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「あの本がつなぐフェミニズム」第5回:『「母性」を解読する』(大橋由香子)

2024/7/14

パソコンもネットもスマホもないころ、女たちは刺激的な考えや情報を雑誌や本から得ていた。今あらためて「あの本」のページを開くと、何があらわれるのだろうか。大橋由香子さんの連載第5回は、「母性」という圧力に待ったをかけ、「母性」を読む解く材料が詰まっている、あの本です。

(バナー写真:フィリピンの女性たちとの屋外学習@マニラ1987年。背景写真は1982年優生保護法改悪阻止集会@渋谷山手教会、左の旗は1984年女と健康国際会議@オランダ/すべて提供:大橋由香子)

 

今回取り上げるのは、『「母性」を解読する つくられた神話を超えて』(有斐閣)。「はじめに」の冒頭部分には、こうある。

 「女の時代」と言われて久しくなります。女が望みさえすれば、どんな生き方もできる、との風潮も気分も世の中にはあります。確かに女たちは多様な生き方を模索し、歩き出しています。でも実は現状は厳しい。テレビドラマの中のさっそうとした女性のようにはいきません。職業を持ち、意欲的に働く女が増えたわりにいっこうに子育ての環境整備は進まないことから、初産の高齢化、出生率の低下が起こるのも不思議ではありません。

このあと、××××年に、出生率が1. ×× になったことが政府や財界に大きなショックを与えたことが記されたうえで

「女性に母となることの大切さを目覚めさせなければ、若い人口が減って日本の国力が危い」という危機感が今また大きく盛り上がっています。

と記述されている。ここで問題です。「××××」××」にはどんな数字が入るでしょうか?

というわけで、連載5回目はクイズからスタート。つい最近も「2023年の出生率1.20、過去最低を更新」というニュースが流れたばかり。

「合計特殊出生率」が話題になると、女性が産まなくなったのはなぜ?という問いかけが、「わがまま」な女性を非難する調子とともになされる。これはもう、ずーっと見慣れた/聞き慣れた光景。

出生数が減っている背景はさまざまある。子育てにお金がかかる、仕事と育児の過重な労働から、こどもを持ちたくても持てない夫婦も多いということで、行政は「エンゼルプラン」などと称して、子育てと賃金労働が両立できるための条件作り(保育環境の充実、育休中の賃金保障、男性も育児休業を取る)にそれなりに取り組んできた。

昨今は、そもそも結婚しない人の増加が原因だとして、結婚するための援助策?が「婚活」という名のもとに地方自治体や学校教育に広まっている。

そして「異次元の少子化対策」と岸田首相が言うわりには、かわりばえしない印象。出生率が下がるニュースの後には、「失言」を装った政治家の本音発言が流布されるのも、いつものパターンになっている。

おっと、クイズの回答が遅れました。正解は、1990年、1.57。

34年前のこの年に「1.57ショック」と騒がれたのは理由がある。60年に一度めぐってくる干支(えと)の組み合わせ=丙午(ひのえうま)生まれの女性は、気性が激しく夫を不幸にする――そんな迷信で、この年だけ出生数がガクッと下がる。1966年丙午の出生率が1.58、それより低くなったから「ショック」ということだった。

この『「母性」を解読する』は出生率に関する本ではなく、「女性よ母になれ」という圧力に疑問を感じている女たちが、19863月から1989年6月まで15回開いた母性解読連続講座の記録で、4つの章に分けて次の15人が登場。それぞれの章の最後には、主催者たちによる匿名座談会(*タイトル)がついている。刊行は1991年。

 

  1. 科学技術の発達と母性(青木やよひ、佐々木靜子、長沖暁子)*子産みを強制する科学技術
  2. 母性の歴史(加納実紀代、溝口明代、佐藤文明、米津知子)*なぜ「母性解毒」なのか
  3. さまざまな母性像(三輪妙子、大原なぎさ、上野千鶴子、雨宮和子)*「母性」の今
  4. 女性解放運動と母性(江原由美子、村上やす子、鈴木裕子、石塚友子)*産む産まないは女が決める

 

興味深いラインナップで、講座ならではの話し言葉も、もちろん内容も面白い。少しだけ紹介しよう。

産婦人科医療の主体は女、つまり患者の九割九分は女なのですが、管理するのは誰かというと男です。私は女で、産婦人科を選んでいろいろやってきて、特に富士見産婦人科病院事件にかかわるようになってから、それまでどこかおかしいと自分の心の中で思っていたことが、ある日突然「男が管理しているからだ」と考えたら、たいへんスムーズにもやもやしているものが解決したのです。

「女は子どもを産むのが自然なこと」などという発想は、女の生き方を固定するものです。そんな固定観念にはとうてい当てはまらない女たちはたくさんいます。子どもを持たない女たち、男ではなく女を愛している女たち、大工を職業とする女たち……こういう女たちも自由に豊かに暮らしていけるのが、エコロジカルな社会だと思っています。/それから、「女は産む性だから、男より自然に近い。だから自然を守ることにおいても、男より熱心であるはず」という言い方もされます。これも私は同意しかねます。

いま改めて読むと、1980年代に交わされたフェミニズムをめぐる議論が、「青鞜」での「母性保護論争」や、天皇制や侵略戦争を支えた「銃後の母」とつながっていたり、性的マイノリティ、経済格差など現在の課題を先取りしていたり、変遷していたり。フェミニズムにとっての「母性」を読む解く材料が詰まっている。

ここで、またクイズ。先の2つ引用文は、誰の言葉? そしてこの本の編者の正体はいかに?(回答は末尾にあり)

ところで2024年6月30日、私は友だちと青森レインボーパレードに初参加。衝動的に行くことにしたきっかけは、トランスジェンダー差別をめぐる出来事。青森の地で2014年3人から始まったアクションが広まっていったエネルギーを、220人以上の参加者と一緒に体感できた。『「母性」を解読する』に登場する大原なぎささん(いまは原ミナ汰さん)との再会もうれしく、いろいろな人と会える対面イベントのありがたみをしみじみ感じた。青函連絡船に乗った頃の自分との、変わらなさと変化(成熟も退化も)を再確認できるのは、やはり旅の醍醐味なのである。

そういえば、次の丙午は2026年。2年後の出生率、どうなるのだろう。迷信に関係なく、こんな日本じゃ減るだろうな。 

(クイズの答え:佐々木靜子、三輪妙子。グループ「母性」解読講座は、「女(わたし)のからだから82優生保護法改悪阻止連絡会」(当時の名称)が開催した。章末の座談会に出てくるOは私かも?)

追記:青森から東京に戻ってきての7月3日は、最高裁判所で優生保護法強制不妊手術訴訟の判決日。優生保護法の「もうひとつの」中絶をめぐる課題について、毎日新聞のポッドキャスト#ブルーポスト7月17日のゲストでお話しします。(前編後編)よかったら聞いてください。最高裁判決については「週刊金曜日」2024.7.19(1481号)に寄稿。

 

大橋由香子(おおはし・ゆかこ)
フリーライター・編集者、非常勤講師。著書に『満心愛の人―フィリピン引き揚げ孤児と育ての親』(インパクト出版会)、共編著『福島原発事故と女たち』(梨の木舎)ほか。光文社古典新訳文庫サイトで「字幕マジックの女たち:映像×多言語×翻訳」連載中。