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【試し読み】『痴漢とはなにか 被害と冤罪をめぐる社会学』牧野雅子まえがきを公開します

2019/11/19

図1

 

牧野雅子『痴漢とはなにか 痴漢と冤罪をめぐる社会学』の「はじめに」を公開します。なぜこの社会から「痴漢」という性犯罪がなくならないのか。警察統計や、戦後から現在まで痴漢がカルチャーとして消費されてきた様子を分析し、日本の「痴漢」意識を読みとく一冊。続きはぜひ本書でお読みください。

*上写真は、今に語り継がれる「チカンは犯罪です」コピーを掲載した、1995年大阪府警鉄道警察隊作成のこのポスター。(撮影:著者)

表紙_痴漢とばなにか

はじめに――問題にされない痴漢被害

痴漢について発言するには困難を伴う。特に、男性相手には。被害に遭った話をすれば、その真偽が疑われる。日常の、自分もいるその空間で、性被害が起きていることが見えないらしい。服装や言動に問題があったのではないかと、被害者の落ち度が問われることもある。逃げれば良かった、抵抗すべきだった、声をあげるべきだったと、被害者の振る舞いが問題であると言われもする。聞き手の性的な好奇心が透けて見えることもある。
わたしたちが普段テレビや新聞等で目にする痴漢事件のニュースは、数多起こっている事件の、ごく一部にすぎない。警察官や教員等、加害者の職業が問題になるようなことがない限り、事件が報道されることは、まず、ない。電車内や駅で「捕まった」ように見えても、実際には厳重注意で済まされたり、在宅事件として扱われることも多く、現行犯逮捕されても、再犯者や悪質なものを除いて、長期の勾留はされない傾向にある。多くの痴漢事件はいわゆる「裁判」にはならず、報道もされず、わたしたちの目に触れることはない。
痴漢被害に遭っても、誰かに相談することはまれである。公的機関に通報することは更にまれである。加害者が確保されて、事件として捜査され、それが報道されて、わたしたちに「見える」ようになるのは、極めてまれなことである。
反面、痴漢冤罪は大きな問題になる。痴漢に限らず、冤罪は国家による基本的人権の重大な侵害であり、あってはならないことである。大きく報道されねばならないのは当然だ。そうして日常的に起こっている被害は表沙汰になることは珍しい一方で、冤罪は大きな問題として取り上げられることになる。
インターネットの検索エンジンで「痴漢」と入力すれば、被害や被害者支援に関わる情報ではなく、痴漢を性的娯楽として扱う情報が目に飛び込み、痴漢事件に強いと謳う弁護士事務所の広告や、冤罪問題を扱ったサイトが上位でヒットする。出版物を見ても、とりわけ2000年以降は、痴漢冤罪をテーマにした雑誌記事や本が多く出され、その数は、痴漢被害に言及したものをはるかに超える。目にする情報量の多さからも、痴漢は、被害の問題ではなく、冤罪の問題であるかのような様相を呈している。

「痴漢」の定義とは

ところで、「痴漢」とは何だろうか。「痴漢は犯罪です」とは、駅でよく見る警察の痴漢防止ポスターのコピーである。痴漢を取り締まる警察は、痴漢をどのように定義しているのだろうか。
2018年4月に削除された兵庫県警察本部のホームページには、「女性の安全~痴漢にあわないために」と題されたページがあった。そこには、外出時だけでなく、自宅の戸締まりや来訪者への警戒といった注意が促されており、自室に侵入されて性被害に遭うケースも痴漢被害として想定されていた。警察が市民向けに防犯上のアドバイスを記した小冊子を見ても、痴漢の型として「婦女暴行」をあげているものがあり、被害が軽いものが痴漢だと定義されているのではないらしい。
2010年に静岡県警御殿場警察署が、防犯対策を市民に教えるために作成した「あるちかんのひとり言」という小冊子は、公然わいせつ犯の手口を紹介したもので、「俺は、女性にエッチなことをして喜ぶ男! いわゆる ち・か・ん だよ」と始まっている。痴漢は身体に接触する行為のみをいうのではなく、公然わいせつ行為を指すこともあり、加害者を指すこともある。
痴漢行為は主に、各都道府県の迷惑防止条例によって取り締まられるが、その条文中に「痴漢」の文言が入っている条例は一つもない。唯一、「新潟県迷惑行為等防止条例」は、条文には「痴漢」の文言はないものの、第二条の見出しに「痴漢行為等の禁止」とあり、その条文は次の通りである。

(痴漢行為等の禁止)
第二条 何人も、道路、公園、広場、駅、空港、ふ頭、興行場、飲食店その他の公衆が出入りすることができる場所(以下「公共の場所」という。)又は汽車、電車、乗合自動車、船舶、航空機その他の公衆が利用することができる乗物(以下「公共の乗物」という。)にいる人に対して、正当な理由がないのに、不安を覚えさせ、又は羞恥させるような行為であって、次に掲げるものをしてはならない。
(一) 衣服等の上から、又は直接身体に触れる行為で卑わいなもの。
(二) 人が通常衣服等で隠している下着又は身体をのぞき見し、又は無断で撮影すること。ただし、第三項に該当するものを除く。
(三) 前二号に掲げるもののほか、卑わいな言動をすること。ただし、第四項に該当するものを除く。
二 何人も、集会所、事務所、教室、タクシーその他の特定かつ多数の者が利用するような場所又は乗物にいる人に対して、正当な理由がないのに、不安を覚えさせ、又は羞恥させるような行為であって、前項第二号に掲げるものをしてはならない。
三 何人も、住居、浴場、更衣室、便所その他人が通常衣服の全部又は一部を着けない状態でいるような場所にいる人に対して、正当な理由がないのに、不安を覚えさせ、又は羞恥させるような行為であって、第一項第二号本文に規定するものをしてはならない。
四 何人も、正当な理由がないのに、前三項の場所又は乗物を使用する人の通常衣服等で隠している下着又は身体を無断で撮影する目的で、写真機、ビデオカメラその他これらに類する機器を向け、又は設置してはならない。

第一項第一号の、「衣服等の上から、又は直接身体に触れる行為で卑わいなもの」が、条例が定める痴漢行為ということだ。
現在、「痴漢」ときいて一般に連想されるのは、電車の中の性被害であろう。一九九六年に電車の中の痴漢を取り締まるために結成された兵庫県警鉄道警察隊の専門チーム「ブルー・アロー」の説明には、「痴漢の明確な定義はありませんが、一般的に痴漢とは女性にみだらな悪戯をする行為を言います」とある。
「痴漢に遭う」「痴漢を追いかける」のように加害行為と人物の双方に使われる。また、電車内で体を触られる行為も痴漢ならば、夜道で襲われることも痴漢と呼ぶ。時に、広く性暴力一般を表す語としても用いられ、強姦すら痴漢と呼ばれた一方で、「たかが痴漢」のようにも用いられる。こうした、呼称の曖昧さが、痴漢という被害がどのように扱われているかを示しているともいえる。「痴漢」とは、罪名でも、手口の名前でもない、いわば俗称なのである。
痴漢は、日本特有のものであると言われることがある。しかし、公共交通機関内での性的被害は、日本以外でも起こっており、日本に限ったことではない。なのに、なぜ、痴漢が日本に特有の現象だと考えられているのだろうか。それは、諸外国のように、電車の中で起こった性的被害として、痴漢がみなされていないからではないだろうか。

「痴漢は犯罪です」が表すこと

きわめて身近な性暴力である「痴漢」。多くの女性が被害に遭い、毎年、公的機関による被害防止キャンペーンが行われ、多くの男性が痴漢冤罪に怯えているらしいというのに、これまで、「痴漢」が研究対象となることはあまりなかった。性暴力犯罪の中でも、電車内痴漢事犯は、着衣の上から触れる行為が主であり、他の犯行形態に比べて、その被害は軽微であると考えられがちである。また、満員電車という環境の問題にされることが多く、他の形態の性暴力犯罪に比べて、仕方のないものとして扱われがちでもある。だからといって、その被害を軽視してよいものではない。軽微な犯罪と思われがちな痴漢ではあっても、それにまつわる問題は単純なものではない。女性専用車両は根本的な解決にはなっておらず、女性専用車両の存在が男性差別だという主張や、女性専用車両に無理やり乗り込む男性たちの動きもある。
本書は、痴漢、特に電車の中で被害に遭う痴漢について、これまで何が起こり何が語られてきたのかを整理し、記述したものである。メディアでは、痴漢被害をいかに防ぐか、痴漢冤罪に巻き込まれないためにはどうしたらいいのか、女性専用車両は男性差別ではないのかといったことが問題にされているが、対策を講じるためには、これまでに何が起こり、何が語られてきたのかという前提を共有する必要がある。
女性専用車両がなかった頃に都市部で電車通勤・通学を経験した女性と、物心ついたころには女性専用車両があったという若い男性では、見えているものはおそらく違う。痴漢被害を訴えても証拠がないからと駅員室や警察で邪険に扱われた経験を持つ女性と、「この人痴漢!」と女性に叫ばれたら最後だと煽るメディアに日頃から触れている男性では、経験している世界は違う。痴漢と聞いて、鞄が触れたのを痴漢だと間違う程度のものをイメージする人と、満員電車で身動きがとれずいわば拘束された状態でのレイプだと感じる人とでは、話はかみ合わない。そして、典型例のように語られる被害者像─若い女性─から外れた人の声のあげづらさ。性別、年齢、職業にかかわりなく、被害に遭う。同じ被害者の中でも、感情や体験が共有されるとも限らない。
本書の構成について述べておく。第1部では、まず、痴漢がどの程度公的機関に把握されているのか、警察統計を読み解いていく。痴漢は、事件として扱われる場合、都道府県の迷惑防止条例や強制わいせつ罪が適用されるが、条例と刑法とでは、統計上の扱われ方が違う。条例は自治体によって異なり、統計の取り方や公表のされ方が異なることから、痴漢について全国統一の詳細な統計数値を得ることは困難である。そこで、警察の把握件数の多い東京や大阪を中心に、被害の傾向や、変化についての分析を行う。犯罪としては立件されていないものの、警察が相談を受けたデータも検討の対象とする。
次に、痴漢事件はどのように捜査されるのか、特に、加害者の取調べ内容について、捜査参考書をもとに考える。また、痴漢事件の多くは、迷惑防止条例で検挙される。この条例は、どのように制定され、運用されているのか、痴漢をどのような行為だとして禁止しているのか、誰を、何を守る条例なのか。条例の立案に関する資料や、取締りに関する資料等から考える。
第2部は、戦後の雑誌や新聞記事から、痴漢はどのように語られてきたのかを、その時々の出来事を参照しつつ整理する。主に、女性誌では被害者の視点から、男性誌では性的行為という点から痴漢を扱っており、対象読者の違いにも注目する。
第3部では、痴漢冤罪問題と女性専用車両の問題を取り上げる。痴漢冤罪が社会問題となったのは、2000年頃からだが、それ以前にも、小説や歌の中で、今で言う痴漢冤罪は扱われていた。痴漢冤罪が社会問題となる以前と以後とでは、痴漢の描かれ方はどのように変わったのだろうか。
第2、第3部では、痴漢に言及した雑誌新聞記事を中心にした言説分析を行っている。新聞記事では、『朝日新聞』『毎日新聞』『読売新聞』の三紙について、新聞記事検索データベースの「聞蔵Ⅱビジュアル」「毎索」「ヨミダス歴史館」を用いて、「痴漢」「女性専用車両」「いたずら」等のワードで記事検索を行い、約13000件の記事を抽出し、その中から電車内痴漢に言及した記事を分析対象とした。雑誌記事については、『大宅壮一文庫雑誌記事索引総目録』から「痴漢」の項目に掲載された記事三五七件に加え、大宅壮一文庫雑誌記事索引検索データベース「Web OYA-bunko(大宅壮一文庫雑誌記事索引検索Web版)」を用いて「痴漢」「女性専用車両」等のワードで検索を行い、約18000件の記事から、風俗情報やAVの紹介記事を除いて、電車内痴漢に関連したものを分析対象とした。痴漢や痴漢冤罪を扱った論文や単行本も参照している。
雑誌や新聞に書かれていることが事実であるとは限らないし、その媒体の読者が同じように考えているとも限らない。SNSで個人の意見を発信することが一般的な時代に、社会意識を知るために、雑誌や新聞のページをめくる意味は小さくなっているという見方もあるだろう。しかし、インターネットで無料の記事が読める時代だからこそ、活字メディアで書かれたことの位置づけに注目したい。コストを払うだけの責任、多くの人が関わって掲載される記事の信頼性。たとえそれが、読者の興味を煽るための、事実を装った創作物であったとしても、そのようなものが出版され、読まれていたということは事実である。
なお、先に述べたように痴漢被害者は女性ばかりではない。しかし、被害者の多くは女性であることと、痴漢をめぐる議論が被害者は女性であることが前提になされていることから、本書でも女性被害者の問題を中心に論を進める。
「痴漢は犯罪です」という痴漢防止ポスターのコピーは、女性たちの現実に公的機関の認識が近づいたと評価された。その一方で、あらためて「痴漢は犯罪です」と言わねばならないほど、それまで痴漢が犯罪だとは見られていなかったことを示してもいる。「痴漢は犯罪です」─それはいつからなのか。どのようにしてなのか。そして、本当にそうなのだろうか。

牧野雅子『痴漢とはなにか 被害と冤罪をめぐる社会学』(エトセトラブックス)より。試し読みバージョンとして、本に掲載されている注釈は割愛いたしました。