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2024/11/11
2024年11月18日刊行『翻訳する女たち 中村妙子・深町眞理子・小尾芙佐・松岡享子』より、著者の大橋由香子さんによる「はじめに」を公開します。「翻訳する女」がまだ珍しかった時代から、数々の名著を紹介してきた翻訳家たちへのインタビューを元に編まれた本書。彼女たちの人生とことばを丁寧に取材してきた大橋さんの思いを、まずはどうぞお読みください。
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はじめに:翻訳する女性が珍しかった時代 大橋由香子
外国語を自分の国の言葉にする翻訳という営み。この世界でも、男性がほとんどという時代があった。
そんなに昔のことではない。
江戸時代の『解体新書』をはじめ、日本でも、さまざまな分野の書物が翻訳されてきた。特に1868年以降、「明治」政府が欧米文明を取り入れ近代化を進めるようになると、多くの海外作品が日本語に翻訳され、雑誌や単行本として刊行される。翻訳をするのは、ほとんどが男性、女性は例外的な存在だった。
なぜ女性の翻訳者が少なかったのか。女性にはその能力がなかったから? ではない。
大きな理由は、外国語を習得するチャンスが少なかったから。そもそも高等教育を受けられる人間が圧倒的に少数だった。その少数派の中でも、女性の割合は、男性と比べてさらに稀だという時代が続いた。その格差は150年以上が経過した現在もなくなったわけではない。今でも都市部以外で4年制大学への進学率は女子のほうが低い傾向が残っている。
女子にも教育を、と創設された女子大学では、学ぶことを許された女子学生がいたが、それでも現在の国立大学(帝国大学)に女性はほとんど入学できなかった(Vol.1の中村妙子さんが悔しい思いをしている)。
『青鞜』を創刊した平塚らいてう──経済的に豊かで進歩的な家庭に生まれた──ですら、大学進学を父親に反対され、母親がとりなしてやっと進学できた。それでも、裁縫や料理はよいが、英語や漢学の講義を取ることは父親に禁じられたという。
そして、日本において翻訳をしてきたのは、小説家(作家)や大学教員(教授)などであり、そうした職業につけるのは男性が多く、女性は少ないということになる。
21世紀の4半世紀を迎えつつある現在も、大学教員は男性比率が高い(非常勤講師は女性が多い)。むしろ小説のほうが、「明治」のころから女性も力を発揮しているかもしれないが、「女流作家」と特別視されるように珍しい存在であり続けた。
こうして、翻訳者は男性というのが、普通の風景だった。
1945年の敗戦を機に、大日本帝国憲法と旧民法下の、女性のほぼ無権利状態に変化が訪れた。女性も選挙権を獲得し、制度化されていた不平等が変わり、「女に教育は必要ない」という考え方も流行遅れになっていった。
1960年代には、女性の大学生が増えることを憂う「女子大生亡国論」も出現したが、閉ざされていた門をこじ開けた女たちの勢いは止まらない。
出版翻訳の世界では、かつては、大学教員が翻訳「も」する、あるいは業績をあげるために、まずは翻訳書を出すという傾向があった。
だが、専攻している分野に造詣が深い研究者であれば、良い翻訳ができるとは限らない。また、外国語に堪能であることと、日本語への翻訳能力が高いことは必ずしも一致しない。哲学書などにおいては、原文を読める読者を想定したかのような、難解な日本語訳も散見された。
ミステリ、ロマンスなどエンタテインメント小説も含め、翻訳出版の点数が増えるにつれて、大学教員ではなく、専業翻訳者の数が増えていく。このことも、女性翻訳者の増加と関係しているかもしれない。
個人的な師弟関係の中でなされていた翻訳者の育成が、翻訳学校というオープンな形になったことも影響を与えた。ツテやコネがなくても、授業料を払ってスクールに入ることで、翻訳技術だけではなく出版社の編集者につながるルートができたことは、性別を問わず多くの人のチャンスとなった。
その前提として、外国語を学ぶ女性が増えたことの意味は大きい。いつの間にか、翻訳といえば女性というイメージが広まった。テレビドラマで、たまに翻訳家が登場すると、それは女性であることが多い。
また、女性翻訳家の層が厚くなったことには、「翻訳の仕事=在宅でできる」ことも関係している。毎日出勤しなければいけない仕事に比べれば、翻訳は子育てや介護との両立がしやすいのは事実だ。
……と書いてすぐに、「在宅は楽」ではない、と補足しなければいけない。子どもが病気になり保育園や幼稚園に行けない、しかし締め切り間近というとき、どうやって乗り切ったか。昼も夜もパジャマのままパソコンに向かっていた(あるいは同じ服のまま寝起きしていた)という綱渡りエピソードを、多くの子もち翻訳者から聞いた。
もちろん、子どもやケアする家族がいるいないにかかわらず、締め切り地獄は、どの翻訳者も経験している。
性別を問わず、翻訳はそのくらい追い詰められる厳しい仕事であり、一方で通勤ラッシュにあわず家にいても可能だという、メリットとデメリットを有している。2020年新型コロナウィルス感染拡大によってリモートワークが普及する以前の「在宅勤務」には、コロナ後の今とはまったく違う意味合いがある。
第一部は、1920年代に生まれ、出版翻訳を専業とする現役活躍中の4人へのインタビューをまとめたものである。光文社古典新訳文庫サイトで「〝不実な美女〟(*)たち──女性翻訳家の人生をたずねて」と題して連載した際には、こう記した。
〈幼少期や少女時代に第2次世界戦争を体験し、翻訳者も編集者も男性が圧倒的だった時代に出版界に飛び込み、半世紀以上も翻訳をしてきた女性たちがいる。暮らしぶりも社会背景も出版事情も大きく変化したなかで、どのような人生を送ってきたのだろうか。かつては〝不実な美女〟と翻訳の比喩に使われたが、自ら翻訳に向き合ってきた彼女たちの軌跡をお届けする。〉
翻訳への愛情とともに、仕事に向き合う姿勢に、尊敬と共感の念を抱きながらの取材となった。
一冊にまとめるにあたっては、ウェブ掲載時の内容に適宜、加筆や修正をおこなった。Vol.2は、深町眞理子さんのご希望により、ウェブ掲載時より詳しい、ひとり語りの形式に変更した。
Vol.3の小尾芙佐さんも、インターネット上では掲載しなかったエピソードを、書籍でならと書き加えてくれた。なお、本書の編集作業のあいだに、悲しく残念なことに、2022年に松岡享子さんが、そして今年には中村妙子さんが逝去された。もっと早く本の形にして、お二人にお届けし、御礼とともにお話をしたかったと、自分の怠惰を悔いるばかりである。ご冥福を心からお祈りいたします(お二人のインタビュー内容は、ご生存時のままにしていることをおことわりしておきます)。
第二部はもっとお話を伺いたいと思いながら、果たせないうちに亡くなられた翻訳者──加地永都子さん、寺崎あきこさん、大島かおりさんを中心に、個人的な思い出とともに綴った書き下しである。
インターネットやパソコンがない時代、原稿を手書きしていたことは、今では信じられない/想像できないことになりつつあるし、すでに出版界の歴史の一コマになったとも言える。それでも、翻訳をめぐる苦しみと喜びは(あるいは、仕事をして生活していくことの困難と手応えは)、どの時代にも共通しているのではないだろうか。
先輩たちの歩んだ道を、一緒にたどっていただければ幸いである。
* 〝不実な美女〟とは、17世紀フランスで「美しいが原文に忠実ではない」とペロー・ダブランクールの翻訳を批判したメナージュの言葉(私がトゥールでふかく愛した女を思い出させる。美しいが不実な女だった)、あるいはルネサンス・イタリアの格言(翻訳は女に似ている。忠実なときは糠味噌くさく、美しいときには不実である)だとも言われ、原文と訳文の距離をめぐる翻訳論争において長く使われてきた。詳しくは、辻由美『翻訳史のプロムナード』(みすず書房、1993)、中村保男『翻訳の技術』(中公新書、1973)参照。
それにしても、イタリアの格言を、いかにも日本的な「糠味噌」と訳すということも、翻訳をめぐる議論のテーマになるところ。本書の中にも類似のことが登場する。
写真:『翻訳する女たち』より:キングの『IT』を引き受けることになって導入にふみきった初代ワープロと小尾(芙佐)さん。親指シフトだ。(写真提供:小尾芙佐)
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