のページに「個人崇拝」「醜悪」「金父子万歳」「思想注入」「独裁者礼賛教育」「醜悪な独裁者崇拝教育」「金正恩偶像化」など、右翼や日本政府が言うのと変わらないような、偏見を煽動する言葉遣いを散りばめて「教育内容」を説明する。また、自分には朝鮮学校の保護者の友人・知人がたくさんいるとしながら、わざわざ保護者の国籍「韓国籍」に言及し、「当事者」の声を紹介している。そして、3ページ目にして「筆者は授業料無償化から朝鮮高校を除外することに反対である」と述べている。正直私は、これが「I have black friends.」論法(*7) の構造と何が変わらないのかがわからない。アジアプレスという媒体が信頼度の高い日本のジャーナリスト団体であり、石丸氏自身は朝鮮半島問題に長年関わってきた、総連を批判する立場の在日朝鮮人からも支持されている著名な人物である点が、状況を厄介にしている。

私はこのような無償化排除問題の初動のナラティブ・世論形成が、その後の裁判結果に与えた影響はかなり大きいのではないかと考えている。(*8) 私にはこれらが、子どもは守るけど「北朝鮮」は悪以外の何者でもないことを信じたい、いわゆる「良心的な日本人」の欲望を映し出したもののように見える。

・・・・・

私が通っていた朝鮮学校は、どうやら「特異」な場所だったらしい。
外から語られる「北朝鮮」は一体どんななのだろう。私が知らない「北朝鮮」は一体どんななのだろう。
どうして父は嫌がり、どうして母はどこか自嘲的に語るのか。

だから、高校生くらいの時には、「北朝鮮」がいかに貧しくて人権侵害を犯しているかについて秘密裏に取材したアジアプレスの情報はよく追っていたのを漠然と憶えている。大学生の時、夏休みにアメリカに行った際には、本屋でベストセラーの棚に並んでいた「脱北者」のエッセイを買って、英語の勉強も兼ねまるまる一冊読んでみた。アメリカの親戚の自宅で、NETFLIXか何かに「北朝鮮」を題材にした風刺映画があり、自分から観てみたいと言った。

日本の植民地支配を反省していない歴史はもちろんおかしいけど、私は朝鮮学校に通っていた「当事者」なんだから、「北朝鮮」には「客観的」で「批判的」にならなければいけない。

そういう問題意識のもと歴史を知りたいと思っていたため、無意識にも天皇制という言葉に触れる機会が多く、具体的に何が問題なのかは難しくてよくわからないけど、とにかく天皇制がいけないのだということはしっかり認識していた。天皇を神格化したことで、多くの在日朝鮮人や日本人までも、天皇の名の下に犠牲になっていったのだ、と。だから結局、「北朝鮮」がやっていることは天皇制と同じなのではないかと、自分の頭の中でいつの間にかリンクしていたのだ。なぜこんなに「思想教育」だと批判され、なぜ学校の肖像画が批判されているのか。日本人だけでなく在日朝鮮人からも。それは天皇制のように私たちを「洗脳」するものだから。それがきっと朝鮮学校が批判される理由だし、批判されて妥当だと思っていた。

しかし、そもそも天皇制が問題なのは、近代日本が天皇制を用いて他国の植民地化と侵略戦争・占領政策を行ってきたからに他ならない。天皇を頂点に置いた大日本帝国では、朝鮮人を天皇の臣民として包摂する一方、戸籍・法制度上で「日本人」と区分し続け、創氏改名や皇民化教育などを通じて植民地支配を深めていった。まさに日本の植民地主義の原点と言えるだろう。一方、朝鮮民主主義人民共和国は、グローバル・ノースが圧倒的優位な国際秩序の中で日本や米帝国主義諸国の植民地主義に対抗してきた国である。日帝や冷戦イデオロギー対立を背景にした時、そもそもの国の成り立ちや目的、社会主義という国家体制も違うため、短絡的に天皇制を「北朝鮮」に当てはめることはできない。右も左もわからなかった若い頃、自分や朝鮮学校に向けられていると感じていた「批判」が、本当に批判なのか、キタチョーセン・フォビアからくるものなのか、私には見分けがついていなかった。

日本では、「戦争」が語られる時、民間人の犠牲に焦点が当たり、それを引き起こした天皇の戦争責任というものが、一般社会ではあまり語られていない気がする。植民地支配の加害の視点がなぜか抜け落ちる。だからこそ、被差別者からの告発を受け、日本の左派やフェミニズム・アナキズムが応答し、天皇制を強く批判してきたのだろう。しかし、近年では天皇制を廃止すべきだという言論を展開するメディア自体が少なくなっている。2026年7月に成立した皇室典範改正によって男尊女卑の観念が再び強化されたことはもちろん大問題だ。だが、天皇制を存続させることありきの同じ議論の土俵にリベラルや左派を乗せることこそが、政府の策略なのかもしれない。そうやって、被植民者や「外国人」に対する差別だけではない、戸籍制度のもとの強制的夫婦同姓やLGBTQ+、障害者への差別など、近代日本の差別構造と深く結びついてきた天皇制を廃止するという論点は、だんだんと遠ざかっていく。

さて、「個人崇拝」や「万歳」「思想注入」「礼賛教育」…などのイメージで朝鮮学校を見た時、日本の左派はこの国の加害責任をちゃんと想起できているだろうか。むしろ、自分たちの戦争責任と植民地支配責任に天皇制批判という形で向き合わない人が多いからこそ、天皇制を棚に上げ、もっと「特異」な対象として「北朝鮮」を持ち出しているのではないか。

・・・・・

常に批判的であれ、
客観的であれ、
洗脳されずに自分を持て、との幻聴を
在日コリアンはこの社会で聞き続けている。
少なくとも私はそうだった。

国家というものが恨めしかった。
どこにも所属できないのに、それでいて私を縛り続けてくる、国民国家というものが。

そんな私にとって、近代国民国家を批判するアナキズムは、とてもかっこいいものだった。アナキズムの思想は、言葉を失っていた私が、日本や韓国、アメリカという国を擁護することなく「北朝鮮」をも拒否できる唯一の言語だと思った。これなら「北朝鮮」だけでなく、どの国家も平等に嫌いになれる。

だからあの時、私はイルボンド ミグット ハングット “プッカン”ド ミウォヨ!」日本も米国も韓国も“北韓”も憎いです)と叫んだのだ。

そもそも国というものは「好き/嫌い」で括れるものではない。でも強いて言うなら、日本も韓国もアメリカも嫌だけど、もちろん好きなところはある。なのに「北朝鮮」だけは、好きと言ったらみんなからおかしいと思われる気がした。だから全部憎いと言うことで、「北朝鮮」だけは口が裂けても好きだと言えない自分が、少し免罪された気分になった。

だが同時に、それは自分自身の限界も表していた。

日本人ではない私が、日本の左派の言語だけで
「在日朝鮮人」というこんなにも複雑な存在を理解しようとするなんて、できるはずないのに。

日本の右から、左から。
そして南北に分断された在日朝鮮人、自らの「他者化」によって、
錯綜し尽くしたキタチョーセン・フォビアを、脱植民地化していかなければならない。
その根深いトラウマの歴史を、もっと丁寧に解きほぐし、語っていかねばならない。

(*1) 呉永鎬、モンダンヨンピル「第4講 朝鮮学校民族教育の発展(深化学習)」YouTube、2021年10月22日  https://youtu.be/pkbeqJbsFaI?si=T8kbRl0vnUPQycmF
(*2) 山本かほり(2014)「朝鮮学校で学ぶということ」、『移民政策研究』第6号、p.75 https://iminseisaku.org/top/pdf/journal/006/006_074.pdf
(*3) 在日朝鮮人の大多数が「韓国籍」であることは少し歴史を勉強すればわかる初歩的な事実であるにもかかわらず、ジャーナリズムがそれを「北朝鮮」不支持の根拠に持ち出すことは、あまりにも論外であると筆者は考える。「朝鮮籍」と言う際の「朝鮮」は国家ではなく、分断前の朝鮮半島を示す「記号」としての意味がある。
(*4) 外国人学校への適用条件
【イ】国交がある外国政府・機関による認定
【ロ】欧米系の国際的学校評価機関の認定
【ハ】高校としてふさわしい修業年限、総授業時間数といった一定の外径的基準
(*5) 板垣竜太、モンダンヨンピル「第5講 日本の中の朝鮮学校(深化学習)」YouTube、2022年3月23日 https://youtu.be/DINNwdRl_zI?si=rEGoKqdF_pSUGtax
(*6) 1ページ構成の(1)と3ページ構成の(2)を合わせて全4ページ
石丸次郎「<北朝鮮を読む>朝鮮高校の授業料無償化問題(1)」アジアプレス、2010年11月19日 https://www.asiapress.org/apn/2010/11/north-korea/post_1930-01/3/
石丸次郎「<北朝鮮を読む>朝鮮高校の授業料無償化問題(2)朝鮮学校は自己変革が求められている」アジアプレス、2010年11月27日 https://www.asiapress.org/apn/2010/11/north-korea/post_1979/
(*7) 「黒人の友人を持つ私は、人種差別主義者ではない」論法。白人が黒人に対して行う差別発言や偏見の表出を指摘された時に、自分には黒人の友人がいるから差別をするはずがないと自らを正当化する主張。 https://www.weblio.jp/content/黒人の友人を持つ私は、人種差別主義者ではない
(*8) 名古屋で無償化弁護団の一員として活動していた裵明玉弁護士は、朝鮮高校排除の本質には植民地主義が克服されていない問題と「北朝鮮」フォビアの問題の、大きく2つがあったと分析しながら「朝鮮学校でいたいけな子どもたちが洗脳教育をされているというようなイメージが蔓延していて、人権意識がある若い弁護士ですら、まずその意識を乗り越えないと、なかなか弁護団に入るのが難しいような状況」があったと述べる。名古屋の弁護団は「北朝鮮」フォビアの不当性を乗り越えるための訴えに注力し、ある程度裁判官に響いたところもあったが、勝訴判決には至らなかった。(在日本朝鮮人人権協会「特集 継続する排外主義を断ち切るために——在日朝鮮人の権利闘争史に学ぶ」、『人権と生活』62号、2026年、p. 26)

 

uhi(うひ) 
1994年、東京生まれ。小学校は朝鮮学校、中高時代は韓国学校ですごす。かつて母が“帰国”を望んだ朝鮮民主主義人民共和国と父の憧れたアメリカの大きな存在を影に感じながら、日本・韓国社会の中で自分が在日朝鮮人3世として抱かざるを得なかった違和感を頼りに活動するクィア。ノンバイナリー。入管運動や関東大震災朝鮮人虐殺の記憶継承に取り組む。