記事を検索する

「翻訳者たちのフェミニスト日記」NO.16:加害者を見よ、罪を問え、連帯をアップデートせよ (小山内園子)

2023/2/15

「翻訳者たちのフェミニスト読書日記」

海外の熱きフェミニズム作品を私たちに紹介してくれる翻訳家たちは、どんなフェミ本を読んでいるのだろう? 読書リレーエッセイの今回は、韓国語翻訳の小山内園子さんが、あの韓国史上最大規模のデジタル性犯罪「n番部屋事件」の裁判を全国で傍聴し、厳罰を求めるフェミニストたちの本を紹介。


だいたいが、いつもそうだ。

元交際相手の男性に、繁華街の路上で女性が複数回刃物で刺されて、殺害された事件。容疑者は逮捕され、取り調べで特に容疑を否定していない。氏名もすでに警察発表されている。にもかかわらず、その段階で詳報が伝えられるのは被害者について、だ。

夜10時台、帰宅したサラリーマンがターゲット視聴者らしいそのニュースショーのスタジオには、ニュースを読むアンカーの4倍は大きく引き伸ばした被害者の顔写真パネルが置かれていた。次から次と流れるVTRは、彼女が10代にどんな夢を抱き、現実にはどんな職業に就き、結婚と離婚を経て容疑者とはいつどこで出会い、どんな交際をしていたか、トラブルがあって以降は警察に相談していたか、警察からの助言は守ったか、という内容が並べたてられる。報じる側の脳内を想像するのはひどくたやすい。〈厄介な男と運悪くつきあって、警察には相談しても、肝心のところで対策がとりきれなかった〉というストーリーなんだろう。主語は被害者だ。

アンカーが、被害者に幼い遺族がいたことを読み上げる。ニュースを見ている途中でもう、はらわたが煮えくり返ってチャンネルをかえてしまう。

なぜ、被害者をさらす?

百歩譲って「二度と同じような悲劇が起こらないため」という犯罪防止のためと理解したとしても、だったらさらされるべき情報は加害者であろうと思う。「こんなことをすればこういう目に遭う」と加害者に犯行を躊躇させる内容ではなく、「こんな目に遭ったらどうしよう」と被害者に似た状況の人々をさらに脅かす呪いの情報。なぜ被害者をさらす? なぜ加害者を追わない?

「なぜ加害者を追わない?」

女性や児童を対象にした犯罪報道に接するたび、ずっとモヤモヤしていた。その理由が、被害者ばかりがやたらにさらされること、次の被害者になりうる属性を持つ者ばかりが萎縮させられることへの違和感だと気づいたのは、ごく最近のことだ。

韓国のフェミニズム出版社、ボムアラムが2022年4月に刊行した『だから私たちは法廷に行った n番部屋加害者裁判傍聴連帯記』を読んで、とても腹に落ちた。ああ、つまりこれは、加害者を追って罪を問う気がサラサラない報道だからムカつくんだ。自分の違和感に言葉を与えられると、がぜん物事への解像度が高まる気がする。

「n番部屋事件」と呼ばれるデジタル性犯罪をご存じだろうか。2019年初めから、テレグラムのチャットルームを利用して韓国で起きた事件である。主犯格が1番からn番までチャットルームを作り、それぞれに役割分担を決めて組織的に「性搾取」を行っていた。この事件を追ったドキュメンタリーがNetflixで『サイバー地獄』というタイトルで配信され、日本でもしばらく「話題作」として扱われていたから、記憶されている方も多いと思う。

n番部屋だけでなく、n番部屋のシステムを模倣した犯罪目的のチャットルームは雨後の筍のように生まれていた。アルバイトやモデルのスカウトを装って女性たちから個人情報を引き出し、それを脅しのネタにしてレイプや自慰、公衆トイレの床を舐めさせるなどの行為をさせ、動画に収める。被害女性を奴隷と呼び、「奴隷たちがスタンバイしています」と動画の試聴を会員にあおり、それによって収益を得る。そうしたチャットルームにカネを落として出入りしていた男性の数は、なんと26万名にも及ぶという。

著者の「チームeNd」は、このn番部屋関係者の厳重な処罰を求める非営利任意団体だ。チーム名は「n版部屋犯罪を完全に終わらせる=END」の意。だが、事件が明らかになった2020年は全世界がコロナ禍に襲われた時期とも重なっていた。デモという手段が難しくなったチームは、かわりに〈韓国の各地の地裁で行われる裁判を傍聴し、厳罰嘆願書を提出する〉という運動を進めていく。

事件は韓国史上最大規模のデジタル性犯罪である。どこかに悪の巣窟があるわけではなく、韓国全土に犯罪に関与した加害者が散らばっている。当然、裁判も全国で行われる。だから、この活動の賛同者は自分の地元で、〈傍聴〉という抗議行動を行うわけだ。そして彼女たちは、直接法廷で目にする加害者の姿に、さまざまな想いを抱く。

イ・■ミン(筆者注:被告名、伏字は原文ママ)は大邱(ルビ:テグ)で被害者をレイプし、レイプ映像を盗撮してオンラインで配信した。イ・■ミンの証言を聴きながら、犯行現場がどこか思い当たった。姉が住んでいるところ。私と姉がしょっちゅう散歩していた公園の近く。犯行現場は管轄の警察署から1.6キロ離れている。現在、イ・■ミンの犯行現場は営業を取りやめ、2022年から建物が壊されて高層マンションの工事が始まる予定だ。でも私は、あの場所を通るたびに、イ・■ミンの犯行とn番部屋事件を思い浮かべるのだろう。
(p.57~58)

カン・■ウン(筆者注:被告名、伏字は原文ママ)は最終陳述で「妻は妊娠中だったが、中絶し、自分は離婚を求められている」と、さんざん哀れぶっていた。加害者たちの自己憐憫にひたすらうんざりする。
事情がどうあれ、その妻の離婚を応援したかった。性犯罪者のアン・ヒジョン(注1)、パク・ウォンスン(注2)の夫人たちが、自筆の手紙まで書いて被害者に二次加害をしていたことを思い出し、悔しさに歯噛みしたくなる。テレグラム性犯罪者たちの家族も、「息子」のために善処嘆願書を書いて提出し、性犯罪専門の弁護士、法律事務所を選任している。性犯罪を取り上げた記事には「加害者があなたの兄や弟、父親でも厳罰を求めるか?」と書き込みがつく。私はいつも、逆に訊きたかった。「自分の家族が犯罪者なのに、どういうつもりで警察に届けない?」(p.73)

うんざりするのは当事者の自己憐憫だけでない。それに乗っかって被告側、つまり加害者側の弁護士は「若い彼らの今後を考えてほしい」と連呼する。また、そんな加害者が生まれたのは母親の育て方が悪かったからだと、証人として出頭した加害者の母親たちから反省の言葉を引き出そうとする。法廷という空間そのものも、犯罪の背後にあるミソジニーをどこまで理解しているか、怪しいのである。

検事がイ・■ジェ(筆者注:被告名、伏字は原文ママ)の調書をめくっている途中で、被害者の写真が添付されたページが1分ほど法廷のスクリーンに映し出された。判事、検事、被告人弁護士、被害者弁護士のうちの誰も、問題を提起することはなかった。
(p.52)

傍聴席にいる人間は事件関係者だけではない。そんな法廷で、うかうかと被害者の写真が大写しにされる。加害者の罪を裁く法廷が被害者保護を置き去りにしている現実。こうした「発見」を、少なくても私は、この事件に関する主要メディアの報道で見かけていない。

写真本書でも紹介されている通り、SNS上ではn番部屋事件へのアクションが「n番部屋は判決を糧に育った」というハッシュタグで拡散した。性犯罪に対する過去の軽すぎる判決が、史上最悪のデジタル性犯罪を生み出したという認識だ。

被害の重さに匹敵する罪の重さを。性犯罪の厳罰化を。もしコロナがなければ、チームはn番部屋事件被告の厳罰処分を、デモを通じて訴えていたのだろう。だが、その手が封じられたことで、はからずもチームのメンバーは、加害者とその周辺のリアルに直接目を向けることになる。容疑者に寄り添い、「そんなに悪い子じゃない」と泣きながら訴える彼のおば。証人として出廷した老いた母親から漂う、強い湿布の臭い。「罪を問う」と言いながら、法廷に映し出された被害者の画像をさらすことに何の問題性も感じない法曹界の面々。だからやはり、加害者を「見る」こと、その態度を「知る」ことは重要なのだと気づく。

と、同時に。メンバーたちは、うんざりするような現実に、本当に勝てるだろうかと自問自答する。もしかしたら、どんなにやっても無意味なのかもしれない。この本のもう一つの見どころは、徒労感に負けずに運動を続けるための工夫や、連帯のかたちの模索が記されていることである。メンバーの1人は、一時はチームからの離脱し、活動を止めようと思ったという。その経験を経て、こんな文章を寄せている。

はっきり伝えておきたいことがある。逃げたっていい。決して罪悪感を持つようなことじゃない。私はこれまで、女性活動家たちに「あきらめないで行こう」「疲れきっても倒れずにいよう」と話していた。私の言葉は間違っていた。あきらめたっていい。倒れたっていい。逃げてもいい。やめたかったら、いくらでもやめていい。それはあなたが悪いわけじゃない。いつでもそうしていいんだよ、おつかれさま、と言いたい。抱きしめたい。
長い期間で摩耗し、消えていった女性たちへ。あなたの日常、あなたの安定、あなたの幸せほど大切なものはない。再び戻らなくても大丈夫。去ったのであれば、幸せになるまで戻ってこなくていいし、去ったきりでも大丈夫。罪悪感なんて絶対に持っちゃだめですよ。あなたはできるだけのことをしたし、誰よりも頑張っていた。もっと頑張るなんて、できなかったはずです。(中略)
歴史は勝者が作る、と言う。私たちは勝利するはずだ。いつか、私たちは世の中を変えた者たちとして歴史に記憶されるはずだ。私たちの名前の一字一字が広まることはなくても、私たちの声は1つになって広がるはずだ。どこにいても、私たちは一緒なんだ。
(p.119~120)

この活動では、デジタルなバックラッシュへの懸念を封じるためもあり、ほとんどのチームメンバーが互いのリアルな名前やプロフィールを名乗っていなかった。だから、たまたま裁判所の法廷で一緒に傍聴しても、どういう仕事をし、どういう家族構成かといった情報はわからない。ああ、同じ志の持ち主だ、と知るだけだ。なかには作業だけを粛々と担当し(各裁判所の公判日程のチェックなど)情報提供に専念して、オンライン上でしか認識されていない人もいたのだろう。

つまり、「傍聴連帯」は、非常にパーシャルで、緩やかな連帯なのだ。自己犠牲を前提して誰かの犠牲も要求するのではなく、自分を守りながら進める活動。活動に日常がしばられるのではなく、日常に活動がはさみこまれて生まれる連帯。長引きそうな戦いだからこそ、まずは、お互いを窒息させないことを優先する意識が強く感じられる。

本の作りは決して堅苦しくない。リアルな傍聴記の合間に、法廷での加害者の発言をランキングする「デジタル性犯罪者反省文ランキング」が入っていたり、巻末に「デジタル性犯罪対処法」「傍聴メモ書式」「ワンストップ支援センター連絡先一覧」などの実践資料がついていたり。今を見る視座と、これからを支える勇気をもらって、私は今日もニュースに怒っている。

 

「n番部屋事件」主要加害者関係図

 

「デジタル性犯罪者 反省文ランキング」
情状酌量を求め、1審、2審のそれぞれで被告が提出した反省文の本数をランク付けしたもの。「熱心な」反省文作戦が減刑に功を奏した被告もいたという。

 

追記:No.7「女と仕事」のフェミニズム、でご紹介したチョ・ナムジュの短編「ミス・キムは知っている」が最新短編集(チョ・ナムジュ『私たちが記したもの』(小山内園子・すんみ訳、筑摩書房)に収録され、日本語で読めるようになりました。ぜひ!

■注1
アン・ヒジョン(安熙正):忠清南道前知事。文在寅前大統領の後継者との呼び声も高かったが、元秘書に対する性暴力の罪を問われ、実刑判決が確定した。

■注2
パク・ウォンスン(朴元淳):人権派弁護士、市民運動活動家として名を馳せ、ソウル市長となったが、元秘書にセクハラを告発され失踪。自死した。

■紹介した本
그래서 우리는 법원으로 갔다 – YES24

 

小山内園子(おさない・そのこ)
NHK報道局ディレクターを経て、延世大学などで韓国語を学ぶ。訳書に、ク・ビョンモ『四隣人の食卓』(書肆侃侃房)『破果』(岩波書店)、キム・ホンビ『女の答えはピッチにある 女子サッカーが私に教えてくれたこと』(白水社)、イ・ミンギョン『私たちにはことばが必要だ』『失われた賃金を求めて』『脱コルセット:到来した想像』(共訳・タバブックス)、カン・ファギル『別の人』(エトセトラブックス)『大丈夫な人』(カン・ファギル、白水社)、など 。ほかに、小山内園子・すんみ責任編集『エトセトラVOL.5 』(特集:私たちは韓国ドラマで強くなれる)がある。