「翻訳者たちのフェミニスト読書日記」

No.5 ハッピーエンドのその後を生きること(よこのなな)

2021/2/22

海外の熱きフェミニズム作品を私たちに紹介してくれる翻訳家たちは、お仕事以外にどんなフェミ本を読んでいるのだろう? 読書リレーエッセイの今回は、スウェーデン語翻訳のよこのななさんによる、ある女性マンガ家のメモワール的なグラフィックノベル!

 

昨年は読みたい本がたくさん出版された。特に楽しみにしていたのはココ・ムーディソンのグラフィックノベルだ。ココは1970年生まれで2002年にデビュー。出版されている作品は数えるほどで「カルト的人気」と評されることが多い作家だ。わたしもこれまでに読んでいたのは2冊だけだったけど、なんとなくうなずける。

 

彼女はある意味では有名人だ。映画好きな人なら、もうピンときているかもしれない。彼女の夫はルーカス・ムーディソン、世界的にも人気のある映画監督だ(註1)

一方で、彼女はスウェーデンの女性マンガ家のパイオニアのひとりと称される作家でもある。今は多くの女性作家が活躍し、老舗マンガ出版社の看板作家の多くが女性だが、ココがマンガを描き始めた2000年代初頭、女性の作家はまだそう多くなかった(あるいは、存在しないものとされていたのかもしれない)。

わたしにとってもココは長い間「ルーカスの妻」だった。評価が変わったのは映画化された作品を読んだとき。あれ、この人の作品、すごくいいんじゃない、と思った(註2)

そんな彼女の久々の新作、タイトルは『MÖRKT ALBUM』、直訳すれば『暗いアルバム』だ。出版社の告知によると、

「50代を目前に突然スランプに陥ってマンガが描けなくなったココが、何者にもなれなかった若い頃を思い出し、心の奥底にしまい込んでいた家族のことを描こうと決める――」

という内容。何があったんだろう、という少し下世話な気持ちもあったものの、青春時代の尊さとみっともなさを絶妙のバランスで描いたココが、中年の危機をどう描くのかも気になった。

 

 

読んでみると、これが予想を大きく超えていて、描かれていたのは単なる中年の危機ではなかった。

厚めのボール紙が表紙のソフトカバーで、小ぶりながらずいぶんかっちりした印象(スウェーデンのグラフィックノベルは大判のソフトカバーが多い、ように思う)。見返しは赤、日記帳みたいだ。期待しながらめくった最初のページには「2019年3月10日」とある。マンガが描けない、描きたくなくなってしまった「わたし」ココがベッドに横になっている。「あなた」ルーカスが心配する声が聞こえてくる。

 

 わたしの仕事が進んでいないことにあなたは勘づいている。わたしは大丈夫なふりしてるけど、やってるのはふとんの中で殺人事件まとめサイトを見ること。出かけていてもついついサイトをチェックしてしまう。「殺人のことばかり考えない方がいいよ、心配だよ」ってあなたは言うけど、そもそもこのサイトを見始めたのはあなたの調子が悪くなって、娘の調子も悪くなったときなんだよ。

 

 「調子悪くなった時のこと覚えてる?」と訊いてみても、「話したくないの知ってるよね」と答えられたら、もう何も言えなくなる。今はふたりとも元気になったし、あなたの仕事も順調。でも、わたしはそうじゃない。わたしはあの頃のことを乗り越えられていない。今までずっと、自分の人生の大変なことをマンガにすることで乗り越えてきたのに、今回は描けない。それにあなたが元気になったことはとってもうれしいけど、ちょっとだけ腹も立ってる。だけど、病気だった人に腹を立てちゃいけない。そして、思い出すのは1992年、完全に自分を見失っていた20代初めの頃のこと。

 

こんなふうにして現在と過去が交互に描かれていく。一家に起きたことが明らかになるのは終盤で、そこにいたるまでの20代、30代の回想が続く。

「見た目はいいのに話すと空っぽだ」と言われて捨てられる恋愛。誰とでも寝てしまうし、部屋は汚いし、職業訓練もうまくいかない。やけくそで始めた住み込み仕事は一日で逃げ出す。若い頃のココの行動はかなりぶっ飛んでいる。それを自堕落な若者の行動だと一蹴することもできるし、ありがちな話だと言うこともできる。でも、何者かにならねば、自分を見つけなければという焦燥、駆り立てられるように出てしまう必死の行動、どちらも誰もが身に覚えがあるものでは、とも思う。ココの場合は、心配したり苦笑したりしてしまうほど極端なのだけど。

一方、50代一歩手前である現在のココも八方ふさがりの現状を変えようと行動に出る。警察官になるのだ。世の中の役に立ちたいとずっと思っていたから。やっぱり突拍子もない決心だけど、警察学校の実技試験に備えてプールで猛特訓するココは大真面目だ。

そうこうするうちに回想パートは1997年まで進み、ココはルーカスと出会う。そこからはなにもかもが一気に変わっていく。運命の出会いと結婚、幸せな家庭を築き、ふたりの娘にも恵まれる。そして、手狭になったストックホルムのアパートから、南部の都市マルメの広いアパートに移る。完璧な普通の暮らし。ゆったりとした部屋で思い出の映画を観ながら、ココは幸せをしみじみ噛みしめる。本書には描かれていないが、出会いの翌年にルーカスは長編デビューしている。

以前に何かでココのインタビューを読んだとき、夫との出会いについて訊かれた彼女は「すごくロマンチックだったんだ、教えないけどね!」と話していた。しかし、今回の作品には公にはしないと決めていたはずの出来事が描かれている。空っぽだと言われていた娘の前に現れた王子は、娘と同じ趣味を持っていて性格も似ていました。しゃべることができるようになった娘は、すてきなお城で王子と幸せに暮らしました。夢のような展開だし、ちょっと感動的な場面でもある。だが、「で、その後はどうなの?」というのが現代的な問いかけだ。ココが描こうとするのは、まさにこの「ハッピーエンドのその後」。ここからが本番だ。

ココの幸せは続く。夫の仕事は順調だ。2000年、夫は撮影のため数ヶ月間海外に行くことなる。家族と離れたくない、行きたくないと涙ぐむ夫を送り出したココは、ひとりでも規則正しい清潔で完璧な生活を保たねばと努力する。が、案の定、慣れない土地でのワンオペ育児は少しずつ行き詰まっていく。このワンオペと孤独が現在の不調につながっているのかと思いきや、この予想はいい意味で裏切られる。ココはこのスランプをなんと自力で抜け出す。マンガを描くことで。

絵を描くことだけは昔から好きだったなあ、そう思って描き始めると止まらない。完璧な育児ができなくてもかまわない、というかそんなこと気にもならない。これがマンガ家としてのココ・ムーディソンのキャリアの始まりで、こんな切実な想いと理由があったのかと驚いた。夫が有名であれば、同じ姓(しかも珍しい姓)でデビューするのはある意味では大変だっただろうけど、このときのココにはそんなことはどうでもよかったんだろうという気がした。ルーカスの妻ではなく「マンガ家ココ・ムーディソン」という自分だけの肩書き、仕事として打ち込めるものがあることがなにより大事だったんだな、と。

そして、過去パートはここから一気に2012年に飛ぶ。父親の死が原因で夫が突然調子を崩したのだ。病院へは行きたくないと引きこもる夫。心配していた長女も部屋に引きこもるようになる。ココは誰にも相談できない。夫の仕事のメールに返信し、どうやって生活費を捻出しようかと悩む。殺人事件まとめサイトをふと閲覧したのはこの頃。自分の仕事のことを考える余裕はない。

結局、ひょんなことがきっかけとなり、夫と長女がそれぞれ元気を取り戻し始める。家族の絆は戻り、2019年の今では夫も娘たちも元気にしている。妻として母として安堵しているけれども、しっくりこない自分がいる。

パートナーの不調、家庭内のケアをめぐる非対称に思えてしまう関係、トラウマや病気を抱えた相手への苛立ち、怒りを抱く自分への罪悪感、ワンオペ育児・家事。エキセントリックな言動に隠れているものの、ココの悩みや葛藤は、多くの人が抱えているものだ。それはなかなか表には出せないし出したくもないものだけど、かといって封印するのもまた苦しいものだ。ココもそこで苦しんだのだろう。そして何も描けなくなってしまった。描きたくない/描けない理由はわからない。当事者たちへの愛のせいかもしれないし、妻や母という役割と責任による抑圧のせいかもしれない。

最後の日付は2019年10月3日、ココがプールである達成感を得て、物語は終わる。そして、やっぱり描くことで乗り越えることをココは選んだのだ、ということを、この作品の読者は知っている。

妻であり母である自分、そこに埋もれてしまう一個人としての自分。でも掘り出してみた一個人としての自分は、昔となんにも変わっていない。変わりたい、変われない。こうした葛藤を描き出す試みは成功している。極めて個人的なエピソードを描きながら、普遍性を持つ作品へとしっかりと昇華させているあたり、やっぱりうまい作家だと思う。読んですぐに勇み足で書評を探していたころにはまだ全然話題になっていなかったものの、刊行から半年近く経ち、今ではたくさんの書評やインタビューをインターネット上で見つけることができる。これまでで最高の作品だという評価も多い。確かに本作はこれはココ・ムーディソンの代表作になったと思う。その一方で、進んでいく彼女の作品をもっと読んでみたい。

 

*使用画像はすべてGalago社からの許諾を得ています。

Coco Moodysson, Mörkt album, Galago, 2020

Mörkt album

(註1)ルーカスは1998年の長編デビュー作『ショー・ミー・ラヴ』で一躍脚光を浴び、2000年公開の第2作もロングランとなる。2002年に公開された3作目ではそれまでの明るくコミカルな作風から一転、人身売買を描いた非常にシリアスな作品が話題となった。何作かシリアス路線が続いた後に発表された『ウィー・アー・ザ・ベスト!』(2013年)は、ココのグラフィックノベルを映画化したもの。

少し長くなるが、ルーカスの作品の日本での公開についても書いておきたい。初期2作は劇場公開されてソフト化もされたが、なぜか(いや、なぜかじゃないのかもしれないけれども)、3作目以降は映画祭などでの限定的な上映にとどまっている。ちなみに3作目『Lilja 4-ever(リリア4-ever)』は、旧ソ連圏からスウェーデンへ違法に連れて来られて性的搾取の犠牲となる少女たちの悲惨な現実を描いたもので、国内でも大きな議論を引き起こした。スティーグ・ラーソンのミステリ小説『ミレニアム』でもこの作品への言及がある。

(註2)『ウィー・アー・ザ・ベスト!』の原作となったのが「Aldrig godnatt」という作品。筆者による書評はこちら。(リンク:https://note.com/nordiclanguages/n/n607f27c6d434)。本文(絵)も少し紹介している。この旧作と比較すると、新作は構成がだいぶ複雑だけれども、コマ割りの工夫がされた画面はシンプルでムダがない。線は太くなって安定している。

 

よこのなな
スウェーデン語翻訳者。
女性たちの声を届ける勝手に翻訳プロジェクトとしてジン「ASTRID」を不定期に発行。
訳書に『21世紀の恋愛 いちばん赤い薔薇が咲く』(リーヴ・ストロームクヴィスト作、花伝社)。

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