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2023/10/14
「フェミ登山部」とは、主に関西近郊の山を巡ったり、ときどき遠くの山に登ったりもする、トランスやクィア、シスとヘテロも参加する多様なフェミニストたちのコレクティブ。メンバーたちが山を登りながら、ときに下りたあと考えたあれこれを、リレー形式で連載します。第3回は、大森あきさんがそのときどきの山頂への道中で考えた、“フェミ的”とはなんだろう?
わたしは今、この原稿になにを書こうか悩んでいる。というより、なにを書いたらいいのかわからない。とりわけ、フェミニズムや山について書くのが正解なのだろうけど、そのことについて書こうとすると、どうも“フェミ的”な正しさを書こうとしてしまい、うまくいかない。
はじめてフェミ登山部で山へ行く日、朝からひどく緊張していた。持ち物が揃っているか、待ち合わせの時間に遅れないか、ただ言われた通りのことしかできないでいた。そもそも、山なんて行ったことがないしアウトドアとは無縁で育ったので、何をしに行くかもわからない。わかっているのは、同行するメンバーが全員フェミニストということだけだ。
わたしは幼いころからいつでも“フェミ的”な正しさに捉われている。わたしの祖母・英子は女性解放運動を、母・順子はシングルマザーの当事者運動を最前線で行っていた。二人とも“立派な”フェミニストだ。「サラブレッドだね」と言われるが、決してそんないいものではない。どこへ行っても英子さんの孫か、順子さんの娘なのだから。わたしの語りは、いつもわたしのものではないような感覚。親の受け売りかもしれないという恐怖をいつも感じていた。
集合時間に遅れてはいけないと早めに出発したつもりが、到着した頃にはほとんどのメンバーが揃っていた。みんな少し緊張していたのだろう。全員バスの時間に間に合ったことで、少しだけ緊張が和らいできた。
バスを降りてから、軽く自己紹介とストレッチをし、お互いの顔を認識する。同時に、どの程度自分の発言が受け入れられるのかも探っていたかもしれない。わたしたちは、日頃から警戒心が強いのだ。山頂への道中も、きっと“フェミ的”な話をしたのだろう。
“フェミ的”って一体なんだろう。
わたしは1985年生まれ。いつの間にか、男女雇用機会均等法が成立した年に生まれたと知っていた。2001年、「金八先生」で性同一性障害という言葉が独り歩きをしたが、ジェンダーについて語られるようになったことに喜びを感じていた。その後「ジェンダーフリー」という言葉を聞いて嬉しくなり、ガラケーで「ジェンダーフリーの部屋」という交流サイトを作った。あっという間にバックラッシュに飲み込まれ、交流サイトにはヘイトが溢れ、メディアや世論もジェンダーフリーとは対極のものとなってしまった。“フェミ的”とは、そんなバックラッシュにさえも立ち向かうような生き方のことだろうか?
わたしにそんな強さは持ち合わせておらず、20代はただ生きていくことに専念していた。「フェミニズムはわたしを苦しめる」決して口にはできないが、呪文のように胸の中でわたしを蝕んでいく。社会が与える様々な試練に、フェミニストなら闘わなければならないのに。“立派な”フェミニストなら。
あれから10年以上が経ち、わたしはフェミニストたちと山を歩くことになった。登山初日は、ルートも時間配分もナヴィゲーターに任せっきりで、あとどのぐらい歩くのか、全く把握もせずにただ後をついて歩いていた。ここがどこかもわからない。わたしはまだ、フェミニズムを自分のものだと思っていないのではないだろうか。生まれた時から、ただそこにあったもの、それがたまたまフェミニズムだったのだ。ナヴィゲーターが地図とコンパスで行くべき道を探している間、その背中を眺めながら、わたしはそんなことを考えていた。
フェミ登山部はたくましい。太い幹にたくさんの枝があり、その根は深く広く張り巡らされている。フェミ登山部での活動は、普段はどこにも存在しないとされているフェミニストが、実はどこにでもいるのだということを感じさせてくれる。 わたしはこの活動を通して、自分の中にあるフェミニズムを探しだそうとしているのではないか。
2023年7月、フェミ登山部のメンバーと富士山に登った。天候も山小屋も体力も心配だったが、もう後をついていくだけのわたしではなかった。最小限にまとめたザックの中に忍ばせた『エトセトラvol.9 NO MORE女人禁制!』が、わたしの背中を押してくれている。なんだ、わたしは十分“立派な”フェミニストじゃないか! フェミニストは富士山頂にもいる! “フェミ的”に最高だ!!
フェミ登山部恒例のおやつ
富士山頂からの景色
フェミ登山部(ふぇみとざんぶ)
2022年春から活動を始めた、月1ペースで主に関西近郊の山を巡る(時々遠出もする)、トランスやクィア、シスとヘテロも参加する多様なフェミニストたちのコレクティブ。トランス差別をはじめとしたあらゆる差別に反対し、自身の特権性に向き合いながら学ぶ姿勢を持つ20代から70代までの幅広い年齢、そして様々な経験を持つフェミニストたちが参加している。
大森あき
大阪で「フェミとクィアのがんばらないトレーニングスタジオNinaru(ニナル)」を立ち上げ、ヨガやフィジカルトレーニングの指導をしている。フェミニストの子どもという立場から、新たな視点でインターセクショナルフェミニズムの実践を目指す。
「あの日、山で見た景色」フェミ登山部