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『エトセトラ VOL.3』より長田杏奈「はじめに」を公開します

2020/5/16

はじめにーー不要不急ではない身体  長田杏奈

 

「今それどころじゃない」と言われ続けて、もう何年、いや何百年経ったのだろう。1789年、フランス革命によって勝ち取った人権宣言の中で、女は「人」にも「市民」にもカウントされていなかった。何かにつけてミューズだ母性だなんだと崇め奉るわりには、デフォルトで同等には扱われない罠。昔のフランス女性は大変だったね、で済ませられる話ではない。2020年、「フェミニズムの役割は終わった、これからはヒューマニズムの時代だ」と言われた時、そのヒューマンの中に女性が含まれているのかが疑わしい。「予算がない」、「時間がない」、「機が熟していない」、「言い方が悪い」。もっともらしい理由をつけて後回しにされることに慣れっこなあまり、どうせまた女性が直面する問題をうやむやに棚上げしたまま、お茶を濁そうとしているんでしょと訝しんでしまうのだ。私さえ我慢すればいい取るに足らない問題だという気後れに、世紀をまたいでつけ込まれてきた。「今それどころじゃない」と言われて従順に待っていても、次の瞬間には「悪気なく」「無意識に」忘れられ、永遠に順番は回ってこないと私たちは知っているのだ。起きるのが苦手な人向けの目覚まし時計と一緒で、粘り強くノイジーにアラートを鳴らし続けるぐらいで、ちょうどいい。

例えば、性犯罪に関する刑法や堕胎罪。家父長と純潔を尊ぶ明治の価値観で作られた法律が据え置かれているせいで、令和の身体が守られない。2012年にWHOが提唱した安全な中絶法はいまだに取り入れられず、医師が支援に向かった先の国で「日本の女性がかわいそう」と心配される始末。2005年に立ち上げられた「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクト」によるバッシングは、今なお性教育の現場を萎縮させ、身体の尊厳や知識を教えられない子供が続々とネットでポルノ見放題の世に放たれていく。痴漢に怒れば冤罪はどうするんだという逆ギレを浴びせられる電車で、私たちは痩せて脱毛して愛されろという広告に囲まれる。ちなみにこれらは、すべてフェミニズムがコツコツと取り上げ、声を上げ続けてきた問題のほんの一端。今、この時点で解決されているかな? ヒューマニズムの担い手に、この未解決事件を引き継ぎする気があるだろうか。

平時に女性の身体にまつわる問題の解決を先送りにしたがるメンは、緊急時はより露骨になるものだ。無理解も無配慮も火事場においてなぜか正当化されるお門違いの性欲や暴力も、うっとりと語られる大言壮語や、「みんなで力を合わせて」などのお題目や美談に覆い隠されてしまう。西アフリカのシエラレオネでは、2014年からのエボラ出血熱の大流行で学校が閉鎖されると、子どもに対する性暴力が激増。学校再開時には、多くの女子生徒が妊娠していて、それを理由に登校を禁止された。長引く香港デモの影で、収監された女性たちへの性暴力が蔓延しているという悲痛な訴えは、行き場がないままに立ち消える。私たちにとってこれらの悲劇は、対岸の火事だろうか。ちなみに、戦時中に女性を性的に搾取した話を、この国の権力者がもみ消そうとしているのは、現在進行形の話だ。なかったことにしようとするのは、加害側や加担者が自らの振る舞いがいかに後ろめたく不名誉で非人道的なものか、完全に理解していることの証左だ。ちっぽけなプライドを維持する自らのエア名誉のためになら、女性の人権を踏めるだけ踏んで、開き直って攻撃するメンタリティを持つ強者に対して、私たちはNOを集めて牽制し、身を守る必要がある。

今年3月1日にNHKで『明日へつなげよう 証言記録「埋もれた声 25年の真実~災害時の性暴力~」』というドキュメンタリー番組が放送された。当時は「フェミニストのデマ」と蓋をされた阪神淡路大震災の時の避難所での性暴力の実態と、それを調査した女性たちの活動の記録だ。ちょうどそのひと月前、24時間の無料電話相談「よりそいホットライン」が、2013年〜2018年の5年間に女性専用ラインに寄せられた36万件余りの相談内容の分析結果を発表した。その結果、東日本大震災の被災3県(岩手、宮城、福島)からの相談の半数以上が、性暴力被害に関する内容であったという。避難を余儀なくされた被災後の暮らしで、DVや性暴力を訴えても、不要不急だと軽んじられ、落ち度を責められて飲み込まされた人がいる。更衣室を作ってほしいというリクエストは「命が大事な時に、贅沢を言うな」と封じられ、月一度の生理に対して生理用品が1セットしか配られなくても言い出せない空気に気圧される。災害とは無縁でいられない列島で、有事に女性の身体が蔑ろにされた経験は、きちんと省みられ今後に活かす準備ができているのだろうか。

そして今この時、地球上を同時多発的に襲ったコロナ禍は、それぞれの国や文化の問題点を容赦なく浮き彫りにしている。もし時代が違ったり、日本だけに起きた災いであったなら、さまざまな不条理を「仕方ない」「こんなものだろう」と飲み込んでしまったかもしれない。でも、私たちには「他の国ではどうも様子が違うようだ」と気づくことができる比較対象も、離れた仲間と繋がり情報を取りに行く術も、女の身体に貼られたレッテルを破り捨て刷り込みを片っ端からアンインストールするフェミニズムの連帯もある。

都市に緊急事態宣言が発令された4月、国家レベルの意思決定の席には、幼児でもすぐ答えが出せる間違い探しのように女性がいない。一人一体の身体と暮らしを素通りするように、布マスク2枚や給付がなぜか「世帯ごとに」配られる。店内で「俺はコロナだ」と叫ぶ男、「ウイルスの検査をしている」と子供に声かけする男、セックスワーカーや接待を伴う飲食業に携わる者を差別する厚労省……。悪い予感が全部当たったような、ディストピアSFを軽く超えるような現実!

私たちは、未だに「人」にも「市民」にもカウントされていない、無力で浮かばれない不憫な女たちなのか。そんなわけない! どこから突っ込んでいいかわからなくても、代わりばんこに手分けして端から順番に突っ込んで、尊厳の陣地を取り戻し押し返す。知って、考えて、行動し、ディストピアオセロの角を虎視眈々と狙ってゲームチェンジを成し遂げる。誰の身体もないがしろにしない世界の歴史は、現在ないがしろにされているものが、ないがしろにされなくなった瞬間にスタートする。

取材や寄稿依頼を始めた年明けとは、全く違うムードが漂っている。不安も矛盾も禍根もすっかり炙り出されて、気を抜いたら吞まれそうで身震いする。でもだからこそ、大切な身体の話を後回しにせず、いま知って、いま考えよう。不要不急ではない私たちの身体の話をしよう。


【誤字のお詫び】
書籍初版では、「はじめに」のなかに数カ所の誤字がありました。以下訂正するとともに、読者のみなさまにお詫び申し上げます。

P5 18〜19行目
正)なかったことにしようとするのは、(…)不名誉で非人道的なものか、誤)なかったことにしようするのは、(…)不名誉で非人道的なのものか、

p6 5行目
正)ドキュメンタリー
誤)ドキュメンンタリー

同 11行目
正)「不要不急だと軽んじられ」
誤)「不要不急ではないと軽んじられ」

次号からこのようなことないよう、校正につとめます。