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2020/3/10
3/10発売となったカルメン・マリア・マチャド『彼女の体とその他の断片』(小澤英実、小澤身和子、岸本佐知子、松田青子訳)より、小澤英実さんによる訳者あとがきを全文公開します。卓越した想像力で「女性の身体」を書き換え、「男だけの世界」の景色を刷新する文学、まずは渾身の解説をお読みください!(Art Streiber / AUGUST)
本書の一篇、「レジデント」の語り手は、出版された自分の小説が人の目に留まり、控えめだが好意的な評が世に出て、アーティストとして自分の足で立てることを夢に見る。だがそう書いたカルメン・マリア・マチャド自身のデビュー作である本書は、これまで数々の新進作家を送り出し成功を収めてきた非営利出版社グレイウルフ・プレスから2017年に刊行されるや、全米図書賞をはじめ10の賞の最終候補となり、シャーリイ・ジャクスン賞やその年最良のデビュー作に贈られる全米批評家協会賞ジョン・レナード賞など九つの賞を受賞し、翌年にはニューヨーク・タイムズ紙の「21世紀の小説の書き方と読み方を変える、女性作家の15作」のひとつに選ばれ──と、控えめとはほど遠い反響を呼んだ。
作家として最高のスタートを切ったマチャドだが、作品を読めばそれがけっして過大評価ではないことがわかるだろう。精緻な文章は知的でユーモアにあふれ、ほとんど魔術的に美しい。卓越したセンスで選び抜かれた言葉たちは宝石のように輝きながら鮮やかにイメージを立ち上げる。言語に対する深い愛情や研ぎ澄まされた感覚は、さまざまな言葉遊びや造語や破格、辞書にはない彼女独自の言葉遣いに表れていて、訳者としてはその意外性と日本語にする難しさに何度も唸らされた。
そうした特徴は、原題のHer Body and Other Partiesに端的に表れている。Partiesは巻末の短篇「パーティーが苦手」(“Difficult at Parties”)のパーティー(この言葉にも、「当事者」や「セックス」といったさまざまな意味が含まれる)にちなんでいるが、短篇集の慣例的なタイトルである「表題作とその他の短編(and Other Stories)」をもじってもいる。邦題に最終的に「断片」という言葉を採用したのは、響きが近いことやさまざまな「体」を思わせることのほかに、マチャド作品の大きな特質がその断片的な語りにあると思えるからだ。
それは過去のセックスをひとつひとつ綴るなかで終末論的な世界が立ち現れる「リスト」や「とりわけ凶悪」にみられるような断章形式にも、物語における断片的な欠落にもいえる。「母たち」のマーラは本当に存在するのか、「レジデント」の語り手はどうして画家の言葉を忘れてしまうのか、「パーティーが苦手」の語り手にはなにが起きたのか。そうした謎は、断片的な語りや記憶の隙間から産み落とされる。その特徴は冗長な接続詞や修飾を削ぎ落とし、カンマでつなげる文体のレベルにも表れている。非連続な断片性はゴシック小説を定義づける特徴のひとつだが、それこそが整合性のとれた一貫した語りでは掬い取ることのできない「名づけえぬもの」──たとえば女性の身体や精神にまつわるなにかを──浮かび上がらせるのだ。
マチャドの物語は、アンジェラ・カーターやシャーリイ・ジャクスンやジョイス・キャロル・オーツといった先行する女性作家の系譜を受け継ぎつつ(マチャド自身、影響を受けた作家にカーターやジャクスンのほか、ケリー・リンクや小川洋子の名前を挙げている)、大胆かつ奔放な想像力と緻密なストーリーテリングの力で、サイエンス・フィクションやゴシックホラー、シュルレアリズムといったさまざまなジャンルを自在に横断していく。先行する偉大な女性作家たちがしてきたように、本作にもさまざまにダークな童話やおとぎ話がちりばめられている。
「夫の縫い目」は、「緑のリボン」(“The Green Ribbon”)という有名な子どもむけの怪談話が下敷きになっている。ジェニーは幼い頃からいつも首に緑色のリボンを巻いている。アルフレッドはリボンのことをジェニーにしつこく訊ねるが、彼女はその理由をけっして教えない。やがて二人は結婚し、一緒に歳を取る。そしてジェニーは死の間際になって「ようやく教えてあげられる。リボンをほどいて。どうしてこれまで話せなかったかわかるから」と言って、アルフレッドにリボンをほどかせる。するとジェニーの青白い首がことりと床に落ちる。ジェニーは死人だったのだ。インターネットを検索すると、子どもの頃に挿絵付きのこの話を読んでショックを受けたという人がそこらじゅうに見つかる。
この話の起源は古くフランス革命まで遡るらしく、夫が怒って妻の寝ている隙にリボンを切ってしまうなどいくつかのバージョンがあるものの、上述のジェニーは夫に長年重要な事実を隠し通したあげく自殺を手伝わせ、はかりしれない精神的ショックを与える酷い女である。マチャドはそれを彼女の視点から書き換える。原題の“The Husband Stitch”とは、出産時の会陰裂傷を縫合する外科的処置の際、今後の夫の快楽ために産後の膣をきつくするというのが元意だ。「レジデント」に登場するブラウニーの物語も作中で厳しく批判されているが、子どもたちに刷り込まれる教訓的なおとぎ話や寓話に潜む性差別を、マチャドは鋭く糾弾する。
社会や文化にはびこる根強い性差別に対する怒りは、マチャドが小説を書く根底にある理由であり原動力である。本書の刊行は、ハリウッドの大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインのセクシュアル・ハラスメントの告発とちょうど時期を同じくする。この事件がやがて#MeToo運動へと発展していくなか、米国の文学界では、ピュリッツァー賞作家であり同賞の選考委員長にも就任したジュノ・ディアスのセクシュアル・ハラスメントが告発された。ディアスにキスを強要されたという作家ジンジ・クレモンズの証言に、マチャドはTwitter上でいちはやく反応し、彼女自身のディアスとの対話を踏まえて、ディアスと文学サークル全体の男性中心主義と女性嫌悪を痛烈に批判したことで注目を集めた。「夫の縫い目」はディアスとの対話がもたらした激しい怒りから生まれたとマチャドは言う。
マチャドのファンを公言する作家のカレン・ラッセルは、マチャドの物語が「暴力が、いかに大衆文化から女性たちのプライヴェートな心と体に巣食っていくか」をあきらかにすることを称え、「小説だけに語ることのできる真実が求められているMeToo時代のいま、マチャドの物語が読めることはすばらしい」と語っている。ラッセルが言うとおり、本書全体を貫くのは女の身体をめぐるポリティクスだ。体が消えた女たちが洋服のなかに入り込んでいく「本物の女には体がある」“Real Women Have Bodies”は、「本物の女にはくびれがある」“Real Women Have Curves”という映画のタイトルをもじったもので、「八口食べる」とともに、美や痩せた体に対する女たちの幻想やオブセッションをユーモラスかつ切実に描き出す。
いっぽうで、先行する女性作家たちとは一線を画し、彼女を誰とも違うユニークな存在にしているのは、セクシュアリティやエロスへの向き合い方だ。一読してわかるように、マチャドの書く物語には、異性愛と同性愛とがひとしく自然な愛のかたちとして同居している。
マチャド自身、レズビアンであることを公言しており(両親にはバイセクシュアルだとカミングアウトしている)、クィアであることが彼女の作家としてのアイデンティティの核にある。2017年夏には本書でも謝辞が捧げられている妻ヴァルと結婚式を挙げ、ペタルをふんだんにあしらったピンクのドレスを着たマチャドとレースの白いドレスを着たヴァルがキスを交わす美しい写真や、娘や花嫁ヴァルの手を取るマチャドの父の写真がInstagram上にアップされている。
2019年11月に出版された2作目の『夢の家で──ある回顧録』(In the Dream House─A Memoir)では、「母たち」のバッドを思わせるパートナーからの虐待と別れ、そしてヴァルに出逢うまでのマチャド自身の体験が語られる。とはいってもそこにはマチャドらしいツイストがあり、5部からなる断章形式の語りには映画やテレビドラマなどに表れるセクシズムへの考察が入り混じり、一人称にIとYouを使いわけたり読者に選択肢を選ばせるマルチエンディング形式の章があったりとさまざまな意匠が凝らされている。文学作品とも批評ともノンフィクションともいえるまた新たなジャンルを開拓しながら、レズビアンのカップル間の虐待という、これまでほとんど描かれてこなかったプロブレマティックな主題に新たな光を当てている。
作品の補足情報を加えておく。本書のなかでもひときわ異彩を放つ「とりわけ凶悪」は、1999年より米国NBCで放映され、日本にもファンが多いテレビドラマシリーズ『LAW&ORDER:性犯罪特捜班』の第12シーズンまでの272話のエピソードをそっくりリメイクしたもので、発表時ことに話題を呼んだ作品だ(原題の“Especially Heinous”は、米国の刑事司法制度で性犯罪は「とりわけ凶悪」とみなされているというドラマ冒頭のナレーションにちなむ)。とはいえこの作品を読むのにドラマの知識がなくても問題ないことはマチャド自身が請け合っている。本作が誕生するきっかけは、2009年にマチャドが豚インフルエンザに罹って動けなくなったとき、ネットフリックスがこのドラマを延々と自動再生しつづけ、数日のあいだ朦朧とした頭で見つづけた経験だというが、数年後にこの作品に取り組んでみて、性暴力についていかに語るかという自分の考えをひとつの作品にまとめることができたと思うとマチャドは語る。
「レジデント」では、アーティスト・イン・レジデンス(ある土地や施設に滞在しながら作品の制作やリサーチを行うアーティストを招聘するプログラム)で山深い豪奢なホテルを訪れた小説家の語り手の体験が語られる。作中の省察にもあるように、residentという言葉には「居住する」という意味(特定の場所に長期間滞在したり労働したりすることも含む)のほかに、性質や考えが宿る、存在する、内在するといった意味もある。この作品じたいレジデンス・プログラムの期間中に執筆されたもので、語り手のイニシャルが「C── M──」であるように、マチャド自身の経験に着想を得た作品である。シャーリイ・ジャクスンの小説『丘の屋敷』(The Haunting of Hill House)やスタンリー・キューブリックの映画『シャイニング』を思わせるモダン・ゴシックの色調を漂わせながら、「頭のおかしいレズビアン」というステレオタイプや、正気と狂気、事実とフィクションの境界を掘り下げていく本作はまた、マチャドによるひとつの文学論としても読みうる。
実際マチャドが作家になれたのも、レジデンス・プログラムの恩恵によるところが大きい。彼女が作家になるまでの道のりはなかなかワイルドだ。1986年フィラデルフィアに生まれ、キューバからの移民である祖父の影響で子どもの頃から物語や読書に親しみ、10歳頃にはもう物語を書いて出版社に送っていたという。高校時代にはガルシア=マルケスの『百年の孤独』に影響を受けるような読書好きの少女だったが、小説家の道は父親の反対にあい、ワシントンDCにあるアメリカン大学ではジャーナリズムを専攻し、途中で写真学科に転入する。
卒業後はケアワーカーやアダルトショップの店員などさまざまなアルバイトで生計を立て(そのときの経験が「本物の女には体がある」のもとになっているだろう)、執筆時間を確保するため勤務中に電子メールを書いているふりをしながら小説を書いていたという。この状況から脱け出したい一心で30近い助成金に応募し、名だたる作家を輩出してきたアイオワ・ライターズ・ワークショップに参加し修士号を取得する。
その後も創作を教える仕事とアルバイトでわずかな収入を得たものの生計は成り立たず、小説家の夢を諦めかけた頃にペンシルベニア大学からレジデンス・プログラムの声がかかり現在にいたる。デビュー作はアメリカでは短篇集は売りづらい傾向にあるうえ、そのクィアな作風から30近い出版社に断られたが、その後は冒頭に書いたとおり。マチャドの日常は数々の取材やプロモーションで埋め尽くされ、ふたたび執筆時間が取れない悲鳴をあげることとなった。
現在までに発表されているマチャドの作品は、前述の2作のほか、2019年8月に刊行されたMarch Sisters: On Life, Death, and Little Women(女性作家4人が『若草物語』の四姉妹をひとりずつ担当して綴ったエッセイ集で、マチャドは三女ベスを担当。ほかの作家は、ケイト・ボリック、ジェニー・ザン、ジェーン・スマイリー)と、同年12月にスタートしたDCコミックスのシリーズThe Low, Low Woods(荒廃していく炭鉱の町に起こる異変が十代の二人の少女に降りかかるホラーで、原作を担当)がある。
本書をエトセトラブックスの松尾亜紀子さんから紹介され、一読して恋に落ちた。私の単訳で刊行の予定が諸事情あり、結果的に小澤身和子さん、岸本佐知子さん、松田青子さんという最高の共訳者を得ることができた。マチャドは小説を書く時間が取れる職を得られたことや、本書がこれほど高い評価を得たことについて、ラッキーだったと慎ましく語っているが、その邦訳が当代きってのすばらしい女性翻訳家たちとともに、フェミニストプレスであるエトセトラブックスから送り出せることになったのは、間違いなく幸運なことだと思っている。
なお、もし皆さんが本書を読んで、一作ごとに文体やトーンが異なると感じたとすれば、それは訳者の違いという以上に、マチャドの語りの多様さによるかもしれない。マチャドによれば、どの作品に対しても収録作中ベストだという声とワーストだという声の両方が寄せられているとのことだが、「レジデント」のようなゴシック文学調のトーンから「本物の女には体がある」のような現代的でカジュアルなトーンまで、一作ごとに表情ががらりと変わる文体も、マチャドの引き出しの多さを表している。
「女性や非白人やクィアな人々にとって、書くことはそれじたい政治的なアクティヴィズムだ」とマチャドは言う。そして、政治的であることと芸術的であることは両立する、とも。マチャドの作品は、それをなにより見事に体現しながら「男だけの世界」の景色を書き換えていく。マチャドによれば「ゲイの若い子が読んで『自分たちのことが書いてある』と言ってくれたり、母が娘へ、娘が母へ、自分の本を買ってくれたりするのが、胸が張り裂けるほど嬉しい」とのことだ。クィアであること、ストレンジであることの魅力がぎっしり詰まったこの本が、たくさんのパーティーに届くことを祈りつつ。
2020年1月 訳者を代表して 小澤英実