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【試し読み】私たちが「We ❤Love 田嶋陽子!」である理由② by 柚木麻子

2019/10/30

表紙_エトセトラvol2

責任編集の山内マリコ&柚木麻子は、なぜ今、「田嶋陽子」を特集しようと思ったのか? そして、なぜLOVEなのか!?  刊行間近!の『エトセトラ』VOL.2 特集:We ❤Love 田嶋陽子! を少しだけ先に公開いたします。

 

12歳が出合ったフェミニズム
柚木麻子

小学生の頃、毎週月曜日になると必ず『ビートたけしのTVタックル』を両親と一緒に見た。私は81年生まれで、同番組はテレビ朝日系列で1989年7月3日から放送が開始されている。今でこそ老舗の時事ネタ討論番組だが、始まって数年の頃はセットはもっと派手で、バラエティの趣が強かったように思う。

さて、私は田嶋陽子のファンだった。当時の番組は、どう考えても圧倒的求心力を持つビートたけしを軸に回っていたに違いないのだが、不思議と彼の印象は薄く、他の出演者のこともほとんど覚えていない。むしろ私には彼女だけが目立っているように見えた。当時はフェミニズムなんて言葉は知らなかったし、ジェンダーに鋭い大人びた子供だったわけでもない。ただ田嶋陽子はいつも誰より明るい色の服を着ていた。滑舌が良く、笑顔が華やかで、笑う時は大きな声をあげていた。ストレートな言葉でわかりやすく、発言の数が圧倒的に多かった。

同時期に『天才・たけしの元気が出るテレビ』もよく見ていたけれど、スタジオから一歩も出ないビートたけしや松方弘樹よりも、ロケ先で愉快なレポートを繰り返す野沢直子や山口美江、個性的な髪型の兵藤ゆき、という女性陣の方が断然面白く、心に残っている。同じ理由で、私はただ好意から、田嶋陽子の言動をワクワクと見守っていた。「パンツ洗え!」とよく通る声でおじさんたちに食ってかかるさまもカッコよくて、学校では男子に言い負かされることも多かったから胸がせいせいしたのである。

本当の意味で、彼女の発言を理解出来るようになったのは、小学校高学年になって第二次性徴を迎えてからだ。当時の私はクラスでも後ろから三番目に背が高く、胸は日に日に大きくなっていった。何故か私の通っていた小学校は、着替えが男女同じ教室だった。ただでさえぼんやりとしているため、ブラジャーが見えないように体操着を素早く服の下から引き抜いたり、生理用品を隠しもって移動することがとても苦手で、コソコソすればするほど目立つこととなり、よりいっそう囃し立てられ、緊張感と屈辱に満ちた毎日を送っていた。膨らみ始めた身体は自分にはどう考えても不釣り合いだと思っていたし、男子が女性の身体をネタに下品な冗談を言うたびに、大きな胸やお尻は恥ずかしいものなんだな、としょんぼり受け入れていた。

そんなある日、『TVタックル』でジュリアナの話題が出たのである。VTRではお立ち台で踊る女性を煽情的な角度で下から撮っていて、家族と見るのがやや気まずいほどだった。身体にぴったりしたコスチュームに赤い口紅をつけた女性たちへのインタビューの後で、スタジオに戻り、男性出演者たちは「パンツが見えていた」「あんな格好をして恥ずかしくないのか」というようなことを嬉しそうに言い合っていた。

確か女性のキャスターかタレントが「どうですか、田嶋先生、こういう若い女性って?」と明らかに否定的な回答を期待して田嶋陽子に話題を振った、その時である。「いいよね、私はカッコいいと思う。私がもし若くて、こんなに綺麗だったら、こういう格好をして同じように踊りたい。踊っちゃうよー」と彼女はきっぱりと、だけどおどけた調子で身振り手振りを交えてこう言ったのである。スタジオはどっと笑いに満ちたが、先ほどまでの粘ついた空気は一掃された。私は衝撃を受けた。大きな胸やお尻をカッコいいと思っていいんだ、露出を楽しんでもいいんだ、それを強調するもしないも個人の自由であって、踊りたければ踊ればいい。誰かにいやらしい冗談を言われるためではない。女性の身体は女性のもので、消費されるためのものではない、という主張を目撃した、おそらく人生最初の瞬間であった。

さらに生涯忘れられない彼女の発言をここからそう離れていない時期に、私は聞くことになる。確かもう6年生になっていた。私は学校の帰り道に変質者につけられ、しつこく声をかけられた。間の悪いことに、通学路ではない、細い抜け道を一人で歩いていた時である。泣きながら家に帰ると、母は真っ青になってすぐ学校に連絡し、しばらくの間、登下校に付きそうようになった。もちろんホームルームでこの件は議題になった。「変質者に気をつけよう」ではなく「通学路以外の道を使うな」というルールが叫ばれ、明らかに私の自己責任という扱いだった。実際、先生にも怒られたし、クラスメイトからもきつい言葉でとがめられた。何よりも大好きな母が不安そうにしていて申し訳なかった。

小さくなって過ごしていたら、またしても『TVタックル』で、私は救われるのである。確か海外旅行中の日本女性のグループが現地で性被害にあったというようなニュースが取り上げられていた。スタジオは被害者の落ち度をあげつらうムードで、それは変質者の話題になった時のホームルームの空気にとてもよく似ていて、私はああ、やっぱり大人でも子供でも女は気を引き締めて暮らさないとひどい目にあうんだな、と改めて実感したのだ。

そんな中、田嶋陽子だけが被害者たちをかばったのである。出演者の一人が強い口調で、彼女たちにはスキがあったと主張した。すると、田嶋陽子は「家の鍵があいていても、家に入ったら、それは泥棒だ」とこう言い返した。同じフレーズをテレビの前の私はすぐに繰り返しつぶやいたはずだ。大げさではなく、その瞬間、世界が反転した気がした。性被害者側に立った、これほど的確で簡潔な、子供にも理解出来る意見を私は他に知らない。

今でこそ性被害者のケアや人権がようやく叫ばれるようになったが、当時はそんな風潮は皆無だった。例えば90年代はテレビドラマでもレイプは物語を盛り上げるアイテムでしかなく、被害者の心の傷は軽く扱われていた。SNSもなかったし、少なくとも私のような子供がアクセスできる場所に、被害を受けたあなたは悪くないと伝えてくれるようなコンテンツは見当たらなかった。以来、この言葉は私にとって一種のおまじないというか、武器になった。男子にわざとぶつかるふりをして身体を掴まれ、やめてと怒ると「お前がぼうっと歩いていて、他の女子よりノロマで体もでかいのが悪い」となじられれば、すぐにこのフレーズで言い返した。中学から女子校に進み、友達が痴漢被害にあい「遅刻した上に薄着で満員電車に乗っていた私も悪いのかも」と言っていた時も口にした。

今回、記憶の中の『TVタックル』評を書くにあたって、真っ先に蘇ったのは、この言葉だった。私の人生観を変えた貴重な回である。しかし、ちょっと自信がないのは事実だった。30年近く昔のそれも子供の記憶だし、都合よく捻じ曲げ、編集している可能性もゼロではない。しかし、『TVタックル』での彼女を発言をもとにした『史上最強の田嶋語録 だから、なんなのさ』(1995年、テレビ朝日)を読んでいたら、該当箇所があった。「この前のローマのレイプ事件もそう。みんな女子大生を責めて、チャラチャラしているからってね。でもね、いくらカギしめてないからって人の家にドロボーに入ってもいいの? やっぱり悪いのはドロボーでしょ? 責められるのはカギしめ忘れた人じゃないでしょ? ドロボーでしょ」(88ページ)これはおそらく93年に起きた、旅行中の女子大生グループが日本刀を持った男に襲われたという事件だ。私が12歳の時だから、記憶は正しいということになる。

2018年秋、ジャーナリストの伊藤詩織に、その事件の被害者から伊藤を応援する手紙が届いた報道も記憶に新しい。あまりにもバッシングされたため、長いこと被害者として沈黙を守ってきたことを後悔しているというような内容だった。信じられない話だが、『TVタックル』に限らず、当時はメディア全体が彼女たちへのセカンドレイプに加担していたのだ。

今回、90年代初期の『TVタックル』、田嶋陽子初登場回や、話題になった専業主婦の是非を問う回を見ることが叶った。
驚いたことがある。水着のようなコスチュームの女性が無言のまま出演者に飲み物を配っているのだ。田嶋陽子にやり込められた大竹まことが突然、怒鳴った時は、本当に怖かった。『くたばれ専業主婦』の著者をもてはやす一方で、子供を持つ女性が周囲に支援されながら社会で働く事にも批判的だったりする。セクハラと差別発言がまかり通り、何より女性をモノ化する視線に満ちていた。それはまさにアメリカのテレビドラマ『マッドメン』そのもの。男たちが職場で酒を飲みタバコを吸い、性差別は当たり前で、女性の躍進はありえない、1960年代のニューヨークの広告業界をそのまま描く事によって当時の異常性を鮮やかにあぶり出し、評価された作品だ。そんな環境で、女性の権利や男女平等をずっと訴え続けている田嶋陽子は、確かに戦っていた。それもたった一人で。グロリア・スタイネムの偉業を、誰にでもわかるようにわかりやすく話していた。

嵐山光三郎とのセクハラ論議のさい、途中退出したことが随分バッシングされたようだけれど「セクハラっていうのはね、女性がね、自分がね、弱者である、弱い立場であるっていうことを決めてかかってきてることだから、よくないんですよ。女性は自分で弱いって決めておいて、ある時だけ強くなってね、なんかいい時にだけ、弱い、弱者の立場を利用して、こう、だって…(何を言っているか不明)…に言ってくるっていうのは、とんでもないですよ」という彼の発言を知ると、2019年の常識から考えれば、妥当な行為に思える。子供の私にはその明るさや華やかさ、ユーモラスな発言ゆえ彼女の孤軍奮闘を理解できていなかったが、だからこそ12歳にも主張が届いたのだ。

田嶋陽子の言動が批判的に取りざたされる時、フェアでないな、と思うのは、その背景への言及が薄ぼやけていることだ。彼女の戦っていた90年代のバラエティ番組が、今なら考えられないほど偏見と差別に満ちていたこと、男性中心に回っていたこと、彼女と議論していた相手が前後にどのような発言をしていたかはぼんやりとしか語られない。試しにYouTubeに彼女が出演するすべての回をアップすればいいと思う。当時は圧倒的なマジョリティ側で、現在も文化人枠で活躍している、他のレギュラー出演者の言動が、今の世でどう評価されるのか、私はとても知りたい。
『エトセトラ』VOL.2 より)