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No.7「女と仕事」のフェミニズム(小山内園子)

2021/5/17

「翻訳者たちのフェミニスト読書日記」

海外の熱きフェミニズム作品を私たちに紹介してくれる翻訳家たちは、お仕事以外にどんなフェミ本を読んでいるのだろう? 読書リレーエッセイの今回は、先日、訳書カン・ファギル『別の人』がエトセトラブックスから刊行された、韓国語翻訳の小山内園子さんよる「女と仕事」にまつわる読書日記です!

 

 

〇月×日

ここのところ、気が付けば「女と仕事」ということを考えている。この場合の仕事は、いわゆる賃労働。生産労働だ。出かけて行って仕事をし、お金をもらうという行為。最近手にする韓国の小説、それも女性作家の描いているものには、どこかしらに女と仕事の関係について思いをめぐらしてしまう描写がある。読みかけの本からふと目を上げ、少し遠くを眺めながらふーっと溜息をついてしまう。

たとえば短編集の『ショールーム』。IKEAやダイソーに“なにか”を求めて訪れる人の人生の断面を切り取った、しみじみと考えさせられる8篇が収められている。一生モノの買い物ではない。なくてもかまわないけれど、でも買ったら気分が上がるかもしれない。そう思いながら売り場をゆく人々の背後に人生の蹉跌が垣間見える。中の一篇に、ルームシェアを始めた20代の女性3人がIKEAでソファーを買う話があった。

一緒に大学を卒業したのに、無事就職できたのは1人きり。そこそこ名の知れた企業の契約社員だ。その段階で同居人3人の関係に階級が生まれてしまう。共用スペースに置くソファーを買いに出かけた時もそう。職のない者、つまり稼ぎのない者は財布を握る人間の顔色を窺わざるを得ない。就職浪人を決めた1人は、一緒にソファーを物色しながらこう思う。

就職浪人の期間が長くなって、ときどき鬱っぽくなった。就職試験がある前日は自殺衝動に襲われたりもした。 高校の3年間ずっといじめに遭っていたクラスメイトが学校の屋上から飛び降りた日。死にきれず植物人間になったと聞いて「あの女、自殺もまともにできないんだ」と話す生徒の輪の中に私もいた。前学期に恋人が盗撮したセックス動画をネットに拡散されて自殺した子は教養で同じ授業をとっていた。死でさえ、成功と失敗に分類して記憶するだけだった。

キム・イギョン著「イケアのソファーを買い替える」より

よく言われているとおり、韓国と日本の労働市場は抱えている問題がよく似ている。ともに働き方改革が推進され、雇用の調整弁にされるのは非正規職だ。加えて韓国の場合、大学進学率は高いのに有名企業と中小企業で社員の扱いに大きな開きがあるため、蓋を開けてみたら実はブラック企業ということも少なくない。だから若者たちは有名企業の狭き門目指してスペックを上げつつ就職浪人をしたり、安定した公務員になろうと試験準備をする。

だがここまでは一般論だ。求職者に女性という要素が加わると、仕事につくこと、仕事を続けることは当たり前のように輪をかけて難しくなる。

物語の最後。勝者だったはずの契約社員は突然契約を切られる。理由は語られないが、能力の問題でないことはなんとなくわかる。だって彼女は休日にやたらと連絡をよこす男性上司にも丁寧に対応していたのだから。全員失業者になり、三人はベランダに置いたイケアのソファーでだまって煙草をくゆらせる。

著者のキム・イギョンは1978年生まれ。2014年にデビューを果たすまで、半地下の部屋に暮らし、非正規職を転々としながら小説を書き続けてきたという。

 

 

〇月×日

女と仕事といえば……と古い雑誌を引っ張りだしてきた。チョ・ナムジュが2012年に文芸誌に発表したいわばお仕事小説。タイトルは「ミス・キムは知っている」

同族企業、社員の殆どがコネ採用の広告代理店で突然不可解な出来事が連発する。夜食の注文に使っていた食堂のリストがなくなる。取引先のデータが部分的に改ざんされる。備品の文房具を整理するために置かれていた仕切り板がなくなって中身がごちゃごちゃになる。それら全部をこなしていたのが、だいぶ前に解雇されたミス・キムだ。

ミス・キムの影響力はあまりに大きくなっていた。代理でもなく課長でもなく室長でもなく、経歴は最長だが役職は最低、年俸も最低のミス・キムが、しかし会社の全業務を把握し、調整し、進めていた。 だからといってミス・キムを昇進させたり年俸を上げたりするわけにもいかなかった。ミス・キムは、ミス・キムだからだ。

チョ・ナムジュ著「ミス・キムは知っている」より

なぜ自分が解雇されなければならないのかと聞くミス・キムへの会社側の対応は、それはもう酷いものだった。社内はざわめく。もしや、夜中にオフィスにしのびこんでいるのか? 嫌がらせか? 社員の一人が慌てて監視カメラを確認しにいくと、そこに映っていたものは……。

サスペンスタッチのスピーディーな展開に時折ユーモアも混じるが、ここで描かれているミス・キム仕事の内容に既視感を感じるのは私だけではないだろう。

会社での仕事を大雑把に分けると「派手で、その人しかできなくて、ステップアップになる仕事」と「地道で、誰でもできて、うまくやるのがあたりまえの仕事」の2種類だと思う。どちらがいいとか立派という話ではない。問題は、女性の場合、圧倒的に後者を振られることが多い、あるいは後者の仕事しか用意されていないということだ。

労働市場の入り口も、入ってからも、女の仕事風景は足場が悪い。なぜこうも足元が暗く、険しいのかと、また溜息をつく。

 

〇月×日

自分で訳した本なのに、さんざん翻訳作業中に読んでいるはずなのに、悩むたび人生の書みたいに読み直す本がある。女と仕事にまつわるモヤモヤを感じるたび引っ張りだすのは『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』の著者、イ・ミンギョンが男女の賃金格差に迫った『失われた賃金を求めて』だ。読んでまた首がもげそうになるほどうなずく。

女の職場環境の理不尽さ。それは女性と男性の採用数が同じとか、同じコースで昇進するとかいう外形的なことでなく、不公平かつ根深いお仕事文化にあるのだ。著者は男女の賃金格差はなぜ生まれるかという視点から、その理不尽ぶりに斬り込んでいく。

問題なのは、同じ職級にいる男性がけっして「一人前の女を越える役員」と紹介されたりしないことである。「男性だってがんばればチーム長なれるんだから、絶対にあきらめるな」なんて言われたりしない。差別は、めげずに闘って勝ち抜けばなくなるものではなく、闘わなくてはならないものすべてを指す。差別は、「女性だってできる」ことを誰かが証明したときでなく、そのことばが「男性だってできる」に言いかえたときと同じくらい変に聞こえるようになったときに、はじめて姿を消す。

だから、もはや「実力では劣らないことを証明するんだ」と女性を叱咤激励することより、「女性は劣る」というどうしようもない通念をつくり出しているのが一体誰かを暴くほうに力を注ぐべきなのだ。

イ・ミンギョン著『失われた賃金を求めて』より

個人がぶつかる壁を個人の体験に限定せず、みんなの問題として変えていく。職場をサバイバルするのではなくて、職場そのものを変える。個人の体験を集めて、制度や社会を変えること。きっとそれがフェミニズムなんだよな。少し、スーッとする。

 

 

紹介した作品

〇キム・イギョン著「イケアのソファーを買い替える」(短編集、『ショールーム』収録、民音社、2018、未邦訳) *右は『ショールーム』書影
〇チョ・ナムジュ著 「ミス・キムは知っている」(雑誌『文学トンネ』2012年冬号掲載、未邦訳)
〇イ・ミンギョン『失われた賃金を求めて』(タバブックス、2021年2月刊行)

 

小山内園子(おさない・そのこ)
1969年生まれ。東北大学教育学部卒業。NHK報道局ディレクターを経て、延世大学などで韓国語を学ぶ。訳書に、姜仁淑『韓国の自然主義文学』(クオン)、キム・シンフェ『ぼのぼのみたいに生きられたらいいのに』(竹書房)、チョン・ソンテ『遠足』(クオン)、ク・ビョンモ『四隣人の食卓』(書肆侃侃房)、キム・ホンビ『女の答えはピッチにある 女子サッカーが私に教えてくれたこと』(白水社)、イ・ミンギョン『私たちにはことばが必要だ』『失われた賃金を求めて』(すんみとの共訳・タバブックス)、チョ・ナムジュ『彼女の名前は』(すんみとの共訳・筑摩書房)、カン・ファギル『別の人』(エトセトラブックス)がある。5月末に、小山内園子・すんみ責任編集『エトセトラVOL.5』(特集:私たちは韓国ドラマで強くなれる)がエトセトラブックスより刊行予定!