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「あの本がつなぐフェミニズム」第6回:『リトル・ウィメン』(大橋由香子)

2024/12/15

パソコンもネットもスマホもないころ、女たちは刺激的な考えや情報を雑誌や本から得ていた。今あらためて「あの本」のページを開くと、何があらわれるのだろうか。大橋由香子さんの連載第6回は、昨今、映画やドラマ化も続いていて、実はフェミニズム的メッセージに満ちた、あの本です。

(バナー写真:フィリピンの女性たちとの屋外学習@マニラ1987年。背景写真は1982年優生保護法改悪阻止集会@渋谷山手教会、左の旗は1984年女と健康国際会議@オランダ/すべて提供:大橋由香子)

 

 直訳すると「小さな女性たち(女たち)」となるこの本を、わたしは小学3、4年生あたりで読んだ。暖炉の横で、優しそうなお母さんを囲む4人姉妹の挿し絵があり、表紙は若草色や桃色トーンの絵だった記憶がある。どの出版社から、誰が翻訳した本だったのか、まだ見つけられない。

 先月、エトセトラブックスから刊行された拙著『翻訳する女たち 中村妙子・深町眞理子・小尾芙佐・松岡享子』に書いたが、わたしが子ども時代に愛読し、手元に残っている『水の子トム』と同じシリーズかも、と思って巻末の広告をみてみたが、そこにはなかった。

「幼年世界名作文学全集」小学館の広告には、「母と子が、読みながらたのしく話し合える すばらしい愛の文庫」とある。

 「おてんば娘」「オトコオンナ」と言われることもあった自分が共感しやすいのは、4人姉妹のうちの次女だったので、ジョーが好きだった。……と聞けばおわかりのように、ルイーザ・メイ・オルコット著『若草物語』、原題はLittle Womenである。同タイトルのテレビドラマも今流れている。
子ども向けの抄訳ではなく、原著の日本語訳を読んでみると、色々な意味で発見があった。今回はわたしの2大ビックリを、恥をしのんで告白する。

 まずは、わたしには「巡礼」のことが全く記憶になかったこと。
例えば、2024年春に亡くなられた中村妙子さんは、このように書いている。

「小学生のころ、ルイザ・メイ・オルコットの『若草物語』の抄訳を読みました。いまでもあざやかに記憶に残っているのは、四人の姉妹の〈巡礼ごっこ〉。巡礼といっても日本のお遍路さんの旅とは違って、背中に荷物を背負って地上から天国への道筋をたどるのです。起点は地下室、終点の天国は屋上。途中の美わしの宮殿でやさしい娘たちのもてなしを受けたり、恐ろしいライオンのそばを通りぬけたり。これはルイザ以下、オルコット家の姉妹たちにとって、たいへん楽しいひとときだったに違いありません。
(中略)
もう少し大きくなって『若草物語』を全訳で読むころには、わたしも、この〈巡礼ごっこ〉がバニヤンの『天路歴程』にもとづいているのだということを知っていました。『天路歴程』はわたしの心のなかでメグやジョーたちの姿と重なって、固苦しいとか、むずかしいといった感じを受けたことがありません。」

(『危険な旅 天路歴程ものがたり』ジョン・バニヤン著、中村妙子訳、「訳者あとがき」より1987→2013再刊、新教出版社)

 

 中村妙子さんが読まれた抄訳には巡礼ごっこが出ていて、わたしの読んだ本には無かった? そうではなく、わたしの脳のシワに刻み込まれなかったのだろう。わたしはキリスト教プロテスタントの幼稚園に通っていたし、小学生になってからも、その幼稚園の教会の日曜礼拝に行き、賛美歌を歌ったりビロードの大きな袋が回ってきて献金したりしていたから、キリスト教に縁がなかったわけではない。聖書の一場面を描いた小さなカードをもらえるのが楽しみだったが、巡礼のカードがなかったのか。

 もう一つの驚きは、フェミ的なメッセージが思いのほか散りばめられていたこと。

 小学生の時のわたしは、「女の子らしくない」ジョーに大いに共感したが、物語全体からは、「結婚し夫につかえることこそ女性の幸せ」という良妻賢母の考え方と、「善きことを行いなさい」という宗教的で道徳的な匂いも感じとり、次第に反発のほうがふくらみ、改めて読むことなく半世紀以上の歳月が経ってしまった。

  オルコット『若草物語』(麻生九美訳、光文社古典新訳文庫、2017年)

  フェミニズムの嚆矢(こうし)としての側面や、著者オルコットが婦人参政権運動に熱心だったこと、シモーヌ・ド・ボーヴォワールも影響を受けたことなどは、光文社古典新訳文庫での訳者・麻生九美さんの巻末の解説にも詳しい。

 そして、わたしが今回読んで、いいな!と感じたのは、ジョーとローリー(良き隣人男子)の次の会話だ。

ジョー「さあ、お夕飯を食べてらっしゃい。気分がよくなるから。男の人って、お腹が空いてるとぶうぶう言うんだから」

ローリー「そう言うのは、男性にレッテルを貼るもんだよ」

 ここだけ引用すると、ジョーに対する男子の知ったかぶり、マンスプレイニング的なニュアンスに読めるかもしれない。でもわたしは、「女らしさ」の押し付けに反発するジョーもまた、「女とは」「男とは」という決めつけを身につけていることを(150年前だしね)、さらりと伝えていると感じた。そうしたウッカリや過ちを、ずっと抱えている自分たち、でもそれに気づいて、変わろうとできる可能性も感じた。

 とはいえ、痛感したのは「読んだつもり」の危うさである。新しい本も読みたいけれど、昔かじった本を味わうのも楽しそうだ。


*新しい本が2冊でました。

『翻訳する女たち 中村妙子・深町眞理子・小尾芙佐・松岡享子』

『わたしたちの中絶』


大橋由香子(おおはし・ゆかこ)
フリーライター・編集者、非常勤講師。著書に『満心愛の人―フィリピン引き揚げ孤児と育ての親』(インパクト出版会)、『翻訳する女たち 中村妙子・深町眞理子・小尾芙佐・松岡享子』(エトセトラブックス)、共編著『福島原発事故と女たち』(梨の木舎)、『わたしたちの中絶』(明石書店)ほか。光文社古典新訳文庫サイトで「字幕マジックの女たち:映像×多言語×翻訳」連載中。