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「あの本がつなぐフェミニズム」第8回:『部落の女医』(大橋由香子)

2025/5/15

パソコンもネットもスマホもないころ、女たちは刺激的な考えや情報を雑誌や本から得ていた。今あらためて「あの本」のページを開くと、何があらわれるのだろうか。連載第8回は、大橋さんが10代の頃に部落差別をはじめて「知った」あの本です。

(バナー写真:フィリピンの女性たちとの屋外学習@マニラ1987年。背景写真は1982年優生保護法改悪阻止集会@渋谷山手教会、左の旗は1984年女と健康国際会議@オランダ/すべて提供:大橋由香子)

 

エトセトラブックスから『部落フェミニズム』(熊本理抄編著、藤岡美恵子・宮前千雅子・福岡ともみ・石地かおる・のぴこ・瀬戸徐映里奈・坂東希・川﨑那恵著)が出るときいて、すごく楽しみになったのと同時に、脳の奥から、ある本があらわれた。たしか、実家のあそこらへんにあったはず……。わたしには珍しく脳のシワに刻まれていて、古い本がすぐに見つかった。

小林綾著『部落の女医』。青い岩波新書だ。
奥付には、名前とともに著者紹介が3行だけ。

1928年滋賀県に生まれる
1949年京都府立医大附属女子専門部卒業
現在の勤務先病院名

そして、

1962年5月26日 第 1 刷発行
1973年1月20日 第15刷発行

とある。うしろの広告のページ(岩波新書の題名と著者リスト)下の余白に、1973.12.13(木) とエンピツで、裏表紙には色付きサインペンで名前が記入されていた。かわいい丸文字、なつかしー!

 

 

江戸時代の身分制度についての歴史の授業か、島崎藤村『破戒』を読んだ国語の授業かで、教師がこの本を紹介したのだろうか。なぜ買ったのかは覚えていないが、日付けやサインから、張り切っている自分の姿が­思いうかぶ。レポートを書いたのかも。題名は「部落の女医」だが著者は部落の人ではなく、仕事で移り住んでの経験を綴っている。

さて、半世紀ぶりに読んでみた。

「ここ覚えてる!」という箇所は、著者の娘時代のことだった。電車で、部落の人に乗り合わせた時の周囲の反応。姉の友だちのことを母が「妙子さんはいくらきれいでお金持ちでも、かわいそうな身分や」と言ったり、姉に結婚したい相手ができた時「たとえその人がどんなにいい人でも」もし親戚が(部落の人で)押しかけてきたらどうするのか、と反対したりという親たちの態度が、強烈な印象として残っていた。

著者が部落の人々からきいた具体的な体験には、「ええ?こんなことされるの?なんで?」と中学生のわたしはかなり驚愕した。東北の人あるあるで、わたしの親は「そういうのが関西にはあるらしいね」と自分は差別と無縁かのように言いながら、朝鮮や韓国の人への偏見は隠さない。わたしにとっての部落差別を「知った」初めての本が、部落ではない人によって書かれたのも、皮肉な感じがする。

小林さんは、こう書き始めている。

「「未解放部落」のことを私がほんとうに知ったのは、結婚してからでした。それまで何だかこわい人達のいる村があるとか、大きな声で話をしてもいけない人達の村があるということをぼんやりと知っていた程度のことでした。私が小学校の四年生の時、日支事変が始まり、女学校二年生で大東亜戦争に発展し、女子医専の二年生で終戦になるまで、娘の頃は激しい戦争の時代でした。学校でも家庭でも、新聞も、ラジオも戦争遂行に都合のいい事ばかり、ただただ御恵み深い天皇陛下の御為に死をもって国に殉ずると教えられました。七つボタンや桜や錨の制服に誇りを感じて、私の従兄や友達もつぎつぎと故郷を去って行きました。国家は天皇陛下御一人のものであり、天皇陛下は日本の国そのものであると教えられていたからです。そして私達はそれを疑うことすら知らなかったのです。今は何でも知る事ができますし、何でもみんなが知って、これからは一部の人達の都合によって、無理に事実がかくされたり、だまされたりする事のないように、社会の基礎を積極的にしっかりときずき上げておかなければならないと思います。けれども今でも未解放部落の事については、まだまだ話をするのに抵抗のある感じがさけられません。民主主義とか、人権尊重とかいわれながら、差別が今もそこにあるからです。」

60年以上前と今とでは、「未解放部落」は「被差別部落」に、「日支事変」は「日中戦争」に、「大東亜戦争」は「アジア・太平洋戦争」へと呼び方や表記は変わってきた。けれど、話すことへの抵抗(タブー視)と「差別が今もそこにある」ことは、変わっていない。

親の差別的な態度を軽蔑した著者は、労働組合運動に興味を持ち、そこで出会った夜間部の学生を「私の夫に」決める。レッド・パージの時代で尊敬する大学の先生の解雇に抗議して処分を受け、親からは勘当され、サバサバして結婚する。ところが、「夫の親戚はどんな人だろう」というかすかな不安に襲われる。夫に話すと、彼はびっくりして大笑いし、部落の歴史や水平社運動のことを教えてくれた。周囲から植え付けられたタブーは差別であり間違いだと気づき、「えたいの知れない、物わかりの悪い古い社会の関係を」断ち切る道を選ぶ。

会話が生き生きと再現されて雰囲気が伝わってくるのもこの本の特徴だ。22歳、新米医師となった1950年、就職した病院で週1回、無医村の巡回診療に行く。そこが被差別部落だった。初日は、

「へえ! おめが先生け。何とおかっぱの子供みたいなたよりない先生やの」

とおっちゃんにあきれられるが、

「白い上着でも着て先生らしゅうしててんか。まあしっかりたのんまっせ」と、次第に受け入れられていき、中学教師の夫と、生まれた息子とこの部落に住みつく。

「世間知らずの無鉄砲さで、どうにか診療所は一年間診療をつづけてきました。(中略)〔前にある共同浴場の〕お風呂のつづきの世間話を小さな二階の待合室まで持ちこんで、自分の番が来ても平気でやり過ごしながらまだおしゃべりをやめないおばさんたちもあります。順番などかまわずに、いきなり診察室へはいってきてストーブの具合がどうだとかスリッパの裏がはがれているだとか世話をやくおじさんもあります。子供に注射する時など、待合室の人達がみんなはいってきて、手足を押さえたり十円玉をにぎらせたり大騒ぎです。夜など取り付けたばかりの電話で遠い所の往診がかかって来ると、今 神経痛の注射をしたばかりの患者さんが、自転車に私を乗せて送ってくれる時もあります。」

人々の暮らしぶり、知恵や工夫、人情味あふれる魅力とともに、著者が部落の人たちの問題だと感じることも、率直に書かれている。

地域のまとめ役や水平社時代からの活動家たちが、診療所の世話人会になって支えてくれる。「つきあえばつきあうほど尊敬できる」世話人たちが、すべて男だということに、50年前の私は違和感をもたなかった。

もちろん女たちも登場する。患者さんや家族の食事に呼ばれ、保育所の先生との付き合いもある。でも、見習看護・ひとみちゃんの悩みを聞いた著者は、「やっぱり私はひとりの傍観者でしかなかった」と気づく。

部落には日雇い労働者も多い。日雇健康保険の医療費手続きの複雑さから不正を疑われ、医療機関指定取消し通達が出されるなど、心労も重なって病気になり、悩んだ末に退職。約10年の「部落の女医」生活を終える。

さて、この本を読んだあとの私はどうしたのだろうか。

翌年1974年10月31日は狭山裁判の東京高裁判決日、部落や在日朝鮮の人との連帯をめざす先輩から、「学校を休んででも行くべき」と誘われた。でも「行かないと絶対に後悔するよ」という口調への反発と、勇気のなさから、学校を休めなかった。大学では、活動家たちが新入生を駒のように扱う雰囲気がいやで、「××問題研究会」といったサークルから遠ざかる。狭山の現地調査で万年筆が隠された鴨居など見てきた友だちの話を聞いて、私も行けばよかったと後悔した。

明治公園(今はすっかり様変わりした)の集会で、部落解放同盟の「おかあちゃんたち」のゼッケン姿に、子どものいない自分が未熟に思えた。サヨクのウンドーに限らないが、いろいろな場面で「たくましい母」を男たちが礼賛し、それに比べて女の運動(フェミニズム)は薄っぺらいと非難された。

結婚を反対され出産を許されない部落差別や障害者差別は不当だ。けれど、この連載第4回で取り上げた『女エロス』などの婚姻制度や戸籍への疑問、「産む=善」「子どもがいる家族=幸せ」価値観への違和感が日ごとに増し、たまたま遭遇した優生保護法問題にどっぷりつかってしまった。毎年楽しみなカレンダー、ジョジョ企画「姉妹たちよ 女の暦1993」で水平社運動の高橋くら子さんを知り「すごい!」と思ったものの、結局だれとも出会っていない、傍観者にすらなっていない。

そんなわたしが2025年に『部落フェミニズム』を読む。自分が何を避け、何を欲していたのか振り返る作業へといざなわれる。途中ページをめくる手がとまることもあった。マジョリティの加害性にどう向き合うのか。何年か前にも似た感覚があった。『部落の女医』で描かれていたことは、いまを生きる『部落フェミニズム』9人の著者の経験とも重なっている。刊行トークイベントのアーカイブも視聴してよけいに、とにかく向き合いたい、と思った。遅ればせながら、これから……。まだ時間はあるはず。

 

*新しい本が2冊でました。

『翻訳する女たち 中村妙子・深町眞理子・小尾芙佐・松岡享子』

AERA「この人のこの本」に著者インタビューが掲載されました。

『わたしたちの中絶』


大橋由香子(おおはし・ゆかこ)
フリーライター・編集者、非常勤講師。著書に『満心愛の人―フィリピン引き揚げ孤児と育ての親』(インパクト出版会)、『翻訳する女たち 中村妙子・深町眞理子・小尾芙佐・松岡享子』(エトセトラブックス)、共編著『福島原発事故と女たち』(梨の木舎)、『わたしたちの中絶』(明石書店)ほか。光文社古典新訳文庫サイトで「字幕マジックの女たち:映像×多言語×翻訳」連載中。