記事を検索する
2024/12/15
「フェミ登山部」とは、主に関西近郊の山を巡ったり、ときどき遠くの山に登ったりもする、トランスやクィア、シスとヘテロも参加する多様なフェミニストたちのコレクティブ。メンバーたちが山を登りながら、ときに下りたあと考えたあれこれを、リレー形式で連載します。第17回は、井谷惠子さんが、山の裏側ではじめた魅力的なフェミニストスペースについて語ってくれました。
65歳で定年退職してから、もう5年も経とうとしている。退職をすれば持て余すくらい時間があって、研究と趣味三昧の毎日を送れるはずと思っていたのに、それなりに忙しい。人生残り少ないのだから、「時間よ、もっとゆっくり過ぎてよ」と思う日々を過ごしている。
京都の大学に勤務していたが、在職中は京都を楽しむ余裕がなかったため、退職後もしばらく京都住まいをして、寺社や京都トレイル、様々なイベントを巡った。退職した年が2020年、ちょうどコロナ禍が始まった年だ。今では夢のような静まりかえった京都を歩き、誰も人がいない清水坂なんていう貴重な写真を撮ったりもできた。関節を痛めていた私は自転車にも親しむようになり、鴨川や桂川、宇治川沿いの自転車コースを疾走?もした。京都市南端の伏見に住んでいたので、「京都一周トライアングル」などと名付けて、鴨川〜北山通〜桂川のコースを幾度か走り抜けた。今では観光客で埋め尽くされた鴨川沿いなどは危なくて気持ちよく走れないだろう。
その後、親の介護に通う都合から、兵庫県西宮市北部にある元の家に舞い戻った。六甲山の北東部、まあ言えば、六甲山の裏側で、自然が残されている地域だ。といっても、住宅開発が進んだものの、あっという間に高齢化が進み、侵食された自然の断片が残っているという方が正しいだろう。
この住まいの近くに、福知山線廃線敷というハイキングコースがある。武庫川の渓谷沿いに、いくつもの真っ暗なトンネルを抜け、鉄橋を渡るちょっとスリリングなハイキングが楽しめる。終点の武田尾(たけだお)近くには、亦楽山荘(えきらくさんそう、通称「桜の園」)もあり、四季を歩く楽しみを増してくれる。枕木の残る素朴な廃線敷をハイカーのために残してくれた企業や行政の計らいに感謝しつつ、車椅子やベビーカーが通れたら、トイレの近くなった高齢者のために途中にトイレがあれば百点満点なのになあと願いは尽きない。このコースは、フェミ登山部にもお馴染みで、特に「ゆっくりハイク」というセミグループも愛用している。寒い時には、終点付近のお茶屋さんで焼酎のお湯割り、帰り道には、日帰り温泉などのスピンオフもOKという自在さがいい。
六甲山の山並みを南に見渡せる自宅は、窓やベランダ越しに緑と空が飛び込んでくる。思わず深呼吸する。空気が美味しい。空が広い。自宅の南側にはもうほとんど使われない農業用のため池があり、周辺は雑木林になっているため、早朝からチチッ、ピッピーと鳥の鳴き声がうるさいほど。早春から初夏にかけてはウグイスが日がな一日さえずっている。京都で住んでいたマンションのベランダからは周りの家々と狭い空しか見えず、もう戻れないなと思う。
人生の終盤に再び住むことにしたこの家は、家族の必要に応じて増改築を繰り返したために、1人と猫3頭が住むには広すぎる。京都のマンションでコンパクトな生活に慣れた私にとっては、住み続けるために手間隙のかかる家だが、6人もの家族で住んでいたときは、自分のスペースは狭く、それを思えば贅沢な悩みかもしれない。あの頃は、仕事や家事や育児に追われ、自分のためのわずかなスペースで喘ぐように小さな深呼吸をしていた。家のリフォームをした時、私の要望はキッチンに向かい、女性役割から離れられなかった。家人の要望は家のあちこちに「立派な」白木の床や階段を作り、広い浴室を作ることだった。すぐに汚れる白木は毎日乾拭きをしないといけないらしい。一体、誰が掃除するのだろう。広い浴室で手足を伸ばしているのはいったい誰なのだろう。もっと時間が欲しい。自分のスペースが欲しい。疲れを癒したい。「なんでやねん」と自由にしゃべる場が欲しい。
『フェミニスト・シティ』の著者カーンは、近代以降の都市が、シスジェンダー・異性愛者で健常者の男性中心に作られていることを論じている。例えば、男性に比べて、母親の多くは、常に「3つのバッグ(仕事用のバッグ、子供用のバッグ、日用品・食料品のバッグ)」を抱え、自宅、会社、保育所、買い物と複雑に移動するにもかかわらず、徒歩や公共交通を使っているという。日本の場合は自転車を使っている場合も多く、危険な道路が多い。都市は忙しい女性のニーズはあまり顧みられてないのだ。家も家父長制の名残と無意識な男性中心社会が映し出されている。
それなら、この有り余った空間を、そんな過去の私が欲しかった空間にしよう。しんどかった時代を心の奥底に溜め込むのではなく、仲間と語り合い、癒す空間にしようと、「フェミニストハウス そら」を始めることにした。空いた20畳ばかりの部屋をフェミニストスペースと名付け、ベッド、机と椅子、簡単な水回りに冷蔵庫、電子レンジと生活に困らない程度のものは揃っている。ミニライブラリーや展示台もあって、フェミニズム、アウトドアなどの本やDVD、関連のチラシなどが増殖中だ。
フェミニストが気兼ねなく集い、フェミニスト談義できるスペースを目指している。今のところ、利用は友達の友達までとしている。ふらっと緑や山を眺めたくなった時、近くの有馬温泉で保養したい時、日常を離れて気分転換したい時、家族を離れてプチ家出したい時… ひとりもよし、グループで集まるもよし。フェミニストと自然と心地よさが交わる場所を目指して、フェミニストハウスは現在進行形である。
「フェミニストハウス そら」のパンフレット(一部)
庭の柿とメジロ
福知山線廃線敷トンネル
フェミ登山部(ふぇみとざんぶ)
2022年春から活動を始めた、月1ペースで主に関西近郊の山を巡る(時々遠出もする)、トランスやクィア、シスとヘテロも参加する多様なフェミニストたちのコレクティブ。トランス差別をはじめとしたあらゆる差別に反対し、自身の特権性に向き合いながら学ぶ姿勢を持つ20代から70代までの幅広い年齢、そして様々な経験を持つフェミニストたちが参加している。
井谷惠子(いたに・けいこ)
京都教育大学名誉教授。定年退職後、「体育嫌い」とジェンダー・セクシュアリティなどの研究の傍ら、カメラ片手に山歩きを楽しむ。「フェミニストハウス そら」主宰。
「あの日、山で見た景色」フェミ登山部