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「あの本がつなぐフェミニズム」第12回:『車イスからの宣戦布告』(大橋由香子)

2026/5/15

パソコンもネットもスマホもないころ、女たちは刺激的な考えや情報を雑誌や本から得ていた。今あらためて「あの本」のページを開くと、何があらわれるのだろうか。連載第12回は、妊娠や出産を語ったあの本について。色々な障害を持つ人の妊娠や出産経験が積み重ねられているのに、いまだに「障害者の子育て」は「普通」のことにはなっていない。産むか、産まないか、どんな人生を送るのか、誰もが決められるように、まずは彼女たちの言葉を読もう。

(バナー写真:フィリピンの女性たちとの屋外学習@マニラ1987年。背景写真は1982年優生保護法改悪阻止集会@渋谷山手教会、左の旗は1984年女と健康国際会議@オランダ/すべて提供:大橋由香子)

 

2026年3月29日エトセトラブックスBOOKSHOPの現地+オンラインで、SOSHIRENおしゃべりツアーVol.4が開かれた。「女と障害とSRHR」と題した米津知子さんのトークイベント。私とエトセトラブックスの松尾亜紀子さんが聞き手になった。米津さんが、家族や周囲との関係で自分をどのように捉えてきたのか、大学闘争のバリケードで運動というものに近づき、そこで出会った女性と今度はウーマンリブに飛び込み、自分を助けていく過程が丁寧に語られた。特に1970年代の優生保護法をめぐる運動は、女性であり障害者でもある米津さんにとって大きな葛藤を呼び起こしたこと--これまで何回も聴いたり読んだりしていたけれど、改めて心にしみた。

そして、友だちや、本や映像で知ってる女たちの顔が思い浮かんだ。彼女たちの共通項は、障害があるということ。でも「障害」って一つじゃなくて違いがいっぱい、それでも共通して「女性障害者」とか「障害のある女性」て言っているけれど……。

この連載の10回目『私は女』の続編のようになるが、今回は安積遊歩さんの本を含めて、妊娠や出産について考えてみたい。

遊歩さんにいつ初めて会ったのか思い出せないが、『インパクション』という雑誌のボランティア編集委員でインタビューした時は、すでに知りあっていた(1994年89号、特集「人口が問題なのか? リプロダクティブ・ライツの逆襲」)。

このインタビューでは、1994年にエジプトのカイロで開かれた国連の人口開発会議で、遊歩さんが優生保護法の差別性を訴えたことが語られている。カイロでの出来事とともに、著書『癒しのセクシー・トリップ――わたしは車椅子の私が好き』(太郎次郎社、初版1993、オンデマンド版2017)について、次のような応答をしている。

大橋 遊歩さんが施設に入った時に、徹底的に「迷惑かけるな」という教育を受けさせられますよね。そこでは「ありがとう」と「すいません」を障害者に言わせる。障害を持つことはまわりの人や社会に対してなにか悪いことをしているみたいな錯覚を持たせられてしまう。そのプロセスがあの本(『癒しのセクシー・トリップ』)の中からすごくよくわかる。

安積 男社会の、企業社会の管理効率主義がシステムになっているでしょ。それがベストのシステムのように思わされている。そのシステムをよく見ると、手間をかけるな、迷惑をかけるな、という発想とつながっている。

でも、迷惑をかけ、手間をかけるからこそ一つ一つがつながりあうわけ。障害を持つ人や赤ちゃんやお年寄りがいなかったら、人は人を抱くことを忘れる。一番気持ちのいい、一番大切なことを忘れて、企業戦士たちと同じように、蹴落とすことだけに力がはいっちゃうよね。効率、管理が男性社会の究極の価値。

こうも語る。

安積 障害をもつ人は子どもを産まないと思われてるけど、産ませない、選択権をもぎ取ってるだけでしょ。一方で、子どもを産める存在と思っている障害のない女たちも、しかし子どもを産まなくってもいいわけ。要するに選択権を持ち始めた女たちが、子どもを産まない選択ができるようになった。すごくいいことだと思う。

このインタビューの翌年1995年は、国連の世界女性会議が北京で開かれた。NGOフォーラムでの「優生保護法って何?」という分科会を、DPI女性障害者ネットワーク・’82優生保護法改悪阻止連絡会・フィンレージの会が一緒に企画して、遊歩さんも私も参加した。

彼女は、北京会議から帰って二、三日後に、「とてもとてもステキなメイク・ラブをしたのだ。これだったら、赤ちゃんができても不思議じゃないなと、そのとき思った」という。妊娠マーカー・テストを試してみたら、なんと妊娠! それからの迷いや悩み、医者とのやりとり、出産までの経緯が『車イスからの宣戦布告』(太郎次郎社、1999)に綴られている。たたかいの末に、表紙写真のように娘・宇宙(うみ)ちゃんが誕生した。

この本の題名に『宣戦布告』ということばをつかったのは、優生思想社会に敢然と立ちむかおうという思いからで、べつに私が好戦的でありたいとつねに思っているわけではない。

私が子どもを産むというそのこと自体がひじょうに政治的な行為でもあると思っている。

戦時下では、障害をもつ人はまっさきに殺されるのだ。どんなに美辞麗句を尽くそうとすさまじい暴挙でしかない戦争を二度と起こしてはならないという決意は、車椅子のわが身とわが娘を思うとき、不退転の決意となる。娘は、人びとのやさしいまなざしさえあれば、どの瞬間も生きる喜びに満たされている。その生きる喜びに満ちた子どもたちがそのままで大人になれるように、私たちの感性と行動が問われている。

私は宇宙に、『がまんしないで、泣きながら、怒りながら、そして信じながら進んでいこうね』と言えるのがうれしい。 (「あとがき」より)

 

遊歩さんの他にも、妊娠・出産の体験は本になっている。障害のある女性が妊娠して産むつもりで病院に行っても、「おめでとう」と祝福されることはなく、「うちでは中絶できません」と的外れな言葉を投げかけられることも多い。

たとえば、和光大学が車椅子ユーザーを受け入れた第1号でもある境屋純子(うらら)さんは、中絶できない時期まで待ってから、敢えて中絶に反対しているカトリック病院を受診して出産した。彼女の経験は『空飛ぶトラブルメーカー 障害者で私生子の私がいて』(教育史料出版会、1992)に詳しい。

 私は四十年間、この社会のなかで「トラブルメーカー」として生きてきました。「障害」者であり、私生子でもある私は、生まれたときから、まわりの人たちにとって、「騒動」のもとでした。けれど、それは、私が世の中を変えていくもとになれるということだったのです。

 

うららさんも、当時小学生の子どもと1995年北京女性会議に参加した。この分科会の様子は、冊子『ありのままの女(わたし)が好き! ―第4回世界女性会議 NGO フォーラム参加報告集』(1996)として残っている。なつかしい。

『遊歩 ノーボーダー』という映画が公開される。遊歩さんと宇宙さんはどんなふうに生きているのか。対照的な二人の道も興味深い。そして、本の中でよく出てきた妹・愛子さんの姿が見られたのも嬉しい。障害がある姉、ない妹の関係も、とっても素敵。優生思想の反対側にある世界が垣間みえる気がする。ぜひ映画館へ!

『遊歩 ノーボーダー
5月23日(土)より[東京]ポレポレ東中野にて公開、ほか全国順次公開

(C)2026動画工房ぞうしま

医療によって傷つけられてきた遊歩さんが、福島の青い芝の会と出会い自分を肯定していく(映画には、福島青い芝の会の貴重な記録も登場する)。運動によって水を得た魚のような(という形容は陳腐だけど)変容ぶりは、第10回で紹介した『私は女』編者の一人、金滿里さんにも共通している。

病院や施設での鬱々とした日々、在日朝鮮人の自分には選挙権がないという絶望。大阪の青い芝の会に出会い、21歳で家を出て地域での自立生活を選び「今この世に産まれた」と感じるものの、どっぷり浸かった運動の矛盾や翳りも露呈していく。

自分も仲間も青い芝の会から離れていった頃、金滿里さんは次のように記している

組織を否定した障碍者たちの間で、子づくりに逃げ込むかのように出産ブームが起こりだしたのである。

私は子どもを、自分の生きる方法としては使いたくない。それでは子どもは単なる逃げ道ではないか。子どもと自分の人生は基本的には別物だし、自分の生き方がはっきりした上でないと、私は子どもなんて産み育てるわけにはいかない。子どもを自分の人生の表現にするなんて、親が自分の人生を託すものとして子を産み、障碍児とわかればその夢が壊れ未来がないとする、あの、私たちが問題にしてきた親の差別性と、いったいどこが違うのか。

(金滿里『生きることのはじまり』筑摩書房1996→加筆・改稿して2024、人々舎)

奪われているから、取り戻し、獲得する。それは大事。だけど、本当にそれを欲しているのか? それでいいのか? という問いかけが、何回も、何ごとに対しても投げかけられる。そして、落ち込むだけ落ち込んで、「劇団態変」の誕生につながる。

態変の芝居は反響を呼び、本気で取り組んでいくと、「ひょんなことに妊娠してしまった」。絶妙のタイミング。子どもを持った人生なんて考えられなかったけれど、「産まれるか流れるかは自然に決まるだろう」と受け止めて、「子どもを持つことでいったい人の心理はどう変わっていくのか、それをとことんまで見極めていきたいと思ったのである。」

なんだか、とてもわかる心理である。自分の似たような感覚にニンマリしちゃうけれど(拙著『ニンプ→サンプ→ハハハの日々』社会評論社、1995参照)、あまりの状況の違いにおののき、たじろぐ。でもそこが面白い。

そして、耳が聞こえない人、目が見えない人、知的障害の人なども含めて、色々な障害を持つ人の妊娠や出産経験が積み重ねられているのに……未だにこんなにも「障害者の子育て」は「普通」のことにならず、産むか、産まないか、どんな人生を選ぶかを、個々人が決めることは簡単ではない。

優生保護法から障害者差別だとして優生条項だけが削除されて母体保護法になった1996年から今年で30年。相模原事件から10年。

隔たりと近づき。傷つけあい、気づきあう。関係を築いていくことをあきらめない。

 

『「もっと生きたかった」やまゆり園事件と人権』
(藤井克徳・池上洋道、石川満・井上英夫編著、自治体研究社、2025)。

編著者のほか20人以上が寄稿。私も「セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス・ライツから、やまゆり園事件に通底する優生保護法問題を考える」を書いています。

 

*著者の本です

『翻訳する女たち 中村妙子・深町眞理子・小尾芙佐・松岡享子』
『わたしたちの中絶』

 

大橋由香子(おおはし・ゆかこ)
フリーライター・編集者、非常勤講師。著書に『満心愛の人―フィリピン引き揚げ孤児と育ての親』(インパクト出版会)、『翻訳する女たち 中村妙子・深町眞理子・小尾芙佐・松岡享子』(エトセトラブックス)、共編著『福島原発事故と女たち』(梨の木舎)、『わたしたちの中絶』(明石書店)ほか。光文社古典新訳文庫サイトで「字幕マジックの女たち:映像×多言語×翻訳」連載中。
AERA「この人のこの本」に著者インタビューが掲載されました。
『東洋経済オンライン』に『わたしたちの中絶』についてのインタビュー が掲載されました。