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フェミ登山部「あの日、山で見た景色」第1回:山を下りたあの人と、山を登る私と(末原真紀)

2023/8/14

今月から新連載がスタートします! 「フェミ登山部」とは、主に関西近郊の山を巡ったり、ときどき遠くの山に登ったりもする、トランスやクィア、シスとヘテロも参加する多様なフェミニストたちのコレクティブ。メンバーたちが山を登りながら、ときに下りたあと考えたあれこれを、リレー形式で連載します。第1回は、末原真紀さんが、山で育って助産師になった祖母の話をしてくれました。

 
フェミニストたちとの定期的な山登りが始まって、久方ぶりに山道を歩くことになった。平坦に舗装されたアスファルトに慣れ親しみすぎて、でこぼこ道は予想がつかず、なかなか歩きづらい。木の根が作る階段、高さがばらばらの石段、岩場の合間や沢の中で景色の一部になる私たち。

ハイキングコースとして親しむその道は元々、山頂にある寺や神社への参道であったり、魚など生活物資を運ぶための街道だったりしたものもある。

先を生きた女性たちが、開拓し茨を退けつつ石を積み上げ、踏み固めてくれたから私たちがいまこの「道」を歩けるのだと。そんな風に歩きながら、今は亡き祖母・光子さんをよく思い出す。

光子さんは、1914年(大正3年)、山深い奈良県天川村・塩野に生まれた。山の斜面に集落があり、その周りに段々畑が並び、米や野菜を育てたり、こんにゃく芋を作ったり、山は生活の場そのものだった。

天川村尋常高等小学校を卒業し、1927年、13歳で産婆(現在の助産師)を志し親戚を頼って来阪した。大阪市内の女学校で学んだのちに、産婆養成所で資格を取った。女中奉公しながら勉学に勤しんだ時期もあったと聞いたことがある。その後、猪飼野や尼崎の稲葉荘に助産院を構え、視力が衰える60歳頃までの約40年間助産師を生業とした。どこに行くにも、クレゾール、ネラトンカテーテル、臍帯結束糸と結束刀を携えて、お産が始まったと連絡を受けると、当時には珍しい自転車に乗り、颯爽と駆けつけたそうだ。

小学校を卒業できなかった人もいるその時代に、女性が山を下りて進学することは相当の覚悟が必要だっただろう。写真に残る光子さんは、どれも背筋がピンと伸び、芯の強さが表情に出ていた。たくさんの生と、そして死に立ち会った光子さん。自分を「フェミニスト」とは名乗らなかったけど、経済的に自立した働く女性の先駆けで、生と生殖の権利の重要性を誰よりも理解していた。

生活のために山があり、よりよい人生のために山を下り、街で生活を立てていった光子さんと、街で生まれて、街で生きながら、生きがいとして山に行く私。常に「タイパ」が求められる今の時代に、登山という非効率的で贅沢な営みを謳歌しているなんて知られたら、「一銭にもならない」(光子さんの口癖だった)と呆れられるかもしれない。

この夏、初めて天川村の山ばいの道を歩いた。豊かな山は、みたらい渓谷でも有名な美しい景観と豊富な水資源を供給している。そこかしこで流れ出す湧き水。人の背丈の何倍もの大きな岩の間から、ごうごうと音を立てて流れる激しい滝。圧倒的な自然の力を感じる環境の中で生まれ育った光子さんは、人間の無力さを感じたことも多かっただろう。自分で自分の人生を切り開きたくて、山を下りて生きる決意をしたに違いない。光子さんが見たであろう景色を感じた山歩き。また一つ彼女を知ることができた気がする。

天川村山沿いの道

フェミ登山バッジ

 

フェミ登山部(ふぇみとざんぶ)
2022年春から活動を始めた、月1ペースで主に関西近郊の山を巡る(時々遠出もする)、トランスやクィア、シスとヘテロも参加する多様なフェミニストたちのコレクティブ。トランス差別をはじめとしたあらゆる差別に反対し、自身の特権性に向き合いながら学ぶ姿勢を持つ20代から70代までの幅広い年齢、そして様々な経験を持つフェミニストたちが参加している。

 

末原真紀(すえはら・まき)
野良でクィアなフェミニスト 箕面市国際交流協会職員 一日一フェミ:毎日の生活の中で、フェミニズムを実践することがモットー いろんな食文化の赤くて辛い食べ物が好き フェミニズム読書会もやってます。

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