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「翻訳者たちのフェミニスト日記」NO.18:それに見合う罰とはどんなものか、教えてあげましょう(小山内園子)

2024/9/15

「翻訳者たちのフェミニスト読書日記」

海外の熱きフェミニズム作品を私たちに紹介してくれる翻訳家たちは、どんなフェミ本を読んでいるのだろう? 読書リレーエッセイの今回は、韓国語翻訳の小山内園子さんが、性加害者の体にある「罰」が与えられる世界を描いたク・ビョンモの短編を紹介。そうはならない現実のなか、作品中の彼女たちに起きたことをどうか想像してみてください。

 

チェ・ジニョン著、すんみ訳『ディア・マイ・シスター』(亜紀書房)を読んだ。主人公のイ・ジェヤは高校生のときに顔見知りの年上男性に性暴力を受け、告発する。〈これはおかしい〉と、非常にまっすぐに訴えるジェヤの声を、別の多くの声が遮る。加害者ではなく被害者の「素行」を問う声、出来事を意図的に矮小化する声、告発すれば君が割を食うと、やさしげに諭す声。

物語は、告発とその顛末を語るだけではない。むしろ、告発のあとに続くジェヤの長い長い心の旅路を、息をつめて見つめる。どれほど加害の傷痕が残り続けるか、加害をきっかけに破壊される日常がどこまで続いていくか。実際それは負のドミノなのだ。出来事がなければ続いていたはずのジェヤの当たり前の日常は、1つ、また1つと壊されていく。終わりがどこかもわからない、うねうねと曲がりくねるドミノ。読む側はドミノが倒れていくさまを、手をこまねいてみているしかない。

深夜にひとり、ジェヤの物語を読んでいた。そのドミノに途中で呼吸が浅くなった。ラストまで読み終えて、滂沱の涙で叫んでいた。「だからコイツにも、コンチューを埋め込んでしまえばよいのだっ!!! それしか、見合う罰などないのだあああああっ」。

私は結構本気で思っている。ありとあらゆる場所で起き、繰り返されている性暴力。その罰として、加害者の体にはもう問答無用で昆虫を埋め込んでしまえばよい。あの短編のように。

* * *

性犯罪の前科者の体内には、刑罰として虫が埋め込まれる。再び性行為に及ぼうとすれば、虫は急成長し、その人間の体を突き破って登場する。宿主とされた前科者の体は、虫の登場と同時に八つ裂きになって吹っ飛ぶ。加害者は、自分の加害で自分を死に至らしめるのだ。政府は公式には認めていないが、レイプ未遂事件が起こるたびに謎の巨大昆虫の誕生が次々と目撃されるにつれ、ダークネット上では、隠蔽された刑罰の存在が囁かれる。どうやら加害者の体には、虫が埋め込まれているらしいと。

韓国の小説家、ク・ビョンモの短編「昆虫図鑑」(短編集『故意ではないけれど』所収、未邦訳)では、いきなり冒頭から、レイプに及んだ加害者の体を突き破って、巨大な虫が登場する場面が描かれる。

男の体の中から、噛み合っていないルービックキューブを無理矢理力づくで回転させるような音が上がる。6つの色が混ざりあって元の位置へ収まる26個の立方体の動きのようなアクションで、男は、自らのうなじに腕を伸ばして絶叫する。音が下へと移動するにつれ、男の体は奇妙な角度にねじれる。まもなく関節が破壊され、糸のもつれたマリオネットと変わらない状態になる。

体内で骨を砕き筋肉を引き裂いていた音は、ついに男の肩甲骨のあたりを突き破って出てくる。

2組の透明で巨大な翅が、風を切るヘリコプターのプロペラのような音をあげて空中に広がり、震える。4枚の翅に刺繍された黒い網模様が、夕映えの光を受けて銀色に輝く。中身が抜かれた後のブドウの皮のように男の体はその場に皺くちゃになってくずおれ、1匹の昆虫が、6本の脚を立てながら重い体を起こす。

子牛ほどの大きさの胴体は、男の血をかぶって鮮明な赤色をしている。目覚めたばかりの世の中へ向けて逆立てた産毛の1本1本が松葉のような太さで、少し刺されただけでも即死が保障されているかのごとくである。

雑巾のようになった男の体を踏みつぶして、昆虫が、鈍重な身振りで2本の前足をゆっくりと擦り合わせる。下に組み敷かれていた、つまり、ちょっと前まで男の腹に押さえつけられていた女は、すでに気を失っているのか動きが見えない。

(ク・ビョンモ 「昆虫図鑑」)

こちらの短編の主人公も、やはり高校生の「私」だ。彼女はかつて、血のつながらない兄からレイプされた過去がある。母親は娘を守るため、家を出て母娘2人きりでの生活に踏み切る。ようやくなんとか暮らしのかたちが整い始めたある日、兄が再び「私」と母の前に現れる。不可抗力の事態がいくつも重なって、「私」は兄と同居せざるを得なくなる。

しかし、「私」はほとんど不安を表に出さない。兄とも、過去の出来事をなかったことのようにやりとりができる。見ていたからだ。レイプに及ぼうとした男の体から、巨大な昆虫が四方八方に男の肉の塊を吹き飛ばして現れる場面を。そして信じているのだ。兄の体の中には、あの出来事の後、昆虫が埋め込まれたに違いないと。

だが実は、レイプ未遂事件のたびに巨大な昆虫の誕生が目撃される案件が多数発生している、というだけで、出来事の因果関係は解明されていない。警察も政府も、レイプへの刑罰に昆虫の卵や幼虫を埋め込んだとは一切認めていない。だからこそ、さまざまな分析や憶測が広がる。たとえば科学者は、体内に埋め込まれた昆虫は、宿主が性衝動を感じた時に体内で分泌される物質で急成長し、いっきに成虫となるのだろうとコメントする。だとすれば犯罪以外の性行為でも昆虫に命を奪われるわけだが、すると、犯罪者に更生の機会を与えないこともまた人権侵害ではないかという識者も登場する。たった一度の〈過ち〉によって、二度と性行為ができない身体にされるのもどうなのかと、ぼんやりした同情の声が上がる。

そんななか、母親が家を空けた晩、兄が主人公の部屋に忍び込んでくる――。

* * *

私が中学生だった「昭和」の時代、テレビでは2時間のサスペンスドラマがよく放映されていた。母の趣味が編み物や縫物をしながらテレビドラマを見ることだったので、『火曜サスペンス劇場』だの『土曜ワイド劇場』だのというそれらの番組を、脇でぼーっと見ていることがたびたびあった。その中で、今でも忘れられない作品がある。とはいえ、タイトルも俳優の顔も覚えていない。ただ、ある回のストーリーの一部だけが、今でも頭にこびりついている。

結婚を控えた女性が、式まであと数日というところで見知らぬ人間に車に連れ込まれ、レイプされる。周囲に説得されて彼女は予定通り結婚式に臨むが、夫となった相手と性行為はできない。夫婦関係は軋み始める。親や友人は、とにかくあの出来事は忘れてしまえという。妊娠もしていない。相手が誰かもわからない。きれいさっぱり忘れて、何事もなかったように夫と結婚生活を続けろと。しかし彼女はそうはできないし、できない理由を夫にも語れない。夫は彼女を責め、離婚話が持ち上がる。

彼女は、誰もいないところを選んで泣く。それまで、視線は手元に釘付けで耳でばかりドラマを視聴していたような母が突然顔を上げ、テレビ画面を睨みつけてこう言った。

「忘れられるもんですか。一生消えない傷もあるのに」

性暴力の加害者に、罰として、生涯去らない昆虫を身中奥深くに埋め込む。そのエピソードを読んだとき、よみがえったのはこの記憶だった。結婚式数日前の出来事で、その後の人生が大きく変わってしまったドラマの中の彼女。人のいない場所を選んで流す涙には、怒りや釈然としない思い、それに1人で耐えなければならない無念さがにじんでいた。

私も含めて人は、よく被害に遭った人々の回復を願う。本来その回復の大きな手掛かりとなるのは、謝罪されること、そして、相手を許すかどうかを決める機会を与えられることのはずだ。それもなしに被害者だけに、被害者の努力のみで、回復の物語を期待するのは残酷だと思う。だが現実的には、多くのケースでそうした前提が満たされない。記憶の中のドラマの彼女も、イ・ジェヤも。

だったら、加害者のほうに、罰として昆虫を埋め込みたい。そして彼女たちのそばに行ってこう伝えるのだ。「もう大丈夫ですよ。犯人には、今度もし何かやったら、メリメリメリと体を突き破って出てくる昆虫の卵を埋め込んでおきましたからね!」。そうしたら、彼女たちの恐怖を少しは減じられるのではないか。実際、そのくらいの罰を受けてようやく、犯した罪に匹敵すると思う。加害者に思い知らせるだけでは足りない。社会一般にも、性暴力が昆虫を埋めこまれるのと同じくらい破壊的な犯罪であることは、もっと知られてよい。

* * *

チェ・ジニョンの『ディア・マイ・シスター』の原題は『이제야 언니에게(イジェヤ・オンニエゲ)』である。『イ・ジェヤ姉さんへ』とも、『やっと、お姉さんへ』とも訳せるダブルミーニングだ。主人公のジェヤが告発に動いた大きな理由の1つが、妹ジェニも同じ目に遭わせたくない、という思いだった。姉の長い長い道のりを知った後で、妹はどう思うのだろう。やっとかけられる言葉とは、どんなものだろう。それは実はジェニだけでなく、読んだ者全員への問いかけでもあると思う。そしてまた。

この尋常でない2024年の残暑の中でも、性的暴行事件を起こす沖縄の米兵、中学生に性的暴行をする元議員、若者支援の場所で性加害を働く大人と、性犯罪のニュースは後を絶たない。加害された側の傷に見合うだけの罰とはどんなものか、ぜひ考えてほしい。私は断然、昆虫派である。

 

*紹介した作品

チェ・ジニョン著、すんみ訳『ディア・マイ・シスター』(亜紀書房)原書『이제야 언니에게』(チャンビ、2019)

ク・ビョンモ 「昆虫図鑑」(短編集『故意ではないけれど』所収、民音社、2021)

 

小山内園子(おさない・そのこ)
NHK報道局ディレクターを経て、延世大学などで韓国語を学ぶ。訳書に、ク・ビョンモ『四隣人の食卓』(書肆侃侃房)『破砕』『破果』(岩波書店)、キム・ホンビ『女の答えはピッチにある 女子サッカーが私に教えてくれたこと』(白水社)、イ・ミンギョン『私たちにはことばが必要だ』『失われた賃金を求めて』『脱コルセット:到来した想像』(共訳・タバブックス)、ホンサムピギョル『未婚じゃなくて、非婚です』(共訳・左右社)、カン・ファギル『別の人』(エトセトラブックス)『大丈夫な人』『大仏ホテルの幽霊』(白水社)、など 。ほかに、小山内園子・すんみ責任編集『エトセトラVOL.5 』(特集:私たちは韓国ドラマで強くなれる)がある。