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第1回 本と私たちが生きている場所は、こんなにも地続きなので

2020/7/18

エトセトラブックス代表が、出した/出る本のまわりで起きたことや考えたことを語ります。

 

はじめまして、エトセトラブックス代表の松尾亜紀子です。

2018年12月に弊社を立ち上げた当初から、ホームページでWEBマガジンをはじめたいという思いを込め、そして自分へのプレシャーも込め、1年以上も(!)「Coming soon」と謳って長らくお待たせいたしましたが、ようやくスタートできました。

今後コンテンツは増えていく予定で、まずは、作家・津村記久子さんの「圧」のないエッセイ、仏語翻訳者・相川千尋さんの熱き読書日記から始められて感激しています。
あ、念の為ですが、WEBマガジン開始が遅くなったのは、執筆陣のせいではまったくありません。ひとえに準備に手が回ってなかったという……!

そう、ですから、この素晴らしきWEBマガジンのコンテンツの並びに、自分の文章を加えようなど思ってもいませんでした。今回は、じゃあなんで書くんだよ? という理由に少しだけ(*結果、長くなりました、すみません)お付き合いください。

遡ること、この3月。カルメン・マリア・マチャド『彼女の体とその他の断片』(小澤英実・小澤身和子・岸本佐知子・松田青子訳)を刊行した直後にコロナ禍が広がり、ああ、現実がマチャドが書いた「女性の身体」をめぐる幻想小説に迫ってきた、と驚きました。

そこで、同書から、ウィルスが蔓延する世界を描いた一遍「リスト」(松田青子訳)を無料公開することに。これまで読んだことのない「身体」が読めます。まだの方は、この機会にぜひ。

あれから4ヶ月、コロナへの不安は消えないどころか、ますます悪くなるであろう絶望と閉塞感ばかりで、「コロナが収まるまでの期間限定」であった無料公開はまだ続いています。

そして、『彼女の体とその他の断片』にまつわる出来事が、もうひとつ。

この短篇集を出した後のある日、とある日本人の男性作家から、私が作成してカバーやWEBに掲載したマチャドの略歴が「不正確ではないか」という連絡を受けました。指摘されたのは、マチャドが「ピュリッツアー賞作家ジュノ・ディアスのセクシュアル・ハラスメントを告発」という部分です。

弊社が作成したマチャド略歴はこちら↓

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駆け足で説明しますと、2018年、ピュリッツアー賞作家ジュノ・ディアスに対する#MeTooの声が、数名の女性作家からあがりました。
作家Zinzi Clemmonsが、コロンビア大学の大学院生のときにディアスをワークショップに呼び、そのあと詰め寄られてキスされたことを糾弾。作家Monica Byrneは、ディアスとディナーテーブルで一緒になり、ささいな反論をしただけで面と向かって「レイプ」と叫ばれたことを告白。
彼女たちに続く形で、マチャドはデビュー前のアイオワ・ライターズ・ワークショップの大学院生だったとき、同大学院で開催されたディアスのQ&Aセッションで質問した経験をツイートします。ハラスメントに満ちた授業を受けたので彼女たちと連帯するという意思を、「さあ、#MeTooの始まりだ」ということばで表明しました。
一方、ディアスは告発されたセクシュアル・ハラスメントを全否定し、マチャドが言及したQ&A授業のテープを公開しました。その音声を聴いた主要メディアは「ディアスはむしろ紳士的ではないか」とディアスを擁護し、告発した女性作家とマチャドを非難しはじめます。
マチャドは、音声だけでは絶対にわからない、有名男性作家が無名女子学生を抑圧した「あの場の空気や身振り」が問題なのだ、ミソジニーに満ちた男性中心主義的な「文壇」の権力構造が問題なのだと反論しますが、バッシングの酷さにtwitterも一時期やめ、ハラスメントの文脈こそ読んでほしいとして、『彼女の体とその他の断片』所収の「夫の縫い目」(小澤身和子訳)を書いたのでした。一見幸せな夫婦の物語に潜む性暴力を描き、こちらも凄まじい傑作です。

話を戻せば、件の男性作家の主な懸念は、「マチャドは直接ディアスのハラスメントを告発していない」「主要メディアもディアスの応答は妥当だとした」「だとすれば、この略歴は(ディアスとマチャドに)フェアではなく、読者をミスリードする恐れがある」というものでした。
確かに、マチャドはメディアに批判された際「私はディアスの直接のハラスメント被害者ではない」と語っています。ですが、私は、上記のようなあらましもあり、そもそも#MeTooは被害当事者だけに限定した行動ではなく、そこに連帯する人々も含めてのアクションだと考えている、だから、マチャドがしたことも「告発」と表現した、という主旨をご説明したところ、よくご理解いただいてこの話は終了となりました。

この話で、その男性作家個人を責めたいのではありません。マチャドという新しい才能が間違った紹介をされないよう、心から危惧してくれたのだと思います。それに、この作家も日本でもっとも「権威」あるとされる文学賞の受賞者であり、だからこそ文学全体への責任も負ってくださっているのもしれません。
でも、この出来事で私がひしひしと感じたのは、マチャドが米文学界でバッシングされ黙らされた流れと「これ」は、根底は同じじゃないかということです。

マチャドが「音声だけではわからない」と言ったのと同じ、私も知っている出版界の「身振りや空気」の構造問題は、また改めて書きたいと思います。先日、週刊誌で幻冬舎の編集者によるセクシュアル・ハラスメントが報道されました。あれは本当にほんとうに氷山の一角なんだ、あんなことは日常茶飯事だ、という出版で働く女性たち、特に編集者の声をまわりでどれだけ聴いたことか。

本と社会が地続きなんて当たり前、ではあります。理想としては、エトセトラブックスが言いたいのは「弊社の本を読んでください。以上!」です。
だけど、そこからこぼれ落ちることがあるかもしれないし、本を読んでもらうために言いたいこともあるかもしれないし、あと、どーしても言いたいこともあるかもしれない。
なので、WEBマガジンの隅っこで少し叫ばせてください。
次回に続きます。