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2026/5/14

日本・韓国社会のなかで在日朝鮮人3世として抱かざるを得なかった違和感、個人的な経験と大きな「国家」たちのはざまで生まれる葛藤、癒されないトラウマ、ときに喜びや希望。入管運動や関東大震災朝鮮人虐殺の記憶継承に取り組み、クィアのアーティスト/アクティビストとして活動するuhiさんによる連載です。第4回は、全国に50校ほどもあるのに、その実際をきちんと知ろうとしない人も多い「朝鮮学校」のこと。歴史を辿れば日本の植民地支配から生まれた朝鮮学校に、私たちの社会は責任転嫁して、子どもたちを守れていないのではないか。一緒に考えましょう。(文章内イラスト:uhi)
一昨年末から年始にかけて、実家に戻った時。
うちでは毎年元旦は、母が何時間も何時間も煮込んで出汁をとった、とても柔らかい牛テールのトック(朝鮮式のお雑煮)をおせちと一緒に食べる。
マンションの屋上にのぼって初日の出を見た後、早朝から食卓を囲んでいると、父が私に言った。帰化をした方がいいのではないかと。
帰化の話はとても久しぶりだった。物心ついた頃から父は私にこの話をし続けてきたのだが、日本社会の都合に合わせて自分が変わらなければならないことに納得がいかず、その都度しないと言い続けてきた。幼い頃は父親の全てが威圧的に感じていたため、帰化の話も私にとって負荷のかかるものだったのだが、今回久しぶりにそのことを持ち出してきた父の物言いはやけに物腰柔らかく、だいぶ丸くなったのだなと感じた。
ただ、私には帰化をするつもりが今のところ全くない。ここ数年の入管法改悪に関する国会中継を見て、こんな弱い者いじめするようなヤツらが議員になれるくらいなら私がなった方がマシだと思い初めて帰化の選択肢が頭をよぎったが、別に本心からなりたいわけでもない。父の言う、アイデンティティは心で持ったまま生活の手段としての国籍変更ということは理解できるし、心配してくれているんだなと伝わったから、私も頷きながら父の話を聞き続けていたのだが、やはり途中からしんどくなってしまった。私は生まれた時からたまたま韓国籍だった。未だ「朝鮮」籍(*1)を死守している人たちと比べたら、自分は国籍に大したこだわりがあるわけでもないのだが、無表情のまま色々思考が巡るうちに、気づけば涙だけがポロポロこぼれていた。
なのに全然話をやめてくれないので、父が嫌がりそうなことを言うしかない。
「日本国籍にしたら、朝鮮にも行けるしね」
皮肉だけど事実でもある。一瞬、変な間が流れたが、母が「あんた韓国学校もアメリカも行ってるんだからちゃんと考えてから…」と水を差してきたので、「そんなんわかってるよ!!」と正月早々ぷんすか泣きじゃくりながら、私の2025年が始まった。
結局何が言いたかったかというと、父が私によく言っていた「昔は差別が酷かった」という言葉は、ある意味逆説的であるということだ。「昔と比べて」今は差別がなくなった、と言いたかったのなら、それは「今でも差別はある」ということを暗に認めている言葉でもある。そうでなければ、私がこんなに嫌がっているのに何度も何度も帰化なんて勧めたりしなかっただろう。
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私が生まれた1994年は、チマ・チョゴリ切り裂き事件が頻発していた。
1960年代には朝鮮学校に通う男子高校生に対する暴行・死亡事件が連続的に起きていたのだが、1980年代からはチマ・チョゴリの制服を着た生徒たちがターゲットにされ、ヘイトクライム、ヘイトスピーチが相次いでいたという。朝鮮学校では中級部から、女子生徒は制服がチマ・チョゴリになる。事件後は、安全のため通学時用にブレザーを「第二制服」にするという形で対処がなされたにもかかわらず、このような事件の恐怖は肌感覚として蓄積していくのだろう、これが父が私を朝鮮学校に行かせたくなかった理由の一つだ。
おそらく、理由はもう一つある。父は私がキタチョーセンの教育に染まってしまうのではないかと恐れていたのではと思う。
そもそも朝鮮学校は、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連、以下総連)の傘下に現在、幼・初・中・高を含め、全国で50校ほどある。(*2) それに加え、都内に朝鮮大学校が1校ある。
きっと日本人からしたらその多さに驚くかもしれない。しかし、大日本帝国が朝鮮人の土地や仕事を奪ったり、朝鮮人を拉致して強制労働させたことにより、日本に渡ってきた朝鮮人が解放当時でも200万以上いたことを考えると、この数はなんら不思議ではないのではないか。最盛期には120校余りにまで達したという。(*3)
しかし、朝鮮学校はすんなりできたわけではない。
1945年、日帝からの解放後、初めは各地で寺子屋のような「国語講習所」としてスタートした。帰国することを前提に、言葉を取り戻そうという思いから始まった。総連の前身である在日本朝鮮人連盟(朝連)(*4) が同年10月に結成されてからは、民族教育として体系化していき、教科書編纂からカリキュラム制定まで独自に作成していったという。在日朝鮮人の相互扶助の精神である「金のあるものは金を、力のあるものは力を、知恵のあるものは知恵を」総動員して、1946年10月までには500校以上の学校ができ、学生数は4万人もい以上たというから、想像すると当時の一世たちの熱量に圧倒されそうである。(*5)
4.24阪神教育闘争が起きたのは、それから間もない1948年のことであった。当時GHQ占領下に置かれていた日本で、両当局は共産主義者を抹消するという反共政策のもと、朝鮮学校を徹底的に弾圧する。GHQの指令に基づき、日本の文部省は各都道府県知事宛に「1.24通達」と呼ばれる朝鮮学校閉鎖令を出したのだ。それに怒った在日朝鮮人たちは、山口県庁前に1万人が集まったことを皮切りに、各地で抵抗が繰り広げられる。神戸では兵庫県庁の県庁室に何百人もが押し入り、閉鎖命令を撤回させたのが4月24日だった。これに対しGHQは非常事態宣言まで発令し、大量の警察や米軍も動員、2千人弱も逮捕される大騒動となった。3万人が集まった大阪では、警察が当時16歳だった金太一(キム・テイル)さんを射殺した。全国的に、延べ100万人規模の抗議の声が連なったが、結果的にGHQと日本政府は1949年9月に朝連を強制解散させた直後、10月に改めて出した「朝鮮人学校閉鎖令」によって弾圧、在日朝鮮人に日本の学校への同化を強いた。
それでも各地で細々続いていた民族教育は、朝鮮民主主義人民共和国の海外公民としての権利獲得を明確に打ち出した1955年の朝鮮総連結成にともない、再び体系化されていくことになる。当時の在日朝鮮人がどのような状況に置かれていたか、もう一度思い返してみてほしい。日本の学校に行っても「チョーセンジン」だと軽蔑され、お金がなくて勉学の道にも進めない、就職しようにも国籍と名前の壁で人生が阻まれる。自分の国もない。そのような中で朝鮮学校は、在日朝鮮人が民族性を取り戻し、堂々と生きていくために必要不可欠な場所だったのだ。そこに1958年前後より、朝鮮政府から送られてきた何億円にも及ぶ教育援助費と奨学金によって、朝鮮学校は命を繋ぎ止めた。
チマ・チョゴリ制服は、1994年のヘイトクライムがセンセーショナルに報道されたことにより、ジェンダー的にも「抑圧の象徴」「守らなければならない対象」とも意味づけられかねない。しかし、これは1960年代に女子学生が自主的に着用し始めたものがやがて制服と化していったのだという。(*6) 総連があったからこそ朝鮮学校は存続しているが、組織および在日朝鮮人コミュニティには頑固に家父長制がこびりついているのもまた事実である。そのような中で、在日朝鮮人女性が自身の民族性を表現していったエイジェンシー(主体性)があったということ、チマ・チョゴリに限らず内部でジェンダー構造を変えようとしてきた人々がいることを忘れたくない。

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日本にある学校は、学校教育法のもとで、大体「一条校」か「各種学校」に分類される。(*7)
「一条校」は、公立か私立かにかかわらず、学校教育法の第一条に当てはまる、いわゆる日本の学校のことを指し、俗にいう「外国人学校」の大半が含まれるのが「各種学校」の方である。各種学校は所轄が都道府県にあり、各知事の認可を受けて設置されている。どちらの分類に当てはまるかで、出てくる公的支援の差は大きい。(*8)
2010年、当時の民主党政権の目玉政策・高等学校等就学支援金制度いわゆる「高校無償化」制度が打ち出された時、私はすでに朝鮮学校には通っていない高校1年生だった。結局、中学からチマ・チョゴリ制服になるのを機に、再び学校をどうするかという話が家庭内で浮上し、私は都内の韓国学校に転校することにしてしまったからだ。
高校無償化制度は、朝鮮学校を含む、条件を満たす全ての外国人学校にも適用されることが謳われ、公立高校は授業料が無償となり、そのほか私立高校には就学支援金が支給される形の政策である。実際に運用されれば、初めての全国的な国費支援制度の補助金となるはずだった。
外国人学校への適用条件は、以下の規定のうちどれかをクリアしていればよしとされた。
【イ】国交がある外国政府・機関による認定
【ロ】欧米系の国際的学校評価機関の認定
【ハ】高校としてふさわしい修業年限、総授業時間数といった一定の外径的基準
朝鮮学校は【ハ】規定に当てはまり、適用されるものとして予算も組まれ、文科省による「審査」が続いていた。国庫からの補助金、という意味は、日本政府・社会による朝鮮学校への弾圧と差別の歴史を考えると、非常に意味のあるものだった。1960年代には結局反対運動により廃案になったものの、朝鮮学校を各種学校としても認可するべきではないという趣旨の「外国人学校法案」が浮上していた。(*9)
その後、1975年までに全ての朝鮮学校が各種学校としての認可を受け、1980年代からは各都道府県による補助金が出るようになった。他にもJRの通学定期券の学割が適用されなかったり、全国高等学校体育連盟(高体連)への参加資格、朝鮮高校卒業生の大学受験資格、朝鮮大学校卒業生の国立大学院受験資格や国家試験受験資格がなかった問題など例をあげると枚挙にいとまがない。これらは粘り強い運動によって一部は是正されたが、現在でも完全とは言えない。(*10)
しかし、雲行きが暗転したのが、2010年11月に延坪島(ヨンピョンド)で韓国と朝鮮の軍事衝突が起きた時の日本の報道と世論である。それに伴い当時の菅直人首相が朝鮮学校に対する「審査」の凍結を指示、2011年9月の辞任直前に再開を指示するも延期され、野田政権を経て、2012年12月末に第二次安倍政権が発足する。そうして安倍首相が政権を握るや否や真っ先に行ったのが、朝鮮学校への「審査」を打ち切った上での【ハ】規定の削除である。
当時の文科相・下村博文は、朝鮮学校排除のその理由を「拉致問題の進展がないこと、〔朝鮮学校が〕朝鮮総連と密接な関係にあり、教育内容、人事、財政にその影響が及んでいること」だと述べた。(*11) しかし、朝鮮学校の成り立ちを見ても朝鮮総連と密接に関係しない歴史なんて不可能なのである。拉致問題に関しては、日本政府が朝鮮民主主義人民共和国への外交努力を果たさなければならない問題なのであり、日帝による植民地支配の産物である朝鮮学校の学生にその責任を転嫁することなどあまりにも見当違いなのだ。
この政府主導の高校無償化排除問題は、なぜか高校のみならず、初・中級部にも派生している。各都道府県によって支給されていた補助金も、法的根拠もなく相次いで凍結されたり大幅減額され始めたのだ。さらに、2019年には朝鮮幼稚園も幼保無償化から排除された。

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私自身、高校無償化排除のニュースは、蚊帳の外でありながらも気にはなっていた。ただ、気にはなりながらも、高校生当時からつい最近まで、この問題について語ることに本当に自信がなかった。
それは主に、無償化排除に反対する世論から声高に聞こえてくる「子どもたちの教育は北朝鮮とは関係がない」という言説に違和感を持っていたからだ。「北朝鮮」と切り離すことによって「子どもたちに罪はない」ことを主張するような言説である。他の外国人学校もそれぞれの国の認可を受けているところがほとんどだろう。その上で日本の助成金を受けることになっている。それをなぜ朝鮮学校だけ、朝鮮民主主義人民共和国との繋がりに潔癖にならなければならないのか。(*12)
さらに、このように朝鮮学校が窮地に立たされ、日本含め韓国、世界各国からも支援の繋がりが出てきているのだが、そのような中でよく聞くのが「朝鮮学校(の学生)には日本にはないものがある」というような言説である。辿ってきた歴史を鑑みての言葉であるならいいのだが、歴史ではなく学生に過度に「純真さ」が求められているように聞こえるのである。
朝鮮学校が日本社会からキタチョーセンの学校として「異端」とされているからこそ、実際に日本人が朝鮮学校を見た時に、自身が思っていたイメージとのギャップに驚くのかもしれない。学生たちが過ごす「普通」の姿に「感動」してしまうのだ。そうやって、日本人にとって守るべき「対象」としての朝鮮学校にならなければ、日本人からの「支援」を得られない状況が少なからずある。これは日本だけでなく韓国や世界各国の支援者にも同じことが言えるだろう。
しかし、朝鮮学校は「普通の学校」である。一人一人が自分のルーツを知り、勉強し、部活動に励み、のびのび遊んでいる。同時に、他の学校と同じように、集団生活をする学校という空間では校内ヒエラルキーはもちろん不登校、いじめだってあるだろう。
キタチョーセンの学校だという日本政府や政界人からの「お墨付き」を得ている現在、日本の「普通の学校」がゼロ地点だとしたら、朝鮮学校はそのゼロ地点に立つまでにマイナスから出発しなければならない。マイナスからのイメージをゼロに上げるためだけに、運動や支援の現場で朝鮮学校や同胞社会の「愛」や「美しさ」を強調しなければならない。そのことによって、朝鮮学校内における規範に悩んでいる人たちの声がかき消されないか、勝手に心配している。これも当たり前だが、朝鮮学校にもLGBTQ+、ミックスルーツ、障害など、マイノリティ性を複合的に抱えた学生たちがいるのだ。最近は、地方では一クラス1桁(0〜1人というクラスも)という学校も多いため、皮肉にもその分個々人の状況に寄り添う教育になりやすいと思うが、この状況は決して「普通」ではない。
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最近、在日同胞と話している時、朝鮮学校の学生は自己肯定感が高い、という言葉を聞いた。
なんだかんだ言っても、それはたしかにそうだなと思った。私自身、これまでの人生の中で「在日じゃなければこんなことにはならなかった」と悲観することは多々あるにせよ、初級部まで朝鮮学校に通ったことによって自分の実存を否定することだけはせずに済んだと思っている。日本の学校に行った在日コリアンがルーツを隠さざるを得なかったり、出自を責めてしまうという話を聞くと余計にそう感じる。植民地支配の宗主国を生きるマイノリティの事例として、四世・五世とまで民族性を継承できていることは単純にすごいことかもしれない。
ただ、この日本、ひいては国際社会のキタチョーセン・フォビア(嫌悪)というものは、いくら朝鮮学校に通っていても、在日朝鮮人自身も内面化してしまうくらい強烈な力を持っている。それは日本社会の情報に接する時間や頻度が圧倒的に多いからだ。日本社会から自分たちがどう見られるかということは無意識にでも気にするものである。
昨今の朝鮮学校の生徒数の減少は、間違いなく日本政府の方針や新聞・テレビの報道姿勢が比例している。チマ・チョゴリ事件も、1980年代の「北朝鮮」報道がある度に集中したのだという。
日本政府を相手取った高校無償化裁判は、高校生たちが原告となり、2013年に東京・大阪・名古屋・広島・福岡の全国5ヶ所で始まった。そして2021年広島の訴訟が最高裁で上告が棄却されて全ての判決が確定し、大阪一審での勝訴以外すべて敗訴となった。
裁判の始まった年から、朝鮮大学校の学生が呼びかけ、毎週金曜日文科省前で無償化排除に抗議する「金曜行動」が現在も行われている。(*13) 2026年3月最終週の時点で、613回目を迎えている。(*14) また、今年2026年4月から始まった教育無償化は、朝鮮学校以外の外国人学校も除外された。(*15)
朝鮮学校は、日帝の植民地支配の結果としてできた朝鮮民主主義人民共和国の在外同胞学校だから「普通ではない」のではない。その宗主国である日本において、朝鮮学校への差別構造を温存している結果、市民の善意としての支援を必要とする状況こそが「普通」のことではないのである。
そもそもの日本社会の価値観=キタチョーセン・フォビアを根底から覆さなければ、いくら日本政府に国連の差別是正勧告が出ていようが、国連の子どもの権利条約に反していると指摘しようが、日本社会にそんな話通じるわけがないのだ。(*16)
深刻な経営難に陥っている各地の朝鮮学校は、近年、各地でクラウドファンディングの挑戦やマンスリーサポーターの募集、キムチの定期販売などを通して、持続的なサポートを呼びかけている。(*17)
私たち一人一人が、どのように朝鮮学校を本当の意味で守っていくのか、根本的に見直さなければならない。
いい加減、はやく「普通の学校」でいさせてほしい。
uhi(うひ)
1994年、東京生まれ。小学校は朝鮮学校、中高時代は韓国学校ですごす。かつて母が“帰国”を望んだ朝鮮民主主義人民共和国と父の憧れたアメリカの大きな存在を影に感じながら、日本・韓国社会の中で自分が在日朝鮮人3世として抱かざるを得なかった違和感を頼りに活動するクィア。ノンバイナリー。入管運動や関東大震災朝鮮人虐殺の記憶継承に取り組む。
ある在日朝鮮人のフェミニストが考えていること