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『エトセトラVOL.10』(特集:男性学)周司あきら「特集のはじめに」を公開します

2023/11/8

エトセトラニュース

2023年11月24日発売『エトセトラVOL.10』(特集:男性学)より、特集編集の周司あきらさん「特集のはじめに」を公開します。なぜいま、フェミニスト雑誌で「男性学」を特集するのか。まずはこちらを読んで、興味を持っていただければ嬉しいです。この特集は、手にとってくださった方にとって、「男性」ひいては「男性学」に持っていた固定観念が少しばかり崩される経験になるんじゃないかと期待しています。

書誌ページは▶こちら

特集のはじめに  周司あきら

 なぜ『エトセトラ』で男性学を、と疑問を抱く人もいるかもしれない。まだ伝えられていない女性の声、フェミニストの声はたくさんある。男性がする話や男性にまつわる話はもうお腹いっぱいだと感じるのではないか。

 といっても、日本の男性学は女性学やフェミニズムの流れから生まれ出たようなものであり、これまでもフェミニズムの冊子で「男性学」や「男らしさ」特集が組まれることはあった。日本女性学研究会の1989年9月例会では、討論会「男はフェミニストになれるか?」が開かれ、メンズリブや男性学に繋がるきっかけの一つにもなった。ジェンダーの話をする際に、男性学が「末っ子長男」のように甘やかされている節も否定できない。男性が男自身と向き合う必要性に迫られた背景は、一つには高度経済成長期の第二次産業メインの構造が崩れ、男の力仕事に頼らなくても済む第三次産業に移り変わって男たちが危機感を募らせたからであり、二つにはウーマンリブなど第二波フェミニズムの波を男たちも受けたからだと説明されうる。ここまでが、歴史的経緯の話。

 内輪話をすると、編集部の皆さんはフェミニズムを社会運動として捉えていて、性(だけに限らない)差別を解消するには男の問題を看過できないのは当たり前だと考え、このテーマでの特集が実現したのではないかと私は受け止めている。フェミニズムを「女をエンパワメントするもの」とだけ捉えていたら、男の出る幕はなかっただろう。

 さらに、私には少し異なる背景もある。性別移行を経験して、「女」「トランスジェンダー」「男」というカテゴリーがバラバラに、時に重なり合って自分にあてがわれたとき、違和感があったからだ。この世界にはあいかわらず同じ問題が残り続けているのに、自分の置かれている立場によって、同一のものが全然違った光景で立ち現れることに驚いた。だからこそ一本に串刺しにして語る必要性を感じた。

 他方、戸惑いも覚えた。私はずいぶん生きやすくなってしまった。男であることが自分にとって楽だと感じるし、それだけでなく愛している。すると、フェミニズムへの向き合い方もわからなくなってきた。私が以前よりフェミニズム的な試みを客観視して語れるようになったとしたら、それは直接的な抑圧体験から距離を取れるようになったからに過ぎないのではないかと。こうしてマジョリティ性を問い直すことの多い男性学と、表面上の課題は重なってきた。

 ただし、男性学や個々の男性に対して馴染みがたい思いもある。その一つは、「女性」について語られるとき、残念ながらその対象が極めて狭いことだ。既存の男社会で活躍しているように映る上層の女性か、あるいは男性自身と似た境遇の女性しか視野に入らない。男性の比較として持ち出されがちな「女性」に対してさえこうだから、単に女性でもなく男性でもない者たちは、なおさら存在しないことにされる。「フェミニズム」に対する男性たちの反応もおおよそ似たようなものだ。ぜひ特集外の記事もあわせて読んでほしい。

 日常には性差別が蔓延っている。だから秩序に従って従順に生きていこうとすれば、皆、必然的にセクシストになる。そこでは誰も男以外の性別についてまともに考えてくれないが、しかし男のことすら誰も考えていないのだ。やるべきことは、山積みだ。
 
 2023年10月