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フェミ登山部「あの日、山で見た景色」第10回:行きつ戻りつの中でつかんだもの(利光真理子)

2024/5/15

「フェミ登山部」とは、主に関西近郊の山を巡ったり、ときどき遠くの山に登ったりもする、トランスやクィア、シスとヘテロも参加する多様なフェミニストたちのコレクティブ。メンバーたちが山を登りながら、ときに下りたあと考えたあれこれを、リレー形式で連載します。第1o回は、フェミニズムの本の読書会も主宰している利光真理子さんが、フェミニズムとの長いつきあいを振り返ってくれました。

 

私のフェミニズムとのつきあいは長く、今までいろんな影響を受けてきた。

フェミニズムをめぐる最初の記憶は、たぶん、5、6歳のころだと思う。サンリオキャラクターのキキララとキティをめぐるものだ。当時、私はキキララ派で、周りの女の子の中で活発な子たちはたいていキティ派だった。私はキティのはっきりしたカラーにはなじめず、キキララの夢見がちな世界に惹かれていたのだけれど、なぜかキティ派のほうがキキララ派より「いい」「えらい」と思っていた。

私は、それまでフェミニストの母親のもとで、女性らしさにしばられなくていいというメッセージを受けとって育ってきた。一方で、世間からは、男子のほうが女子より価値があるというメッセージを受け取っていた。それらが相まって、「女の子でも女の子らしくない方がいいんだ」と考えるようになっていたのだと思う。

私にとってキキララは、キティより「女の子っぽい」キャラクターで、だからキキララ派はキティ派よりも劣っている、と思っていた。女の子向けのキャラクターが赤かピンクかに限定されていた世の中でのこと。それでも、おずおずとながら、「キキララちゃんが好き」と思っていた私の心には、フェミニズムが宿っていたと思っている。

次に思い出すのは、中学生の時のこと。私が育った地域は、山を切り開いた新興住宅地で、辺り一面の戸建てにはサラリーマンと専業主婦と子どもという「平均的」家族が住んでいた。そんな中で私の自宅は自営業をしており、また左翼的な思考が強い家庭だったので、私は周囲との違いをいろいろなところで感じていた。

思春期を迎えて、周囲との間に壁を感じはじめた私にとって、フェミニストの母親の本棚の前は一種の聖地だった。壁いっぱいの本棚にはフェミニズム関係やそのほか社会運動関係のいろいろな本があった。その前に立つと制服や校則に縛られた学校生活を超えて、世界が大きく広がるような気がした。「普通」の基準の中で生きること以外の選択肢を感じた。世の中にはいろいろなことを社会問題として提起する人がいて、違う価値観があることを魅力的に感じていた。

その中で一生懸命読んだのは、田辺聖子の「新源氏物語」(1978年‐1979年)だった。本棚に見つけた時から気になる存在で、でも何巻にもわたるこの本を不思議に読み進められたのは、和歌や情景描写などで平安の世界ががっつりせまってきたからだと思う。母の部屋の冷たい床の上に座り、不思議に熱中して読んだのを覚えている。今思えば、圧倒的に「今、ここではない世界」があること、その世界がその場のルールで展開する様に惹かれていたのだと思う。

そんなふうにして育った私は、やがて大学に進学する。大学では女性学を学ぶこともあったけれど、それほど新鮮さを感じず、真剣に向き合わなかった。私が大学時代を過ごした90年代後半頃の京都は、セクシュアルマイノリティの活動が盛り上がっていて、私はそれらを含むさまざまな社会運動の場所に行っていた。そうした中で、運動内でもハラスメント的行為があることを知り、もやもやしていたところ、出会ったのが田中美津の『いのちの女たちへ:とり乱しウーマン・リブ論』(1972年)だった。

言葉は激しく、でもその言葉のエネルギーと何度も繰り返される「個人的なことは政治的なことである」というテーマに強く惹かれた。それは女性学など学問として教えられるもののように整理されたものでもなかったが、なによりパワーを感じた。人がそんな強い思いで、運動してきた時代があったと羨ましく思った。ウーマンリブの時代に惹かれ、その時代について調べたり、友達をさそってCR(Consciousness Raising 注1)グループをしてみたりもした。

その時代のウーマンリブ運動を経験している人に話を聞きに行ったこともある。どうしたら、女性差別にかかずらわされず生きていけるのか、知りたかった。長い間、闘ってきた人たちなら知っていると思った。だけど、そこでは答えを教えてはくれなかった。ある人からは「みんな自分の人生を生きるのよ」というようなメッセージを受け取った。私はちょっと肩透かしをくらった。でもその後、生きていく中で感じるのはたしかにそのとおりということだった。

その後、私は仕事に専念するようになり、それでも、私のフェミニズム的思考が消えるわけではないので、性差別を当たり前にしている社会の中で、抵抗感を感じつつやってきた。それが5、6年ほど前、気がつくと周りの様子が変わっていた。本屋さんにフェミニズムの本がたくさん並んでいた。それも、学問としての本だけではなくて、小説やエッセイ、切り口が斬新なもの、文体がポップなものなど多種多様なフェミニズム本が出版されるようになった。私は友人を誘って、フェミニズムの本の読書会を始めた。

会ではメンバーが選んだ本を課題本にして、それにまつわる経験や思いを話してきた。この会を通じて、フェミニズムの視点から自分の行動を考えなおすことができた。また、自分以外の人が選んだ本を読んだり、ほかの人の意見を聞いて考えたりする中で、新しい興味が開かれた。人とのつながりの中で、ゆるやかに変化していく自分を感じた。このつながりの中から、このフェミ登山部に所属することになった。

私たちはいろいろな制限のある中で暮らしている。法律によって決まっている制限もあれば、誰かが勝手につくった制限もある。明示されている制限も、されないけどたしかにある制限もある。そしてその制限から抜け出ようと工夫してもまたそこで制限に出合うこともある。

私にとってのフェミニズムは、押し付けられる「今ある当たり前の世界」から距離をとり、もっと違う世界の可能性を見せてくれるもの。風通しがよくなり、じゃあ、どうしようかと考える余地を与えてくれるもの。そういうものが私にとってフェミニズムだと思う。

 

注1:CR(Consciousness Raising)日本語では「意識覚醒」と訳される。1960年代の後半、米国で女性解放運動(ウーマンリブ運動)において、性差別の撤廃のためには、社会的・政治的制度の変革に加えて、女性の意識が変わらなければならないとして、重要視されたものである。具体的には、少人数で集まり、「パートナーとの関係」、「親との関係」など決められたテーマにそって、それぞれが対等な立場で体験を共有する中で、互いにジェンダーに縛られているという体験の共通性を見出し、それにより「女らしさ」や性別役割の拘束から自由になることを目指した。(参考:河野喜代美『わたしを生きる知恵 80歳のフェミニストカウンセラーからあなたへ』2018年)

フェミ登山部(ふぇみとざんぶ)
2022年春から活動を始めた、月1ペースで主に関西近郊の山を巡る(時々遠出もする)、トランスやクィア、シスとヘテロも参加する多様なフェミニストたちのコレクティブ。トランス差別をはじめとしたあらゆる差別に反対し、自身の特権性に向き合いながら学ぶ姿勢を持つ20代から70代までの幅広い年齢、そして様々な経験を持つフェミニストたちが参加している。

利光真理子(としみつまりこ)
対人援助職。フェミニストのこどもであるということがずっとしっくりこなかったのが、フェミ登山部つながりの集まりの中で、同じ立場の人と話し合う中で腑に落ちました。