記事を検索する
2026/3/16

日本・韓国社会のなかで在日朝鮮人3世として抱かざるを得なかった違和感、個人的な経験と大きな「国家」たちのはざまで生まれる葛藤、癒されないトラウマ、ときに喜びや希望。入管運動や関東大震災朝鮮人虐殺の記憶継承に取り組み、クィアのアーティスト/アクティビストとして活動するuhiさんの連載がスタートしました。第2回は、uhiさんがこうして私たちに何かを伝えるときに使わざわるを得ない「言葉」のこと。在日朝鮮人について語れる言葉がどうしてこんなにもないのか、と「日本語」で書かれた投げかけを、「わからない」と切り捨てられません。(文章内イラスト:uhi)
前回はじめの「物語」を語ってから、
なぜ自分が、日本語で物を語ろうとするのかずっと考えている。
私はどうして日本語で話しているのか。
私はどうしてこんなにも日本語を操れてしまうのか、
自分の言葉なのに
自分の言葉じゃない、という感覚は
物心ついた時からずっと共にあったと思う。
去年だか、韓国の団体が日本に歴史のスタディツアーをしにきて、
私に活動の話をしてほしいと要望があり、懇親会を共にした。
日本社会で「日本語お上手ですね」「日本人より日本語がうまい」と言われるのと同じように
韓国人から「韓国語がうまい」「どうして “北韓”訛りがないの?」と褒めたつもりで言われると、まだ昔のトラウマに疼く自分がいることに気付く。朝鮮学校を離れて、韓国学校でネイティブの言語環境に必死に適応しなければならなかった思春期。そもそも朝鮮学校で話す朝鮮語は日本語イントネーションがベースにあるのであって “北韓”訛りでもない。
「はぁ、気にしない気にしない!」
咄嗟に脳内で自分に言い聞かせて、「普通」に会話し続けることを頑張る。
以前中国に行った時、朝鮮民主主義人民共和国との国境付近の街で、
朝鮮料理を食べたことがある。
朝鮮レストランの朝鮮人のウェイター。
私が在日同胞だということを喜んでくれて、
同い年だということもわかりせっかく盛り上がったのに、
ずっとバツが悪かった。
自分の우리 말(ウリマル:私たちの言葉)が韓国語に聞こえるような気がしてしまって。
朝鮮学校出身だと言ったのに、この発音を聞いて、どう思われているんだろう。
朝鮮学校を離れてからは、在日同胞とは基本日本語で話すし、自分が우리 말を話すことがあればそれはほとんどが韓国人相手だったから、自分の口はあまりにも韓国語に慣れてしまっていたのだ。
この気まずい気持ちが表情に出てしまっていたらどうしよう。
偏見を持っていると思われてしまっていたらどうしよう。
共和国の朝鮮人と話すのは、これが初めての経験だったので
自分にとっては新しい形の脳内の大混乱に出会い、
戸惑いを隠し切れなかった。
自分は一体誰なのか、久しぶりに問われているような気がした。
そんなことも今、文を綴りながら思い出したから脱線してしまったが、
まぁそれはさておき、
わいわい がやがや。
適当なテーブルに着き韓国人たちと交流をしていると、
隣のテーブルからふとこんな言葉が耳に入ってきた。
「그러다보니까 우리 할아버지도 일본어 쓰시더라구
(そう言われてみればうちのハラボジも日本語話してたな)」
たぶん私より一回りくらい年上の人で、
何かの会話の流れで何気なく言ったセリフだったと思う。
でもそうか。
この人たちのハラボジハルモニ(祖父母)も
植民地時代はきっと日本にいたんだ。
当たり前のことだけど目から鱗だった。
植民地から解放されて、みんなが故郷に帰りたがった。
日本に約200万人いたとされる朝鮮人のうち、140万人が帰国した。
でも土地が奪われる前の状態のように、故郷がそのまま残っていたわけではない。
住めるような状況ではない。仕事も食べ物もない。コレラは蔓延。朝鮮戦争も勃発する。
60万人が日本で生きていかざるを得なかった。
いつかは帰国することを夢見ていた在日朝鮮人。
そのためには子どもたちに 우리 말を教えなければならない、
だから 우리 학교(ウリハッキョ:私たちの学校)をつくらなければならない、と
日本各地に手弁当で建てていったのが朝鮮学校だった。
差別構造の中で「普通」に暮らせない自分たちが、
ルーツを否定せずに、民族心と誇りを持って、堂々と生きていけるように。
それと同じように、帰国した朝鮮人も、
子どもたちのために、という願いがきっとあったはずだ。
自分たちの言葉を心置きなく使える国で、「普通」に暮らしたいという願いが。
今この懇親会で自分の周りにいるのは、自分とは違う「韓国人」だと思っていたけど、
植民地時代を生き抜いた朝鮮人の、子どもたちの子どもたちなのだと考えたら、
少しホッとした。
同胞(トンポ)だったのだ。
しかし、韓国では一般に、
在日は「在日同胞」ではなく「在日僑胞(キョポ)」と認識され名指されることの方が多い。
韓国人が他の国に一時的に滞在したり、移民に行ったりするというニュアンスだ。(現代の韓国人も知らないで使っていると思うが、そもそも僑胞という言葉の語源には否定的な意味が含まれていたともよく聞く。)
一体どこから違ってしまったのだろう。
いや、誰が、変えてしまったのだろう。
この人たちが、自分の言葉を取り戻した状態なんだろうか。
これは우리 말なのか、韓国語なのか。
南北分断、貧困と独裁政権、民主化闘争の中で培われてきた血と涙を経て、資本主義世界のグローバル秩序の中で韓国の人々がやっと手にしてきた「普通」。
私は「普通」になりたいのだろうか。
韓国語を喋ることは別に嫌いじゃないけど、
韓国語を喋る自分はどこか偽りのようで、
でもあまりにそれに慣れすぎてもしまった。
私がこんなことを
日本語で書いているのもバカバカしい。
こんなことを日本語で書くと日本人に読まれてしまう。
でも私はこんな心情の温度感を調整できるような韓国語も持ち合わせていないのだ。
それで結局私は日本語に逃げてしまう。
自分の言葉じゃない自分の言葉に。
植民地主義の暴力を通して
生まれながらに染み込んでしまった日本語を喋ることが
「在日朝鮮人」という存在の矛盾を端的に証明するのに一番都合が良くて、
日本語を喋ることが結局一番落ち着くのだ。
それなのに、
いや、だからか、
日本語で在日朝鮮人について語れる言葉が、
どうしてこんなにもないんだろう。

・・・・・
私自身、この何年かで在日朝鮮人と自らを名乗る同胞と交流が増え、
それまで「在日コリアン」と名乗っていたのを、
やっと最近「在日朝鮮人」だと言えるようになってきた。
この日本社会で自身のことをなんて名指すかは
それぞれにハードルと段階があるから、
私も「在日コリアン」と包括的あるいは防御的な表現を使ってきたり、
無意識に「在日」と総称として略してしまったりもするが、
やはりそもそも「朝鮮人」という言葉にタブーが込められている状況があるように思う。
それは第一に、「チョーセンジン」という音があるからだろう。
チョーセンジンだと言って、日本人が朝鮮人を蔑んできた歴史があるからだ。
この音に投影されている、汚くて貧しい、朝鮮人部落のイメージ。
そうやって差別されてきたからこそ、朝鮮人という名乗りを避けて生きるしかなかった一世・二世・三世たちがたくさんいて、そのトラウマの多くは「ルーツを明かさない」などの手段で子どもや孫世代にまで伝播され続けているのである。
だからよく「在日朝鮮人」と言うと差別になってしまうのではないか、
心配した日本人から確認されることもある。
一方でそういう底辺から、
在日朝鮮人自らが自分たちの生活環境を改善しようとする動き、
国籍条項撤廃、国民年金などの社会保障を獲得しようとする動きなど、
生活レベル、そして制度レベルにおける権利を運動を通して勝ち取ってきた。
そう思うと、今の自分の暮らしが当たり前にあるものとは到底思えない。
今は生活環境も格段によくなってきて、良くも悪くも在日朝鮮人の存在が不可視化され、
韓国も在日も区別のつかない日本人にとっては、
韓国の著しい経済成長のすえ世界に台頭しているKカルチャーを前に、
もう「チョーセンジン」という音が的外れになっている感覚がありはしないだろうか。
少なくとも私は、そりゃそんな風に悪意をもって言われたらムカつきはするが、
「チョーセンジン」という侮蔑表現にそこまでのアクチュアリティを感じないのである。(*)
むしろ現在の社会において、
「チョーセン」という音にリンクするのは「北朝鮮」の方だ。
「チョーセンジン」だと従来のように差別の武器として通用しなくなってきているから、今度は「キタチョーセン」をつくろうと躍起なのである。
グローバルな世界秩序をとってみても、キタチョーセンを悪魔に仕立て上げられるなら、在日朝鮮人のアイデンティティを未だ育てる朝鮮学校を排除しやすくなるので、日本の政界にとって都合のいいことなのだ。その認識は、右派だろうが左派だろうが正直関係ない。
自分の日常生活の安全圏から一歩外に出ると、
偏見に満ちた言葉が「日常の言語」としてテレビやX(旧ツイッター)から溢れてくる。
初めてネット上でヘイトスピーチを目にしたのは小学生の頃だった。
記憶が曖昧だが、たしか同級生がネットで酷いことを言っている人がいたと、悲しそうに話していたと思う。それを聞いて、どんなものかと私も見てみたのだ。
「朝鮮人帰れ」とか「北朝鮮」とか、そんな類の典型的なものだったと思う。
何も知ろうともしない人たちが、在日朝鮮人について知ったかのように書き込んでいるのをみて、何を言っているんだこいつらは!と素直な怒りが生まれた。
ぷんぷん怒りながら親に伝えると、
ネットのことなんだから気にしなくていいと言った。
同級生を励ますように、私も親に言われたことを受け売りで伝えたような気がする。
それから10年、20年。
ネットは私たちの生活と切り離せない一部となって、
今ではネット空間で生み出される言葉が、自分たちの実生活を侵食するくらいには現実世界となって立ち現れている。
ショート動画が私たちの日常の言語を生み出し、私たちの思考回路を規定する。
私は、社会運動がネットを通じて日常の言語に影響を与えていくことはいいことだと思うが、ヘイトのような偏見を染み込ませる言語がそれをはるかに超えるスピードで出回っていることに本当に恐怖を感じる。
まぁ、10年前くらいまではそれがテレビのワイドショーの役目だったが、
今ではネットとテレビがタッグを組むかのように、ワイドショーだけでなく報道番組さえもそれに加担し、より強烈な力になっていると思う。
10年前でさえもしんどかったのに。
つい最近、大学時代に書き残していたノートに、
こんなことが書いてあるのを見つけた。
『最近テレビや新聞の「北朝鮮」報道自体もそうだし、それをジッと眺める母の姿とか、だから朝鮮人は嫌いなんだと吐き出す父の姿、とかに相当やられている自分がいます。』
とりあえず「反日/親日」とか「嫌韓」とか
そんな陳腐で単純な言葉に惑わされなくて済むような、
在日朝鮮人を語るための研究の蓄積が、学問の世界にはあったから。
自分も本は読むのが得意というわけでもないし
内容もすぐに頭に入ってこないし理解がなかなか追いつかないけど、
研究が、本や論文という形で実態をもって身近に存在しているということは、
そこに大きな岩があるかのように、
安っぽけなヘイトに有無を言わせないような重みがある気がした。
自分という在日朝鮮人が存在する、何よりの証明だった。
でも、所詮私は、大学に行けた身である。
父が朝から晩まで、トラックの運転をしながら
母が朝から晩まで、家事と韓国料理店を営みながら。
親と生きてる世界がどんどん乖離していく。
親に言いたいことを言えない。
在日朝鮮人自身が内在してしまう朝鮮人嫌悪(フォビア)に対し、この社会がおかしいんだよって、言ってあげられる共通言語がない。
父はもちろん日本語しか喋れないし、
私と母だってそんなようなもんなのに、
在日朝鮮人同士が日本語さえも通じないことが
ただただ悲しかった。
とりあえず家から離れたくて、
短期間住み込みでバイトをしに行った先の北海道では、
“北朝鮮” のミサイルが上空を通過したとかなんとかで
一斉にスマホでJアラートが鳴る。
そこで出会った日本人との食事の場で
「怖かったねー」と話題になる。
そういう話題で自分が不安になること、
在日朝鮮人が置かれている立場などを
その日本人に勇気を出して伝えたと思うのだが、
自分も鬱で会社を続けられなくなって北海道に来たから
「気持ちわかるよ」みたいなことを言われた。
私はこのことを一生根に持っている。
私は父から、
「お前にはわからない」
「お前は今の時代恵まれている」
こう言われながら育ってきた。
そうだ、私にはわからない。
だったら父にだって私の気持ちはわかりっこない。
悔しくて
傷ついて
無力で。
でも、父が、その親きょうだいが、
どんな時代のどんな環境を生き抜いて来なければならなかったのか、
その言葉の背景にどんな意味があるのか、
少しでも理解したくて
皮肉にも私は親と通ずる日本語を探しにいくのだ。
学問の世界に。
でもそうやって
過去に遡るためには結局、
バカ高い私立大学に自分の身を預けなきゃならないのかと、心底
バカらしくなった。

・・・・・
だからさっさと修士論文を書き終えて、
早々に大学も離れたかった。
もう自分には必要のない器だと思ったのである。
普通に会社や企業に就職もできる気も全然しないけど、
研究者になったら大体みんな大学で教鞭をとることになるから、
そういう将来はあまりイメージがつかなかったし。
仮にこのまま博士課程に進んで研究を続けたとしても、
論文を書くことが正直本当に大変すぎて、無理だと思った。
私は自分が専門性を極めていくよりも、
誰かの研究で自分が救われる側でいることの方が、性に合っているような気がした。
そうやって私を救ってくれる研究から得た知を、
私は「日常の言語」に落とし込んで伝えていきたいなという
漠然とした思いがずっとある。
だって、やはり、難しい。
歴史的用語や理論がいっぱい出てくると、
全く集中ができなくなって、読みたくても読めないことの方が多いのだ。
どんなに大事な論文を書いても、素晴らしい研究書を出しても、
同業の研究者やニッチな活動家以外にこれを誰が読むのだろうと。
一般大衆に届かぬままになっているものがたくさんあって、
学問は「頭の良い人」がやるものだ距離を取られて、それが本当にもったいない。
テレビやネットで急速にヘイトが蔓延し、
選挙活動を利用してのヘイトスピーチも公然と行われるようになった。
そういう日本語空間を当たり前に生きている日本人が
「選挙に行け」と言われても、
それぞれの感情や生活の「正しさ」を基準に、
ファクトチェックもなく「なんかやってくれそう」なイメージで政治に参画していく。
私にとって社会学的な知と想像力を身につけることは、
何が正しく、何が嘘なのかを日常の中で判断するための
何よりのメディア・リテラシーだった。
こんな大事なこと、どうしてみんながみんな知っているわけではないんだろう。
大学という限られた空間でしか、限られた人にしか、
知が循環しないような資本主義社会のシステムに本当に腹が立っている。
時代は、Xで140字、ショート動画。
短さの中でわかりやすさと面白さが求められる。
人もそれぞれ発達障害などで特性が違ったり、生活苦や忙しさで、
本を読むことは誰にとっても敷居の低いものではないことも本当にそうだなぁと思う。
だから自分も「書く」という行為に本当に意味があるのか、
時代に求められる価値と常々比較して考えてしまう。
でも、時間をかけて、じっくり考えて、慎重に言葉を生み出すということが
「書く」という行為に凝縮されていると思うし、
自分にできることはむしろこういうことだよねと信じるしかない。
私たちの過去に立ちはだかり、なおも続いている歴史。
学問と、日常生活と、人々の心理との間を
ゆるやかに行き交うような言語で翻訳したい。
そういう間を縫うような日本語を、
私がこれから探していけるだろうか。
「在日朝鮮人」という名乗りを取り戻した自分が。
自分の言葉じゃない、
自分の言葉で。
(*) もちろん「チョーセンジン」という侮蔑表現にトラウマを抱える人たちがいる限り、自分が言われないからいいというわけにはならない。
uhi(うひ)
1994年、東京生まれ。小学校は朝鮮学校、中高時代は韓国学校ですごす。かつて母が“帰国”を望んだ朝鮮民主主義人民共和国と父の憧れたアメリカの大きな存在を影に感じながら、日本・韓国社会の中で自分が在日朝鮮人3世として抱かざるを得なかった違和感を頼りに活動するクィア。ノンバイナリー。入管運動や関東大震災朝鮮人虐殺の記憶継承に取り組む。
ある在日朝鮮人のフェミニストが考えていること